2-9

 放課後、はる玄佳しずか達と別れて文芸部の部室にいった。


 言い知れない窮屈さは一体どこからくるんだろう……なんて事を考えながら。


 中に入ると、奥に凛々子りりこ、その隣の席に多門寺たもんじ寒原かんばら、そして入り口側にもう一人――桜の知らない誰かがいた。


 彼女は、桜の方を振り返った。


 ボブカットにした黒髪が綺麗で、垢抜けた印象を抱かせる。頬のラインは綺麗に丸い。瞳はつぶらで愛らしい。リボンタイの色は一年生だ。年相応に幼さが残る顔立ちは花やかで、桜は自分の住む世界と違う世界からきた人間のようなイメージを抱いた。


「きたか。丁度いい」


 凛々子が桜に気づき、目を通していた原稿用紙を手元に置く。


「あ、えっと……」


 不意にいる一年生に、桜は竦んでいた。恐らくは、新入部員だろう。けれど、なんと声をかければいいのか分からない。


「初めまして! 一年二組、文芸部志望の宝泉ほうせん楽要かなめです!」


 彼女は元気に挨拶してきた。


「は、初めまして……文芸部で、一年五組の、町田まちだ桜です……」


 桜はおどおどと答えて、彼女の脇を通って自分の席に着いた。


「楽要は昼休みに私がここで昼寝してる時に訪ねてきた」


 凛々子は桜の机に原稿用紙を渡してくる。桜は受け取る。『真珠姫』とタイトルがついている。楽要の作品だ。


「そこでこれを渡されて、今まで読んでた。桜、天文部はいいのか?」


 凛々子は経緯を説明しながら、桜に尋ねた。


「えっと、ちょっと、凛々子先輩に作品の相談したくてきました」


 桜は鞄からノートを取り出した。


「なら、丁度よく今日の活動は決定だな」


 凛々子は立ち上がり、奥の棚の本の中から一冊を取り出した。桜がタイトルを見ると『蠢動――町田桜作品集――』と書かれている。


「桜は宝泉の作品を読む。宝泉は桜の作品を読む。私は桜のノートを読む。それで決まりだ」


 凛々子は楽要に桜の作品集を渡し、自分は桜からノートを受け取って、席に着いた。


「あの、凛々子さま……」


「私達は……」


「てめえらは二年生作品集に出せるような短編一本出来上がるまで黙って作業してろ」


 凛々子が多門寺と寒原を鋭く睨むと、二人ははい……と力なく答えた。


 一応、相談はできるのかな、宝泉さんはどんな作品を書くのかな、桜の中にわくわくした文芸の密室への期待が湧いてきた。


「いやー、それにしてもまさか私より早く入って作品集まで作られる人がいるとは思いませんでしたよ町田さん」


「あ……」


 楽要は桜の一つ隣、寒原の右に座って声をかけてくる。桜は人見知りの虫が疼いて、どう返せばいいのか分からない。


「多門寺先輩か寒原先輩に聞きましたけど、凛々子先輩の後継者だそうで……私が奪っちゃうかも知れませんね、その称号」


 強気に言われて、桜は俯いた。


 きっと、宝泉さんは自分に自信がある、そして凛々子先輩がどれだけ凄い人なのかも分かっていて文芸部にきたんだ。僕は全然自信がない。どうしよう、宝泉さんの作品を読むのが怖い。でも、気になる。


「そう……かも……」


 桜の声は、消え入りそうだった。


「いやー、『真珠姫』書き上がるのがもう少し早かったらなー」


 そんな事を言いながら、楽要は桜の作品集に目を通し始めた。桜も、楽要の作品を読み始める。凛々子は一年生二人のやり取りをよそに、桜のノートを読みながらメモを書いている。


 桜が読んだ感じ、楽要の作品は童話的な幻想性を持ちながら耽美な作風を保っていた。作風としては自分よりも凛々子に近い。凛々子の作品は花やかでも息苦しさを感じさせるが、楽要の作品は苦しみですら美しく書くような繊細な気遣いが存在していた。


