第10話 少女は選べない

 ぬるくなってしまった麦茶を煽って、微妙な顔をするアスターを、今度は葵がまっすぐ見つめる番だった。

 葵の中で、何度も何度も、魔法使いという偶像の形が、崩れてはがれきの山になって、かと思えば塔のように積みあがっている。勿論、崩しているのも積み上げているのも、どちらもアスターだ。


『君がどんなイメージを持っていたのかはさておいて、そもそも現代社会における魔法使いなんて、自己都合で悪さをするやつか、悪さをして月に幽閉されているやつのどっちかしかいないって』

『悪魔の魔に、法則の法で魔法だよ。悪魔と取引して初めてその法則を使うことが出来るんだ。つまり、悪魔と取引するような、ろくでもないやつしかいないってこと』


 数日間の付き合いだから、正直な話、葵から見たアスターは、貰った言葉からの印象が全てだ。

 だからまず、葵の中にあった、シンデレラを舞踏会に送り出すような善良な魔法使い像は、アスターのせいでがらがらに崩れ去った。悪い人、悪魔、幽閉、なんだか薄暗いキーワード。ひどい話だと思う。しかも、葵は今、魔法使いをテーマにしたカプセルトイを集めている最中だというのに。

 頼んでもないのに願いを叶えると言われて。余計なお世話だといいたいけれど、自分の手首と、相手の首に括られた黒い痣のような輪っかが、葵の願いの成就を見届けるまで消えないと分かって。いつの間にかアスターのペースに乗せられて、葵がうっかり溢した「彼氏が欲しい」を叶えることになって。


 悪いひとだ。とっても、ずるくて悪いひと。幽閉されているくらいだし、きっと悪いこともやったひと。それでいて、何かと自己肯定が高くて、意外と思っていることが顔に出る、変なひと。

 そして、いま、葵の中で積みあがった新しい魔法使い像が、再びぐらぐらと崩れそうになっている。ここが賽の河原であったなら、鬼がわざわざ崩しに来なくても、自壊しそうなほど、ゆら、ぐら。


 優しい、んだろうか。

 それとも、ただ、うっかりしてしまったんだろうか。

 判別するには、まだ、葵はアスターのことを何も知らない。


(……でも。言わなきゃ、わかんなかったのに)


 アスターの目的はひとつだ。自分をガチャポンで引き当てた「誰か」の願いを叶えて、アスター自身の刑期を短くすること。

 そしていま、仮とはいえ葵の願いとして掲げられているのは、「彼氏が欲しい」ということ。


 それだけを踏まえれば、アスターはまず、葵に魔法の本質を伝える必要はなかった。十二時の鐘なんて存在しないと、嘘をついても彼の目的に障りは無かったのだ。

 相手に、葵が魅力的に見えるような魅了の魔法をかけて、その状態で葵に告白をさせる。そうすれば、間違いなくカップルは成立し、葵の「彼氏が欲しい」という願いは叶えられたはずだ。そして、アスターも願いを叶えたことにより刑期が短縮される。おそらく、この願いでの最短ルートだ。


 例え、そのあとに魔法の効果が切れてしまって、気の迷いだったと別れるような事態に陥ったとしても。

 刑期のために働く魔法使いは、誰かの願いを叶えた後は、一定の時間を置いてから再び月へと強制送還されるらしい。ここにある体も仮初で、あくまでアバターのようなものだとぼやいていた。それに、魔法使いと人との出会いは一期一会だとも。

 一度願いを叶えた人間があの黒い魔法使いのガチャポンと巡り合うことは滅多にないらしいし、一度月に戻った魔法使いが再び同じ人間に引き当てられる確率も限りなく低いのだとアスターは言う。

 だったら、尚更。悪い魔法使いならば。もう二度と出会うことも無いのだからと、嘘で騙して文面上の成果だけを持ち帰ったって――勿論、葵だってそんなことをされたらとても嫌だしめちゃくちゃ恨むけど――おかしくはない話だったのに。


(……アスターは、何をして、月に幽閉されたんだろう)


 聞きたい、と思う。

 知りたい、と思う。

 けれど、これはきっと、相手の心の柔らかいところの話で、葵が安易に土足で踏み込んでいい話題ではないことは、なんとなくわかる。

 口元を抑えていた手が、力なく落ちて、胸元の服を握った。


「しっかし、本当にカプセルトイが多いな。ここに飾ってあるの、全部そうだろ?」


 気付けば向かいのアスターは、立ち上がって、葵の部屋を見渡していた。女子の部屋をじろじろみるなと言うには、部屋に泊めている以上は既に手遅れで、もはやどうにでもなれの気持ちだ。まあ、着替えのときとかは、言えば素直に外に出ていってくれるからそのあたりは助かっているけれど。


 葵の部屋には、本棚が二つある。一つは本来の役割を果たしており、流行りの漫画や、バイト仲間におすすめされたいくつかの小説、それから、小さい頃から捨てられずにいるポケット図鑑などが詰め込まれていた。

 そして、アスターが今まじまじと見つめているもうひとつの棚には、これまで葵が集めてきたカプセルトイたちが飾ってあった。他国の有名なダンスを踊る猫や、嘆く棒人間のフィギュアもあれば、磁石で冷蔵庫に張り付けるのが目的の非常階段や、足踏みミシンや黒電話のミニチュア、レトロさを押し出したカフェの看板、実際に販売しているお菓子のパッケージのキーホルダーなどもある。百円ショップで買った台やコルクボードで見やすく整理されていて、勿論、葵がこれまで引いてきたシマエナガたちも、同じ棚の中で整列していた。


