アンデッド・エッジロード ~死なない君に祝福を~
秋茜
第一部 紅の国編
第一章
第1話 宿敵、七海エルザ
「慎二、お前は今幸せか?」
「どうしたのさ急に」
学園からの帰り道の途中、隣を歩く同級生の慎二へ何気なく声をかけてみる。
「なに、そう難しく考える必要はない。道端で小銭を見つけたとか、棒アイスが当たりだったとか、そのぐらい気楽に考えてくれればいい」
「あー、そうだなあ……」
唐突な質問に臆することもなく、慎二は落ち着き払った様子のまま答えを口にする。
「そういう意味で言えば、幸せかな。今日は体育で七海さんとペア組めたし」
「……何?」
聞き捨てならない慎二の言葉により、得も言えない焦燥感が俺の全身を蝕んでいく。
「お、お前……どうしてそれを先に言わないんだよ!」
「いや、これぐらい一季に言う必要無くない?」
「それは、そうだが……」
抱いていた心配事が杞憂だったとは分かったものの、今度はその原因が気になって仕方なくなる。
「それなら慎二はどうして、教室であんなつまらなそうな顔をしていたんだ?」
「え? 僕、そんな顔してた?」
「ああそうだ。クラスの連中も体調でも悪いのかって心配していたぞ」
「そ、そっか……」
慎二は申し訳なさそうに顔を俯かせ、口元から力ない欠伸を漏らす。
「……実はここ最近寝不足なんだよね。ほら、そろそろテストも近いから」
「テストって、まだ三週間も先じゃないか」
「何言ってるのさ、もう三週間しかないんだよ。一季もそろそろ本腰入れた方がいいんじゃない?」
「……フフ、愚問だな」
慎二からの追求を跳ね返す右手を真っすぐ掲げ、空に浮かぶ太陽の光を遮る様にして顔を覆い隠す。
「長きに及ぶ学習など必要ない。民衆が寝静まる夜半の刻、瞬きの内に数多の英知は我が物になるだろう……」
「要は一夜漬けタイプってこと?」
「……そうだ」
慎二から冷静に指摘されると却って高揚の熱は冷めてしまい、掲げていた右手はゆっくりと顔から離れていく。
「そもそも、だ。俺にはテストよりも大事な用事があるのだ」
前へ突き出した人差し指が差す先には一人、車道を挟んだ向かいの歩道を歩く黒髪の女学生の姿がある。背中には大きなギターケースのようなものを背負っており、その真っ黒な塗装はさながら死体を納める棺桶のようだ。
「あ、七海さんだ」
慎二は視線でその女の姿を捉えるなり、納得したように拳で手のひらを叩く。
「やっぱり、一季って七海さんのこと好きなんだ」
「な……⁉」
「分かるよ。七海さんって二年生の中でも美人だって評判だし。そろそろツバつけておかないと、誰に取られるか分かったものじゃないもんね」
「ち、違う! 大いに違う!」
慎二からかけられたあらぬ誤解を解く為に、掲げていた右手を学生鞄の中へ突っ込む。
「奴は、七海エルザは俺の宿敵だ!」
鞄から取り出したのは、木製の柄と一体になった銀色の刃。刃渡り十センチほどあるナイフは木製の鞘から引き抜かれ、掌の上でその尖った暴力性を主張していた。
「う、うわあ……」
慎二の瞼は取り出されたナイフを見るなり引きつり、額には大粒の冷や汗が垂れている。
「か、一季って本当、面白い奴だよね……」
「一応、褒め言葉として受け取っておこう」
慎二からのたじたじな賞賛を受け取りつつ、遠くを歩くエルザの後を追い続ける。
「そ、それで一季。告白じゃないならどうして、七海さんのことを尾行してるの?」
「まあ、ちょっとした野暮用でな……」
有名人であるエルザに話しかける隙なんて学園内では存在せず、彼女に接触できるのは自ずと校外にいる時だけになる。故に以前から計画していた作戦通り、学園帰りのエルザを追いかけて奴が握る秘密を解き明かすことにした。
「一季、何だかヤバいストーカーみたいだね」
「うるさい、そんなこと百も承知だ……!」
慎二のさっぱりした茶々による苛立ちか、それとも標的を長時間追い続けている緊張感のせいか。気が付けば、ナイフの柄を握る手には痛いほどの力が込められていた。
「……エルザ」
渇望と嫌悪を声に乗せて、不倶戴天の宿敵の名を呟く。
自然と脳裏で遠い昔の過去が、幼い思い出の中で佇む漆黒の翼が羽ばたいた。
「あ、一季! 七海さんが!」
「え?」
慎二のはっきりとした声により、朦朧としかけていた視界が冷水を浴びたように覚める。標的であるはずのエルザはこちらの存在に感づいたのか、いつの間にかアスファルトの地面を一目散に駆けていた。
「くそ……!」
エルザよりも数秒遅れて駆け出し、ナイフを握りしめたまま歩道を全速力で走る。
「流石、我が宿敵といったところか!」
両脚を必死に前へ前へと動かし続けるが、それでもエルザとの距離は一向に縮まらない。やはり一朝一夕の努力だけでは、学園一の秀才でもある彼女との差は埋まらないらしい。
「……どこに行った、七海エルザ」
二キロメートル程走った所で立ち止まり、僅かに乱れた息を整えながら周囲を見渡す。エルザが細い路地へ入ったのを最後に、標的である女の姿をすっかり見失ってしまった。
「一季、ここからは二手に分かれて七海さんを探そう!」
「慎二……?」
慎二は俺と違って息一つ乱しておらず、真っ黒な瞳の奥には熱い決意の色が満ちている。
「お前、どうしてそこまでして……」
慎二のこんな顔つきを見るのは初めてで、息を整えながらその理由を当の本人に尋ねてみる。
「……別に、深い理由はないよ。ただ、僕も人の恋路を邪魔するほど野暮じゃないってだけさ!」
爽やかな言葉を颯爽と言い放つと、慎二は一人エルザが消えた路地へ走り去っていく。
「……だから、そういうのじゃないって言ってるだろ」
予想だにしていなかった慎二の余計な気遣いを、自然と緩む頬と共に受け止める。
「年貢の納め時だ、七海エルザ!」
追いかけている背中が間近に迫っていることを確信し、心の奥底から漲る熱をエンジンにして走り出す。向かう先は慎二が走った方向とは逆方向、予想通りに事が進めばエルザを挟み撃ちに出来る位置だ。
「時間は残すところ二分ほど、といったところか」
居住区に面した大通りを途中で曲がると、人間用の食材を売るスーパー、そして学園の制服を修復してくれる仕立て屋など、俺にとっても馴染み深い店々がいくつも立ち並ぶアーケード街に入る。
「――聞いた? また、悪魔が」
「――大丈夫よ。天使様の祝福が」
「…………」
聞き飽きた日常の中を、剥き出しのナイフを手にしたまま走り続ける。
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