 人魚の涙から生まれた真珠の姫様の物語は進み、一人のお姫様と一緒になって彼女が病気で倒れ、その遺品として一緒に海に帰る所までが綺麗に進んでいた。


 最後まで読むと、桜は猛烈な劣等感に苛まれた。


 楽要の作品は全体に読みやすく、テーマも明確になっている。桜の読みづらい文体とは大違いだ。


 凛々子を見ると、桜のノートを読みながら何かを考えるように扇子を広げていた。目がいつもに増して厳しい。


 こっそり寒原を挟んだ先の楽要の様子を窺うと――楽要は何故か、絶望に青褪めていた。


「あ、あの、読み終わりました……」


 桜は凛々子にとも、楽要にともなく声をかけた。


「私も読み終わりました……」


 さっきまでの強気なテンションはどこにやら、楽要は悄然とした様子で呟いた。


「で、どうだ桜、宝泉の作品は」


 凛々子は桜に感想を求めてきた。


「テーマが明確で、文体も読みやすくて、面白かったです……」


 桜は言葉少なに答える。詳細な描写も多くあり、それは全て花やかで美しい。同い年でここまで美しく物語を紡げる者がいるという事が、桜には一つの衝撃だった。


「宝泉は」


 凛々子は楽要に声をかける。


 桜はそっと、楽要の顔を見た。


「生意気言ってすみませんでした……凛々子先輩の後継者は町田さんしかいません……」


 本当に、彼女に何があったのかと思う程、落ち込んで、自信の全てを枯らして、楽要は呟いた。


「え……」


 驚いたのは寧ろ桜だ。こんなに落ち込む程の物が、自分の作品にあっただろうか。


「えっと……宝泉さん? 町田さんの作品の凄さ、分かるの……?」


「私達昨日読んで分からなくて困ったんだけど……」


 多門寺と寒原がおずおずと口を開く。


「タモンバラ先輩おかしいですよ!! 町田さんの作品は作風が凛々子先輩と違うっていうだけで、根底にある自然の美しさは一緒です!! 町田さんが凛々子先輩と同い年になっていれば超えてるかも知れません!!」


「えぇー……? そんなに?」


「幾らなんでもないでしょ……」


 多門寺と寒原は懐疑的になっている。桜はこの反応にも特に傷つかなかった。


 その時、凛々子がパシッと扇子を閉じた。


「浅学!! 軽率!!」


 カッと、凛々子は二人に一喝した。


「宝泉の言う事はあながち間違ってはいない。私自身、桜が自分と同い年ならどれだけ嫉妬に駆られたか分からん。それに、桜の作品の根底を流れる『自然』に於いて宝泉は明確に『書き切れていない』くらいだ。私と桜では作風が違うのはもっとも、しかし同じ大地に根差している。花の形が違うからと優劣をつけるのはあまりにも浅慮でありその違いを分からぬのは浅学、そして貴様らの軽率な観察眼にその違いを映す事はまだできない!」


 凛々子はいつものように、多門寺と寒原を叱責した。


「そうですよタモンバラ先輩! っていうか町田さんの凄さが分からないって、凛々子先輩の元で一年間何やってたんですか!?」


「ずっとくだらん妄想じみた駄文を書いてたにすぎんよ」


 楽要の言葉に凛々子が追い打ちをかけ、多門寺と寒原は泣き出しそうな顔で項垂れた。


「え、えっと……」


 どうやら褒められているらしいが、桜は素直に喜んでいいのか分からなかった。多門寺と寒原が思い切り凹んでいるので。


「宝泉は是非自分を後継にと言っていたが、これではっきりしただろう」


「はい! 凛々子先輩の後継者は町田さんです!」


 凛々子と楽要は意気投合と言った塩梅だ。


「いいんでしょうか……」


 桜はそれを言うのがやっとだった。


「私の後継は私が決める」


「異論ありません! そして私は町田さんを支える副部長になります!」


「来年の人事は決定したな」


 ちゃっかり二年生の二人を差し置いて副部長になると宣言した楽要に、桜はたじたじになっていた。


 その後、桜は凛々子からアドバイスを貰い、駅まで楽要に絶賛されながら帰った。



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