第2話 不死の祝福

「……ん?」


 エルザと鉢合わせできるであろう地点が迫ったその時、ズボンのポケットから振動と共にデフォルト設定の軽快な音楽が鳴り響く。


「誰だ、こんな時に……」


 一旦立ち止まってからスマホを耳に当てると、聞き慣れた男の声がスピーカーを通じて耳に届いた。


『か、一季! 七海さんを見つけた! 座標を送るからすぐに来て!』


 慎二からの電話が途切れると、地図アプリに送られた座標が表示される。


「これは……」


 表示された場所は俺が予想していた通り、アーケード街の裏側に蔓延る路地裏。その中でも、最深部と言っても過言ではない程に奥まった場所だった。


「……行ってみるか」


 アーケード街から路地裏の入り口に足を踏み入れ、肩幅すれすれの道を地図アプリ頼りに進んでいく。


「ここ……か?」


 長く続いた路地の終着点に広がっていたのは、小さなビルの屋上程の広さがあるアスファルトの空き地。その中央部分にはマンホールの開け放たれた蓋が、地下へと続く穴と隣り合わせにして捨てられていた。


「おーい、一季!」

「慎二……?」


 突然聞こえてきた慎二の声を注意深く探ってみると、その声はマンホールの穴の奥から響き渡っていた。


「こっちだ! 七海さん、下水道の奥に入ったみたいで!」

「分かった! 今行くから待ってろ!」


 肩にかけていた学生鞄は一旦地べたへ置き、大事なナイフを口に咥えたまま穴の側面に取り付けられた梯子を下っていく。


「……これは」


 梯子で五メートルほど下ると、やけに開けた空間が眼下に広がる。


「下水道、なのか……?」


 地面から天井までは十メートル程あるだろう。コンクリートで出来た無数の柱が天井を支えており、ほのかに照らされた照明が灰色の地面に光沢をもたらしている。


「一季! こっちだこっち!」


 地下神殿とも言える暗がりの底では、梯子を下る俺に大きく手を振る慎二の姿があった。


「ここにエルザがいるのか……?」


 地下空間で響く慎二の誘導に従って、梯子から地下神殿の地面に降り立つ。


「慎二、エルザがどこに行ったか分かるのか?」

「あっちだよ。ほら、あそこあそこ」


 ナイフを口から離して慎二が指差した方向を見てみるが、その先に広がるのは途方もなく続く暗闇だけ。


「いや、もっと具体的に」

「だからさ、分からないかなあ?」

「……え?」


 妙に砕けた声色が聞こえた途端、至近距離から向けられている敵意を察知する。


「まさか」


 しかし、気が付いた時には既に遅し。吹き飛ぶほどの轟音と衝撃が俺の右大腿部に直撃し、一瞬の激痛に続いて凍えるほどの冷たさが片脚全体を覆った。


「……っ!」


「ほら、動けないだろ? 僕が天使様から賜った力、『石化の祝福』のおかげで」


 文字通り石のように固まり、灰色に染まった右脚を軸にして振り向く。視線の先にいる慎二の手には、丁度片手に収まるぐらい小さな黒光りのハンドガンが握られていた。


「……最初から、これが狙いだったのか」


 銃口を目の当たりにしても平静は失わず、ナイフを握る手に改めて力を入れる。


「そういうこと。僕があの八重樫一季を無償で助ける道理なんてないからね」

「……俺は、お前のこと友達だと思っていたんだけどな」

「冗談よしてくれよ。そもそも、僕が君とまともに会話をしたのは今日が初めてじゃないか」

「まあ、そうではあるが……」


 慎二という人間に抱いていた印象が、学園で初めて友達ができるかもしれないという淡い期待と共にその形を失っていく。


「流石の僕も驚いたよ。まさか、一季があの七海エルザさんをストーキングしていたなんて。おかげで君をここまでおびき寄せることが出来たんだから、そのことについては七海さんにも感謝をしないとね」


