第10話 目力、最近凄くね?
「一朝一夕で視えてたまるかよ」
事務所で僕らの嘆きに耳を傾けた大文字さんの第一声だ。
「いくら素質があるからって、一朝一夕に視えるもんじゃない。素質を持つ奴はこの世界に多少なりともいるんだ。境界線がほいほい視えてしまったら、この世界の在り方は今とはきっと別物だ。視える力を開花させるには、相応の努力がいるのさ」
「ちなみに、時間にしてどのくらい必要なんですか?」
「寝ているとき以外はずっと目を凝らせ。俺だけじゃない、匠とマリアもそうやって習得した」
時間をはぐらかされたので短い時間ではないらしい。甘い話ではないはずとあらかじめ身構えていたので衝撃はそれほど大きくはなかった。中学で所属していたバレー部と同じでスムーズに動くには基礎練あるのみ。視えるようになるという一点集中型なのが明瞭でよろしい。
「――辞めるか?」
大文字さんの挑発とも取れる問いに、僕と綾見はぶんぶんと威勢よく首を横に振った。
上手く乗せられた気もするが、大文字さんの一言で僕と綾見の心に再び火が着いた。伊豆さんが出してくれたお茶菓子に手を付けることすら忘れ、境界線があるはずの宙に向かって目を凝らした。
以降、毎日が次のとおり。
朝の通学路、信号が変わるまでの横断歩道で信号機との間に何かないかと視えない何かを捉えようと絶え間なく目の焦点を切り替え続ける。授業中、今度は何もない宙の一点にあえて狙いを定め、焦点をぶらさないことを試してみる。そして放課後、大文字さんの事務所で全てを試す……。
「二見の目力、最近凄くね?」
クラスメイトから指摘されたのは大文字さんの事務所を初めて訪ねた日から一週間が過ぎ、ゴールデンウィークを翌日に控えた昼食時だった。
「分かる」
もう一人も同調する。
「入学したときはそんなでもなかったけど、今は目力っていうか、眼光鋭いっていうか」
「マジか。眉間に皺が寄ってるとか?」
眉間に指を当て揉み解す。自覚はないが、常時目に意識を集中させていたせいだろうか。今より視力が下がってしまったら視えるものも視えなくなってしまいそうで怖い。
「眼鏡の度数が合ってないんじゃねぇの? 視力悪化するみたいだから気を付けたほうがいいぞ」
ホントかよと冗談半分で眼鏡を外したその時だった。ほんの一瞬、床から少し上、何もないはずの場所から一筋の光が漏れているのを
「二見、どうした?」
不審を抱かれた声に我に返ると、自分が半立ちのまま硬直して周囲から注目を浴びてしまっている状況に陥っている状況に気が付いた。周囲からの視線の中に綾見のそれもあり、彼女の視線だけが他の誰とも違う意味を持っていた。僕が何かを視たと知ったのだ。
「お騒がせしました~」
苦笑いしながら座り直し、食べかけの弁当を急いで口にかき入れて、空の弁当箱をいそいそと鞄に戻す。
「ちょっと席外す」
一緒に食事していた連中に一言断りを入れて僕はさっさと教室を出た。
特に決めていたわけではないが、部室棟の前で待っているとほどなくして綾見が息を切らしてやってきた。
「視えたの!?」
興奮を抑えきれない様子で彼女が迫る。
「一瞬だけど……光の筋が視えた」
綾見の息を呑む音が聞こえた。僕は続ける。
「廊下から数えて四列目、後ろから二番目の小林の席からちょい右。床から膝下くらいの高さにかけて亀裂から漏れるような光だった。大文字さんが言った境界線ってことになるんだけど、線というより裂け目って印象」
落ち着いて喋ろうと心掛けてもどうしても早口になる。目を瞑れば瞼の裏で光の余韻がまだ残っている――と、ここでようやく僕は自分のことばかりで綾見の気持ちを疎かにしていることに気が付いた。彼女だって僕と同じく毎日必死に努力しているのだ。それなのに先に越され、おまけに自慢気に話された日にはドロドロした感情が心中渦巻いて当然だ。今更になって何か致命的な失言がなかったが不安になる。
「ごめん」
とっさに出た言葉は全く気が利いておらず唇を噛む。
「どうして謝るの?」
あれっ? 僕の不安をよそに綾見はあっけらかんとしており、まさかの笑みがこぼれている始末だ。
「怒ってないの?」
「どうして」
「だって、ムカつかない? 僕、自分が視えたことばかり夢中で話して、綾見の立場だったら……嫌だろう?」
「全然そんなことない」
綾見は言い切った。
「二見くん、それは考えすぎ。おまけに卑屈。同じ目標を持った子が、目指す場所に少しでも手を掛けたのだとしたら、それは喜ぶべきで嫉妬するものじゃない。……まぁ、悔しくないと言ったら嘘になるけど。二見くんと私の訓練の仕方って違わないよね?」
「そのはず」
僕たちは大文字さんに言われたことを忠実に守っている。いや、それ以外の具体的方法を知らないので、言われたことしかできないと言ったほうが正しい。とにかく、注いだ時間に大きな差はないはずだ。
「ということはだよ? 私もあと少しで視えるって考えてもおかしくないよね?」
「単純すぎるかもしれないけど……確かに道理だ」
「でしょ? だから私が怒っているなんて二見くんの勘違い。むしろもう少しで視えるんだって嬉しいよ」
教室でみんなといるときと二人きりのとき。綾見の見せる態度の落差は卑怯だ。君が今僕に向けている笑顔は……ずるい。
「綾見って教室のときと結構キャラが変わるよな」
自覚がないとしたらそれはそれで凶悪だが、綾見は「うん」と頷いた。
「二見くんと話すときは伯父さんがいるときが多いし、家モードになっちゃうの。私、結構人見知りなの」
「初めて僕に話しかけてくれたときは人見知りの雰囲気なんてなかった気がするけど」
僕が指摘すると、照れてしまったのか綾見は目を逸らした。
「あのときは……ついに見つけたって興奮していたし……」
他人の気がしなかったから。ぽつりとこぼした一言は、意識していなかっただろうが僕にとって強烈な追撃だった。頬が緩むのを隠すため、僕は両手で頬をぐいっと揉んだ。
「とにかくっ、教室に戻ったら綾見もその場所を集中して視てみて。僕の席からは視づらい場所だけど、綾見の席からは視やすいと思うから」
かくして昼休みが明けてから放課後まで、僕はちらちらと、綾見は目を皿にして境界線があると思しき場所に目を凝らした。僕の方は首だけでなく身体ごとよじらないといけない場所に位置するだけに昼休み以降再び視ることは叶わなかった。しかし、綾見の方は違ったようだ。
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