第6話 七輪で焙る

 鹿の写真を撮り損ねましたが、その後もひょっこりと顔を出します。遠目から草を食んでいる鹿の姿を動画に収めてみましたが、写りは良くありません。嫁さんのラインにだけ自慢げに送信しておきました。立ち上がったついでに、周辺に落ちている薪を拾います。食事が終わった後に焚火を楽しむためでした。両手に抱えるくらい用意して、椅子の近くに置きました。


 ところで、これから僕は野宿をするわけですが、この野宿という行為はかなり肩身が狭い。この場では野宿と表現していますが、誰かにこうした話をするときは、格好をつけて「ソロキャン」と言ったりします。アニメやユーチューブの影響もあり「ソロキャン」という言葉は市民権を得ました。優雅に湖面を見ながら、背もたれがある折りたたみ椅子にもたれ掛かって、コーヒーやビールを飲んでいる雰囲気です。対して、野宿は何だか汚いイメージが付きまといます。髭の伸びたオジサンが、毛糸の帽子を深くかぶって焚火に手をかざしている。椅子はコンパクトな三脚で背もたれはありません。背中を丸めて日本酒を飲んでいる……僕の勝手なイメージです。


 ただ、ソロキャンと野宿を対比したとしてその大きな違いは「寝る場所」になります。資本主義社会の日本において、登記のない土地はありません。空地であったとしても、そこは誰かの土地になります。なので、普通は誰かに管理されているキャンプ場でテントを張り一泊します。野宿の場合は、誰かの土地に無断で――了承を得る場合もありますが、宿泊することになります。イメージ以前に、本当に肩身の狭いアクティビティでした。僕の場合は慣れているので、人様に迷惑の掛からない場所で楽しんでいます。ゴミを捨てるなんて絶対にしません。僕が宿泊した痕跡も残しません。


 七輪に手をかざしてみます。そろそろ良い加減で炭が熾ってきました。干したカレイを網の上に乗せます。同時に、ガスコンロに火をつけて水を沸かす用意をしました。いつもであれば、コッヘルで味噌汁を作るのですが、今回は熱燗の用意になります。道中で立ち寄った木下酒造で、衝動的に購入した「純米酒(山廃) "Vintage"」を温めるのです。この熱燗の為に、安いマグカップも途中で購入していました。3年寝かした日本酒を燗にしたら、どのような味わいになるのだろう……。非常に楽しみです。


 その前に、常温でも飲んでみました。色は琥珀色になります。口元に寄せて、香りを嗅いでみました。日本酒にはない古酒ならではの甘い香りが漂います。口に含んでみると、やはりカラメルの様な香ばしい味わいと酸味を感じました。過去にも飲んだことがありますが、普段から飲みなれている日本酒のスッキリ感はありません。正直言いますと、好みではない。不味いというわけではなく、何かが足りないのです。僕はウィスキーも好んで飲みますが、ウィスキーが持つクセや刺激が好きです。若いころはそのクセが苦手だったんですが、今ではそのクセの強さを求めたりします。そうしたウィスキーと頭の中で比較しているのか、「純米酒(山廃) "Vintage"」が持つ個性が、中途半端な気がしました。


 湯が沸いたので、マグカップに入れた「純米酒(山廃) "Vintage"」をコッヘルの中に入れます。そのころには、カレイも焼けていました。紙皿に移し替えて、箸を持ちます。中骨に沿って箸を動かし、身をほぐしました。割れ目からカレイの香りが立ち上り、口の中に唾液があふれます。白い身を箸でつまみ、口に運びました。


 ――う、うまい。


 言葉が出ません。カレイは、もともと淡白な味わいの魚です。そのカレイが天日で干すことによって、旨味が凝縮していました。白い身が口の中で溶けていきます。美味しい、美味しい、美味しい。箸が止まりません。カレイの縁側部分もヒレと一緒に食べました。程よく焦げていて、とても香ばしい。このカレイを購入して、本当に良かった。頭と中骨以外は、全部食べることが出来ます。そうこうするうちに、熱燗が仕上がりました。「純米酒(山廃) "Vintage"」の味の変化が楽しみです。商品のキャッチコピーには「熱燗が美味しい。魚の干物と合わせて……」とありました。その真価を確認したいと思います。熱いマグカップを引き上げて、口元に運びます。


 ――やばい。


 キャッチコピーの通りでした。相性ばっちり。マリアージュ。ジュンブライト。永遠の愛。何を言っているのか分かりませんが、とにかく合う。そのことも驚きですが、燗にしたことによる味の変化はもっと驚きました。どこか抜けたような味わいだった「純米酒(山廃) "Vintage"」の個性が強調され、かつキレが生まれました。滅茶苦茶に旨い。この古酒は、絶対に燗にすべきです。温めることで味が完成するのです。なんだろう、とてもふくよかで懐かしい思いにさせられます。この懐の広さは、燗ならではでした。


 気が付くと辺りは真っ暗になっていました。七輪の周りだけが明るい。「純米酒(山廃) "Vintage"」は4合瓶でしたが、あっという間に飲み干してしまいました。これでは足りません。干しカレイは二匹あったのですが、頭だけを残して食べつくしてしまいました。コッヘルの水を入れ替えて、再度沸騰させます。その中に、カレイの頭を入れました。さらに乾燥わかめと味噌を入れて、味噌汁を作ります。


 焼くものがなくなったので、七輪に薪をくべました。よく乾燥していたので、よく燃えます。炎が立ち上りました。ゆらゆらと火の妖精が踊っている姿を鑑賞しながら、今度は家から持ってきた焼酎をストレートで呑みます。段々と頭がぼやけてきました。意識が溶けて、この世界と混じってしまいそうな感覚です。空を見上げると、星が多かった。数えきれないほど多かった。星が多すぎて、星座が分からない。そんな記憶が断片にありつつ、いつの間にか寝ていました。

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