「なんか、君が僕を引いた理由が、この棚に詰まってるって感じ」


 百円とはいえ、普通はあんな怪しいガチャポン引こうとか思わないもんな、という言葉は余計だと思う。無言の抗議を視線で向けていれば、アスターは棚からゆるりと葵の方に顔を向けて、目を細めた。


「今朝もバイト前に引いてたし。本当に好きなんだね、ガチャポン」


 柔らかで、耳あたりの良い自然な言葉だった。いっそ、好感度の高さすら透けて見えるような声だった。いつの間にか葵とアスターは真っ直ぐに互いの目を見ていた。

 ぱちぱちと葵は、アスターの言葉を咀嚼するように瞬きをする。

 しばらく何も言わずにそのままだった葵を訝しみ、アスターが眉をしかめた時、ようやくゆるゆると葵は動いた。

 視線はアスターから、葵がこれまで集めてきたカプセルトイたちが並ぶ棚へと持ち上げられる。アスターに横顔を晒しながら、葵はぽつ、と言葉を発した。


「……私、何かを選ぶのが、苦手なんだ」

「……うん?」

「二者択一とか、特にだめ」


 葵はバイト終わりのことを思いだした。四角い箱に詰められた、種類の違う美味しそうなケーキたち。好きなのを選んで、なんて言われたあれですら、葵は選べなくて結局リカに選んでもらってしまった。

 もうずっとそうだ。あの日から、葵はずっと、何かを選べない。


「それで、どうしてもふさぎ込んでた時期があって。そのときに、まだ生きてたおじいちゃんに勧められたのがガチャポンだったんだよね。これなら、葵が玩具を選べなくても、玩具の方が葵を選んでくれるだろって」


 足の裏にこびりついていた後ろめたさを、上から覆って塗りつぶすような言葉だった。そうして、まずはこれを引いてみろと無造作にお金を入れられて、恐る恐る、ガチャポンを回して。

 ぱかん、と。軽い音と一緒にカプセルから生まれた、風呂敷を首に巻いた猫のフィギュアに、ああ、これは何億人もいるひとたちのなかから、自分を選んでくれたのかと感慨深さを覚えたのだ。


「それから、ガチャポンが好きになったんだよね。まあおじいちゃんからしたら、何かしらを買ってあげたいのに何も選ばない孫娘にたいする、苦肉の策だったのかもしれないけど」


 とはいえ、あの時の葵はなりたてとはいえ中学生だった。いつまで子ども扱いするのだとちょっとだけ反抗心があったことは否めない。それでも、祖父の言葉はその反抗心のとげとげすら綺麗に丸め込んだのだから、魔法のようだった。あの魔法は、十二時の鐘が幾度もなったとて、今日の今日まで解けることはなかったけれど。


 ふうん、とアスターが興味無さそうに相槌を打った。まあ、その反応が正しいよなと葵はそれにはとやかく言わない。

 好きという気持ちは本物でも、ただ「好き」と肯定するには自分のなかで不純物が混じっているようで、理由を前置かなければ口に出して言うことが難しかった。だから葵は話したのだが、アスターからすれば急に始まった昔話だ。長年の級友に打ち明けるならともかく、まだ出会って間もない相手から聞く話でもないし、聞いたところで反応にも困るだろう。葵だって気の利いたコメントを求めてるわけではなかったから、それでよかった、のだが。

 アスターは再び葵の目の前にやってくると、どかりとその場で座り込む。綺麗な顔なのに、座り方は意外と荒々しくて、ちょっとだけ意外だ。立てた片膝に肘を置き、そのまま器用に彼は頬杖をついた。


「……でも選べないなんて言ってるけど、すでに君は選べてるじゃん」


 心当たりがなくて首を傾げた葵に、アスターは重ねた。


「モズの魔法使いだったっけ。数多あるガチャポンの中から、あれを選んで回してるんだろ?」


 確かに、ガチャポンの種類は膨大だ。書店の入口ならまだしも、大型のショッピングモールにいけば、それこそガチャポン専用のコーナーが設置されていることは珍しくなくて、何百もの種類のカプセルトイが用意されている。そこでは、子供から大人までもが、パッケージを吟味しては、欲しいなと思ったものを選んで回している。

 でも、葵は違う。違うのだ。好きでも、最初から違った。


「……あれはね、黒沢さんが選んでくれたんだ」


 年齢が近いうえに、高校生だからかにバイトの時間がだいたい一緒なのもあって、バイト終わりの駅までの帰り道は、リカか黒沢と一緒になることが多い。そこでたまたまガチャポンを見つけて立ち止った葵に、黒沢が見つけて薦めてくれたのがこの酉の魔法使いシリーズだった。ああそうだ、その時にモズの習性を聞いたのだ。モズのはやにえ。とんがり帽子とフランスパンで表現された、いまだ葵が手に入らない可愛いカプセルトイ。

 じっと見つめてくるアスターの視線を無かったことにするみたいに、葵はゆっくりと目を閉じた。


「……だから、モズは。ただ揃えたくて、躍起になってるだけだよ」

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