第18話 ビルより高い本棚

「そろそろ行くぞー」

 匠さんが僕と綾見を呼ぶ。綾見は虹の練り方について書かれた本を残念そうに元々あった床にそっと置き、僕らは目的地を目指して行進を再開した。壁一面の本、床に転がる本、その一つ一つに虹を生み出すような知識が閉じこめられていると思うと僕の胸は自然に踊った。

「本棚にどんな本が並んでいるか綾見には読める?」

「一つ一つはさすがに読めていないし、タイトルからの予想でしかないけど……歴史、地理、学術、童話っぽいものがあったかな。今はずっと数学? なのかな、数字が混ざった本ばかり」

 ノーベル賞級の発見が所狭しと書かれているのだろうか、それとも、常識が違うせいで僕たちの世界では全く役に立たない数字の羅列でしかないのだろうか。いずれにしても読めるものなら読んでみたい。図書館で本が読めないのがこんなにもどかしいとは思ってもみなかった。まだ利用していない高校の図書室には今度感謝の念を持って利用しようと僕は心に決めた。

 読めない本では目印にすらならないと知ったのは通りを何度か曲がってからだ。壁面の本は全部同じに見える。一人で受付に戻ることはもはやできない。脚に疲労を覚えた頃、ついにペニーが羽ばたくのを止めて足を地に着けた。

「到着しました。この棚こそ貴方たちが持ってきてくださった本が本来納められるべき場所です」

ペニーが片翼を広げて僕たちに該当する本棚を披露する。

「この棚って言われても……」

 僕は目の前にそびえ立つ本棚を仰ぎ見た。でかい。本棚と形容するのが間違っているような気さえ起きてくる。横幅は数百メートル、まぁ、それは別に何とかなる気がする。歩いて探せばいいのだから。問題は高さだ。高層ビルに匹敵する高さだ。目を凝らすと天井にくっついているようにも見える。この場所にたどり着くまで梯子は一台だって見かけていない。そもそも、てっぺんまで届いて横移動が可能な梯子なんて存在するのだろうか。

「仮に天井付近にあった場合、ペニーが運んでくれるんですか?」

 僕の質問にペニーは首を横に振った。

「運ぶことはできるでしょうが、生憎私には正しい場所に戻すための眼がありません」

「誘導とか」

「声が届くとお思いですか? 何より、これだけ距離が離れていて、視えるのですか?」

 ペニーの問いに僕は詰まった。

「仮定の話で悩む前に、まずは戻す場所を見つけるが先決だ」

匠さんが方向性を正してくれた。

「見つけるのだって一苦労なんだ、問題は一つずつ解決しようや」

「戻す場所はどうやって見つけたらいいんですか?」

 綾見の疑問はもっともだ。本棚の歯抜け場所を探すだけならペニーにだってできるはず。他にも必要な要素があるんだ。

「境界線を探すのと同じ要領よ」

今度はマリアさんが答えてくれた。

「光を探すの。――あるべき場所にモノが無いとき、綻びから光が漏れる」

「何かの引用ですか?」

 マリアさんの普段の言葉遣いとは少し異なる、何か読み上げたような印象だ。

「ええ、オリジナルは知らないけど、私と匠は大文字さんに教えてもらったわ」

「とにかく、光っている場所を探せばいいわけですね」

「そういうこと。とは言っても見つけるのは簡単じゃないわ。手分けして探しましょう」

 僕と匠さん、綾見とマリアさんがペアになり、ペニーを起点に左右に別れて光を探すことにした。境界線を見つけるときとは違い、焦点を合わせる必要はないらしいが、眼を凝らすことに変わりはない。僕は眼を上下に動かしながら、些細な光も見逃さないよう匠さんと共にゆっくりと歩き始めた。

 簡単に見つかるとは思っていなかった。が、巨大な本棚の端まで歩き着いて折り返し出発点にまで戻ってきたが、蛍の光すら見つからないとさすがに肩が落ちた。綾見組も同様らしく、彼女たちも力なく首を振っていた。

「要するにだ、目的の場所は上ってことだ」

 匠さんは首に手をあて、悩ましそうにそびえ立つ本棚を見上げた。

「どうしよっか?」とマリアさん。

「よじ登るのが不可能、ってわけでもないが、縦に動けても横の動きは……いずれにしても確認する時間は今の比じゃない。最低でも当たりは付けなきゃな……」

 匠さんが喋っているのを僕は眼鏡をシャツの端で拭きながら聞いていた。黒板や映画館のスクリーン、何かを良く視たいとき眼鏡を拭くのは視力が悪い眼鏡族の共通の動作だと思う。今がまさにそうだ。眼鏡を上に向け、汚れが残っていないことを確認して掛け直そうとしたまさにその時、フレームの『外側』で煌めく何かを僕は視た。慌てて眼鏡を掛け直して眼を細めるも、捉えた煌めきは見つけられない。

「……まさかね」

 独りごちて僕はおもむろに眼鏡を外した。

 すると――

「視えた」

 光だ。マリアさんが説明した光だと直感が告げる。

「二見くん?」  

 僕のつぶやきに反応した綾見の顔は裸眼視力でぼやけている。

「あそこ、光っていないか?」

 僕の指さす方向に綾見の視線が飛ぶ。

「……視えないよ?」

 綾見の否定が耳に入るが、僕の視線の先には確かに光が灯っている。

「匠さんマリアさんも視えないんですか?」

 ぼやける視界でも匠さんとマリアさんの表情がノーと告げていることは認識できた。

「そんな……」

 僕の見間違いなのか? あれほどはっきり視えるのに? でも裸眼でしか視えない理由は僕自身が説明できない。やはり僕の眼がおかしいのか? 疑問がぐるぐる頭を巡る。

「疑うわけじゃないさ」

 僕の混乱を止めてくれた一言。匠さんは僕の指さす方向を見つめたまま言葉を続けた。

「言ったろ? 広大には広大しかできないことがあるって。綾見に文字が読めたように、広大には視えるんだ。俺たちに視えない光を見いだせる」

「広大くんがいなかったら、今回の仕事はかなりキツかっただろうね」

 ありがと、とマリアさんも僕にお礼を言う。

「信じてくれるんですか?」

「何? もしかして嘘ついてるの?」

「とんでもない!」

 僕は強く手を振って否定する。

「簡単に信じてくれたから」

「こんなヘンテコで常識の通じない世界にいるんだから、仲間くらいは信じなくちゃ」

 マリアさんの言葉に心がじんわりと暖かくなる。

「だけど、どうして裸眼じゃないと視えないんでしょう?」

「知るわけない」

 匠さんとマリアさんの声が重なり、マリアさんが付け足す。

「言ったばかりでしょ、常識は通じないの」

「広大、もう少し具体的な場所は分かるか? 距離は測れないにしても、光の真下には行きたい」

 あとは一直線だ、と匠さんは締めた。

 ぼやけた視界の中、光の輪郭だけはくっきりと視えた。見上げる格好のままふらふら歩き、光の真下に位置する場所を探す。決して格好いい姿ではないので、僕の動向を見守る綾見の視線が少し恥ずかしい。あっちにふらふら、こっちにふらふら、千鳥足を続けること数分。僕は足を止めた。

「――ここで間違いありません」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る