第6話 俺のアイデンティティ
「よう、お前ら」
「あ、親父」
一階の玄関から外へ出ると、白いヘルメットを小脇に抱えている白衣姿の男が話しかけてくる。医者らしからぬ不摂生な生活が祟ってか、痩せ気味の頬とぼさぼさの黒髪が彼のトレードマークとなっている。
「今朝は何処まで走ってきたんだ?」
「ちょっと六十五番地区辺りにな。あそこに住んでいる斎藤さん、今朝方急に体調を崩しちまったらしくてよ」
見た目二十代後半程の男の名は小鳥遊一成。紅葉医院と紅葉寮を両方切り盛りしており、簡単に言えば俺達の親代わりとも言える人だ。
『斎藤さんなら私も知ってる。この前お菓子の包みを持ってきてくれた人』
「よく覚えてるな、薫。あれから一年は経つってのに」
心配そうにメモ帳を掲げている薫へ、親父はいつものように柔和な笑みを見せる。
「そんな顔しなくても大丈夫だ。斎藤さん、ただの軽い食あたりだったよ」
『そっか、それなら良かった』
「ああそうだ。そうなんだが……ふーむ」
医者らしからぬぼさぼさ頭に手を当てながら、親父は俺と薫を観察するようにじっと見つめてくる。
「……何だよ、親父」
「いや……二人とも、制服姿が様になると思ってな」
「?」
親父のどこか郷愁的な視線に首を傾げながらも、改めて俺達が今着ているブレザーの制服を見下ろしてみる。俺はネクタイを外してやや着崩しているものの、薫は胸元につけた赤色のリボンやボタンを全て閉じたブレザーといった模範的な着こなしをしている。
「ちょっと前まではちんちくりんだったのに……時が経つのは早いもんだよな」
『一季、お父さんが懐かしみモードに入っちゃってる』
「ああ、これは長くなりそうだ……」
こんな所で親父の思い出話に付き合っていたら遅刻は確定だろう。
「親父、俺達もう行ってくるよ」
「ん? ああ、引き留めて悪かったな。気を付けて行って来いよ」
『うん、行ってきます』
最後に俺と薫は親父へ軽く手を振り、閑静な居住区の狭い道を進んでいく。
「そうだ、おい二人とも!」
「……?」
数メートル程歩いたところで、親父は何かを思い出したのか大声で俺達を呼び止める。
「武器、ちゃんと持ったか⁉」
「……何だ、そんなことかよ」
親父の何気ない忘れ物の確認に、俺は学生鞄の中から取り出したナイフを、薫は人差し指に嵌めているエメラルドの指輪を親父へ見せつけるようにして掲げる。
これも俺達にとっての日常。天使の祝福を宿している者達にとって、授かった武器は己の半身とも言える程に肌身離せぬ大切なものだ。
居住区の路地を歩いていると、次第に俺達と同じ制服を着た学生の姿が増えてくる。見慣れた日常の雑踏の中、俺と薫の前では二人の男子学生が歩いていた。
「うわあ、朝から凄い血塗れだなお前。空から苺のジャムが降ってきた、みたいな様相になってるぞ」
「ああ、実はさっきD級の悪魔と戦闘になってさ。あいつ、俺の居合いを躱すなり頭をがぶりと噛んできたんだよ」
「でもこうして生きてるってことは、その悪魔には一応勝てたんだろ?」
「もちろん。相手はD級の悪魔、俺の『閃光の祝福』が込められた刀の敵じゃない」
「おー、流石C級。B級に上がって正式な殺し屋になる日も近いな」
男子学生の一方は鞘に収めた刀を腰に差しており、もう片方は右手に黒色のメリケンサックを嵌めている。
「って、あれ⁉ そこにいるのはまさか、八重樫か⁉」
「む……」
メリケンサックの視線は後方へ向かい、背後を歩いていた俺のすぐ傍までにじり寄ってくる。
「何だ、三週間ぶりじゃねーか! もう怪我は治ったのか⁉」
「ふん、当然だ。俺の特出した新陳代謝にかかれば、弾丸の痕跡を消去することなど造作もない」
「おお、そのよく分からない口調も相変わらずだな!」
俺と背丈が同じぐらいのメリケンサックは大きな声で笑いながら、俺の背中を痛いほどに何度も叩いてくる。
「ちっ、八重樫かよ……」
一方の血塗れ男子学生は、俺の姿を見るなり苛立たし気に舌打ちをする。
「お前みたいな能無し、どうせならずっと休んでればよかったのに」
「生憎、そういうわけにはいかぬのだ。俺は今日という試練の日を乗り越え、新たなる段階へと歩みを進める……」
「はいはい、今日がテスト日だから来たってわけね」
「ふむ、そうとも言うな」
血塗れの憎らし気な言葉に屈することなく、今日も胸を張って同級生との円滑なコミュニケーションを試みる。
「……はあ。やっぱりこいつと話をしていると調子が狂う。天使様も何でこんなふざけた奴をウチの学園に入れたのかな」
「教えてやろう、俊介。俺が紅摩学園に入学できた理由はただ一つ、それはずばり俺が天に見初められし男だからだ!」
「ぶはは! やべえ、やっぱおもしれえわこいつ!」
「……全く、こんな奴のどこが面白いんだか」
腹を抱えて笑っているメリケンサックとは対象的に、俊介の切れ長の目には笑み一つ浮かんでいない。
「卯月さんも可哀想に。同じ施設で暮らしているからって、こんなふざけた奴と毎朝登校しなきゃいけないなんて」
「……!」
俊介のさりげない憐みの物言いにより、薫の眉は今にもメモ帳に悪口を記してしまいそうな程に尖る。
「ほら、そろそろ行くよ大悟。こんな奴に構って遅刻したんじゃ笑い話にもできない」
そんな薫の様子など露知らず、俊介は大悟の首根っこを掴み速いペースで歩き出す。
「お、おいこら、何するんだよ俊介! これからが面白くなるところだろうが!」
「うるさいなあ、こっちは色々な意味で頭が痛いんだよ……!」
血塗れの頭を抑えている俊介と、首元を引っ張られて駄々をこねている大悟。半ば無理矢理な形にも見えるが、二人は揃って紅摩学園へ向かって小走りに消え去った。
『あの人達、今日も一季を馬鹿にして』
二人の声が聞こえなくなった頃、薫はメモ帳に記した不満を俺に向けてくる。
「落ち着け、薫よ。このぐらいの言い合い、特段珍しいことでもないだろ?」
「ん……」
「それに、奴らの気持ちも分らんでもない。俺の『不死の祝福』は悪魔に傷さえつけられない祝福。殺し屋達から見れば役立たずもいい所だからな」
手にしているナイフを鞘から取り出し、銀色に輝くその刃先をじっと見つめる。
『でも、そのナイフを手放す気はないんでしょ?』
「当然。俺の命よりも大切なものだからな」
「…………」
薫は呆れたようにため息を吐くと、振り向きざま再びメモ帳を向けてくる。
『それじゃあせめて、そのわざとらしい口調はやめた方がいいと思う』
「それは断る」
『どうして?』
「俺のアイデンティティだからだ」
「…………」
「お、おい薫⁉ どうして急に逃げるような早歩きを⁉」
等速直線運動よろしく通学路を進んでいく薫を、剥き出しのナイフを手にしたまま追いかける。薫の祝福も俺と同様に戦闘向きではないが、それでも紅摩学園の生徒である以上体力は底なしだ。
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