 決して学園では見せないであろう慎二の歓喜に満ちた表情、そして狂気的なほどに吊り上がっていく口角。


「ようやく、ようやくだよ。この地下放水路を見つけてから、僕はずっとこの瞬間を待ちわびていたんだ……」

「この瞬間? 慎二、お前は何を言って」

「決まってるだろ、そんなこと!」


 人が変わったような慎二の怒号を発端として、続いて発砲された石化の弾丸が今度は俺の左脚に直撃する。


「……! や、やめろ……慎二!」

「やめるわけがないだろ⁉ そんなちゃちいナイフで、碌な『祝福』すら授かってない玩具で僕ら『殺し屋』の真似事をして! ずっと前からウザったらしくて仕方なかったんだよ!」


 対象の身体を石にしてしまう弾丸の応酬が、慎二の憎悪を帯びて降り注ぐ。


「みんな言ってるぞ、君みたいな痛々しい無能は学園のお荷物だって! だからさっさと死ね! 死んで、地獄の底で天使様達に詫び続けろ!」

「あ、あああっ……!」


 石化による神経の鈍化により、銃撃の激痛は痺れる程の冷たさとなって全身を駆け巡る。


「不思議だろ? どうして僕が一向に、君の頭や心臓を狙わないのか。今その答えを見せてあげるよ!」


 両腕部に腹部に、合計五発の弾丸が体内に埋め込まれた頃。絶頂に満ちた慎二の視線は徐に、地下神殿に広がる暗闇へ向けられる。 


「この音は……」


 地下全体を揺らす地響きを生身で感じたその瞬間、けたたましい叫び声が周囲一帯の空気を歪に震わせる。


「グッバイ、一季! 地上から君の叫び声を、『悪魔』に喰い殺される断末魔を聞いておいてやるよ!」


 いつも通りの爽やかな口調で俺に別れを告げると、慎二は逃げるようにして地上に続く梯子を登っていく。


「待て、慎二……!」


 石化は首元まで侵食しており、握りしめているナイフも右手と一体化して灰色の石と化している。故に俺は声だけで慎二を引き留めようとしたものの、微かに絞り出した声は姿を現した悪魔が発する轟音により掻き消された。


「……あ」


 地下神殿の仄かな照明に照らされた、全長二十メートル程はあるであろう巨躯。遥か後ろまで続く蛇のような身体は地面を這い、その全身を覆う青色の鱗は動くだけで周囲のコンクリートに削り跡を付けていた。


「こいつは……」


 教員である天使が以前、授業中の雑談として他愛もなく話していたA級悪魔。その時耳にした特徴に瓜二つの怪物が、鋭い牙を携えた大口を開いてこちらへ迫っていた。


「リヴァイアサン……!」


 名前の由来さえ分からない、しかしこれまで数えきれない程の人間を葬ってきた強大な悪魔。俺のような道半ばの生徒どころか、幾重の死線を潜り抜けてきた殺し屋でさえ一人では太刀打ちできない異形。


「だ、だれか……」


 助けを求めようと首を動かしても、この地下神殿における俺以外の人間はがむしゃらに梯子を登っている慎二のみ。


「……ここまで、なのか?」


 身体は動かず、目の前の悪魔を倒す術も存在しない。リヴァイアサンの饐えた生温かい吐息を直に浴びて、己に迫った死期を悟った。


「俺は、ここで死ぬのか?」


 石化とはまた別の冷たさが、身体だけではなく心の芯さえ冷やしていく。俺は悪魔に喰い殺され、慎二は上手い嘘を吐いて今回の出来事を事故に見せかける。凍える程容赦のない現実は、そんな無意味な死が俺にさえ降りかかる事実を否応なしに突き付けてくる。


