第2話小説「米を磨く」落選

 自分の酒蔵から神戸まで他人の土地を踏まずに行くことができると言われる福峰は、若い頃は随分と道楽をしていて、同じ灘五郷の旦那衆から意見されることもあったけれど、年を重ねるうちに落ち着いて仕事に身を入れるようになり、蔵の者たちも安堵していた。


 福峰の酒蔵は通りに面した表屋が商いを行う店棟となっており、通し土間が奥へと突き抜け、前庭を挟んで離れの東棟が酒蔵と杜氏を頭に蔵人の寮となっていた。


 その年は米作りも首尾よく、福峰の蔵でも収穫された酒米が次々と蔵へ運ばれてくる頃のことだった。広大な敷地に車が乗り付けられ、蔵人が米を運び込んでいく。秋とはいえまだ日差しは夏の名残りで強く照りつける午後だった。腕まくりをして忙しく働く若者たちを福峰は杜氏と共に眺めつつ、今年の造りについて話していた。


 すると、店の方から店員が土間を駆けてきて、こちらへ向かって大きな声で「旦那さん、お客さんです」と呼びかけた。仕入れの帳面を杜氏に渡し福峰が店棟の方へ戻ると、玄関の土間に三人の学帽をかぶった青年が並んでいた。


 青年達は福峰を見るや帽子をとると、丁寧にお辞儀をした。


 福峰は意外な来客に幾分驚きはしたものの、すぐに先代、先々代から教育に力を注ぎ、学校創設、寄付などを盛んに行って学生自らの御礼言上などを受けることがあったので、今回もそれだろうと鷹揚に頷きながら「やあ、こんにちは。今日はどんなご用で」とにこやかに彼らを迎えた。


「お忙しいところを突然お邪魔して申し訳ありません。僕らは一中の新聞部の者です。こちらの酒造りについて取材の申込をさせて頂きたく伺いました」


 福峰は大学ではなくまだ子供の面影を残す一中の学生がわざわざ酒造りについて……というのがおかしくて、口元が緩むのを戒めるように顎を撫でた。酒も飲まれへんのになあ。


「酒造りのなにを新聞の記事にするんや」


「僕らはもちろんまだ子供やさかいお酒のことなんて知りません。けど、地域の大事な産業ですから、記事に取り上げたらみんな興味あるんと違うかと思てるんです。蔵からもうもうと蒸気があがるん見かけるし、なんか唄歌てはるんも聞こえるやないですか」


「……なるほどなあ。ふうん、学生さんいうんは面白いとこに目をつけはるねんなあ」


 福峰にしてみれば酒造りなど生まれた時からそこにある当たり前のものだったので、なんの疑問も感じたことはなかったのだけれど、言われてみると確かに米を炊くのではなく蒸すからこその吹きあげる蒸気であり、酒造り唄は作業工程によってそれぞれにある……など誰が知る機会があるだろう。


「近くにいてても知らんいうんは、おかしなもんやなあと思て」


「地元の産業に興味持って貰えるいうんは嬉しいわ。ちょうど今、米を蔵の方へ運んでるところやよって見学したらええわ。聞きたいことがあったらなんでも聞いてえな」


 夏の間によく焼けたのであろう黒い顔をぱっと輝かせて、三人は「ありがとうございます」と声を揃えて頭を下げた。


 福峰から若い蔵人や杜氏にも頼んで彼らの案内をしてもらい、学生達は熱心にメモを取り、感心しながら蔵の中や仕事を見てまわった。


「米を磨くってなんですか?」


 蔵人の説明を聞きつつ、学生の一人が福峰を振り向き尋ねた。


「ああ、精米することを磨くって言うんや。君らが普段食べてる飯かて、白い米やろ。酒も同じや。ただ、その精米っていうんがとにかく削って削って、米のほんまにええとこだけにするんや。その加減で酒の味が変わるよってな」


「……お米を削るやなんて、もったいない話しですね」


「そうやなあ」


「お米を削って、言うてみれば無駄を出してるってことになると思いませんか」


「無駄……」


 なぜだろう。福峰は一瞬ぎくりとした。そんな風に考えたことはなかったのだが、言われてみれば確かにわざわざ実ったものを磨いていくのは無駄をだしているとも言える。しかし、そうすることで雑味のない味を生み出す。同時にその為の精米機の進歩と酒造りそのものの進化を実現させてきたのだ。


 科学の発達などに犠牲が伴うのと同じように酒造りもまたそうなのであろうと、福峰は今になって思い到った。


 学生達の澄んだ眼差しが向けられるのを、福峰は真っ向から受け止めた。


「お米を無駄にしたら目が潰れるとか、米一粒に八十八人の神様がいてるとか言うなあ。僕らかてそない思てる。酒造りの命は米と水や。米を削るいうんは僕ら蔵人の命を削るんと同じことや。そうでなかったらこんなもったいないことはできんし、だからこそ旨い酒造りに挑んでいかんとあかん。無駄やと思えばすべては無駄になってしまう。でも心がけひとつで無駄にせんことができるんや。せやから磨くっていうんや。僕ら蔵の者は皆、米を磨くと共に己を磨いてるんや」


 学生達は実に感じ入ったように何度も頷き、引き続き酛作りのこと、搾りについて話しを聞き、「いいお話しを聞かせて頂きました。ありがとうございました」と礼を延べ、新聞ができたら持ってくると言って帰って行った。


 かつての放蕩を知るだけに杜氏がなにか言いたげににやにや笑っているのを、福峰は「なに笑てるねん」と気恥かしそうに表屋へ戻って行った。


 然して学生達が福峰の蔵を再訪したのはその年の初搾りの朝だった。あのよく陽に焼けた青年たちがその色もすっかり褪めて白くなり、しかも頬が削げて精悍な顔つきになっているのに、福峰は「えらい白なったもんやなあ。それに痩せたようやないか。ちゃんと飯は食うてんのんか」と冗談めかして言った。


 学生達はふふと笑い「今年の酒造り、無事にできたようですね」と妙に大人びた口調で酒蔵に視線をやった。


「……ふん、まあ、そうやな。お米の神様にも申し訳がたつっていうもんや」


 新聞はうまく書けたのか問うと学生達は大変好評でしたと微笑んだ。


「そうや、君らはまだ飲まれへんけど、親御さんに一本持って帰ってくれ。今年もええ出来や。ちょっと待っといてや」


 福峰は今まさに瓶詰めをしているところへ行って、馥郁とした香り立ち込める蔵の空気を胸一杯に吸い込んだ。そうして四合瓶を抱えて彼らの元へ戻って来ると、学生の姿はなく、ただそこには心白にせまった磨かれた米粒がぱらりとこぼれているばかりだった。



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