『ねえ、一季』

「え……?」


 死にゆく脳内で再生された走馬灯の中で、懐かしい女性の声が俺の名前を呼ぶ。


『一季はこれから、どんな大人になるのかな?』


「……先生」


 遠い昔、俺を死の毒牙から救った黒色の片翼。今も焦がれている『漆黒の天使』の笑顔が、翼の色に見合わない眩しさと共に遠い記憶の中で花開く。


「……フ、フフ」


 凍えた心さえ溶かす温かな懐かしさを胸に秘め、今も俺の心を抱擁のように優しく縛り付ける願いを思い出す。


「フフフ……!」


 彼女から貰った大切なナイフ、そこに込められた溢れんばかりの祝福を握りしめ改めて誓う。


 どんなに苦しいことが、どんなに辛いことがあっても。彼女のように強く立ち向かい、いつだって笑っていられるかっこいい大人になってみせると。


「フ、フハハハハハハ‼」


 リヴァイアサンの怒号にも負けず劣らず、心の奥底から湧き上がる高笑いの声が地下神殿の暗闇で木霊する。


「そうだ、俺は……死なない!」


 ナイフの刀身は仄かに光る白色を灯し、固まった右手に生命の息吹をもたらす。


「この、『不死の祝福』がある限り‼」


 光を纏ったナイフを振るい、石になって固まった胴体を刃で突き刺した。


「な……これは⁉」


 梯子を十メートル程登っている慎二は、俺を取り巻く白色の光を見て目を丸くしている。


「一季、これが君の祝福の真の力なのか……⁉」


 俺のナイフが宿した祝福、それは『不死』の力。普段はどんな斬撃も当てることができない、殺し屋達にとっては大ハズレの能力と言ってもいい力。

 そんな嘲笑の対象でしかない祝福はたった今『石化』という一種の仮死状態を打ち消し、身体を覆い尽くしていた石化の皮を忽ち剥がし落としていた。


「あと、ちょっと……!」


 身体を覆う石は左脚だけとなり、リヴァイアサンの大口が数メートル直前まで迫る。


「よし、今だ‼」


 二メートル、一メートルと巨体が迫る最中、ようやく左足の石化が指の先まで解ける。躊躇をする暇なんてコンマ数秒すら存在せず、胴体からナイフを引き抜くと同時にその場から飛び上がった。


「……っ!」


 走り幅跳びの要領でジャンプした背中すれすれで、リヴァイアサンの牙は断頭台の刃が落ちるよりも早く閉じられた。


「……ふ、ふざけるな‼」

「慎二……?」


 着地して息を整えていると、頭上から慎二の焦燥に満ちた怒号が聞こえてくる。


「何なんだよ、そのふざけた祝福は⁉ 石化の祝福を打ち消すなんて、そんな力があっていいはずがない‼ 君は僕が、この拳銃を手に入れるためにどれだけ苦労をしたのか分かって――」


 八つ当たりにも似た慎二の喚き声が不意に止み、その比較的整った顔はおぞましい程の恐怖に歪んでいく。


「く、来るな……」


 騒々しい怒号に反応したリヴァイアサンは標的を俺から慎二に変えて、地上に続く梯子へ昇るようにして迫っていく。


「う、うわああああっっ‼ 来るな、来るなって言ってるだろ‼」


 慎二は再びハンドガンを握り、石化の弾丸をリヴァイアサン目掛けて発砲する。しかし銃撃を受けても大蛇は止まらず、弾が当たった部分が石化していく様子すらない。


「ど、どうして……⁉ どうして僕の力が利かないんだよ……⁉」


 憔悴した顔のまま再度発砲を試みているが、弾丸を全て打ち尽くしたハンドガンはいくら引き金を引いても空砲すら鳴らさず。


「慎二、逃げろ‼ 早く‼」


 必死に慎二へ呼びかけるが、錯乱状態にある慎二は空の引き金を何度も引き続けるばかり。


「ぼ、僕は最強の殺し屋だ……! この世で最も天使様に近しい、誰よりも優れた人間なんだ……‼」

「慎二‼」


 精一杯の声は慎二に届かず、リヴァイアサンの大口は慎二だけを狙って開かれる。


「しん――」


 重苦しい鉄が軋む音と共に、慎二の叫ぶ声が一切聞こえなくなる。リヴァイアサンは梯子ごと慎二を食い千切り、口から滴り落ちる真っ赤な鮮血ごと何もかもを丸呑みにした。

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