第9話 作戦会議

 選んでもらったタルトの入った箱は、リュックサックの一番下に。

 ロッカーに置きっぱなしにしていたカーディガンで動かないように固定したから、おそらく崩れずに家まで帰れるはずだと、葵は踏んでいる。

 帰り道、葵はキーホルダーからもとの姿に戻ったアスターと、葵の家に向かって歩いていた。目立ちそうだな、と思った葵の内心を読んだのか、「隠蔽の魔法を僕に纏わせてるので、そこまで気にしなくても大丈夫」と言われたため、こうしてどうどうと、夏日だというのに暑そうな衣装の彼と住宅街を歩いている。歩きながら、やっぱりそれがあるなら玄関から一緒に入っても良かったのではと、やはり昨日の自分の苦労に首を傾げる葵であった。


「というか、アスター。それ、暑くないの?」


 ひらりと舞うローブの裾を眺めてから、顔を上げてアスターの表情を葵は伺う。答えは短く、かつ即時返ってきた。


「クソ暑いね」

「やっぱり暑いんだ」

「でも、気に入ってるから着てる。ほら、すごい魔法使いっぽいでしょ」


 くるり、とアスターが回ると、ローブがふわりと浮いた。

 確かに、葵の中で描いていた魔法使い像は、こういった服を着ている。足元まで届きそうな長いローブ。頭がすっぽり隠れる様なフードか、三角帽子。それから、杖。

 アスターの魔法をこの目で見るまで、彼を訝しんでいたのは確かだ。だけれど、この格好だったからこそ、魔法を見た上で現実だったのだと呑み込めたのかもしれない。


「以前、僕が願いを叶えたひとが、服飾を趣味にしているひとだったんだよね。それで、それっぽい衣服を作ってくれて」

「そう、なの?」

「……え、なにその反応」

「や。デフォルトでその服なのかなって思ってたから」

「……よくわかんないこと言うね、アオイ」


 デフォルトって何だよ。そう言いながら、葵の隣を歩くアスターの衣服を、葵はまじまじと見つめた。趣味でこういうの、作れるんだ。裾の細やかな刺繍に感動しながら、ふいに沸き上がった疑問に葵はぱっと弾かれたように顔を上げた。


「そういえば、いままでアスターが願いをかなえた人って、どんな願いを持ってたの?」


 出会ってすぐの立ち振る舞いもそうだけれど、先ほどの言葉で確信を得たのは、アスターが刑期を短くするために誰かの願いを叶えるのは、葵が初めてではないということだった。つまり、過去に彼が誰かの願いを叶えてきたということでもある。

 そもそも、他の人は、魔法使いが目の前に現れた時に、一体何を願うのだろう。気になってアスターの目をまっすぐ見れば、アスターは驚いたように目を丸くするも、すぐににやっと笑った。


「ああ、参考にしたいんだ? でも残念、秘密」

「え」

「流石に、彼らの心の内側の、柔らかいところの話だからね。願いの内容までは僕の口からは言えない」

「それもそうかあ……」


 何かヒントが得られればと思って聞いたが、至極当然な理由で却下されてしまった。葵は肩を落とす。

 そんな葵を見かねたのか、そっと、アスターが付け加えた。


「ああでも……どろどろしたやつから、まぶしいやつまであった、とだけ言っとこうかな」


 葵は再び、アスターを見る。端正な横顔は、バイト仲間で大学生の東ほどまだ大人びてはなくて、なんなら葵や黒沢たちと同じぐらいに思える。それでも、言葉の端々から経験の数が違うのだと、ふとした瞬間に思わされている。隣を歩く、大人一人分開いたこの距離は、きっと見上げた空に浮かぶ星と星の距離と一緒なのだろう。近いように見えて、その本質はずっとずっと、何光年も遠い。


「まあ、彼氏がほしい、は初めてだったけど」

「う」


 それでも、いつか草原に寝転がった誰かが指先で星と星を繋いで、星座を作り上げたみたいに、葵はアスターと繋がっていた。


「ま、話を戻すよ。今の季節が夏だから、見た目的に気になるかもだけど、そこまで葵が心配しなくても大丈夫だよ。ある程度の温度調整くらいは魔法で出来るからね」

「便利だね魔法……」

「おすすめはしないけどねー。僕みたいな、有能で、最強で、最っ高の魔法使いだからこそ、こうして絶妙な加減で使いこなせてるものがほとんどだし」


 ひとつひとつの自画自賛がアスターの口から強調されるたびに、葵は思う。本当にこのひと、自己肯定感がめちゃくちゃ高い。


「……きみね。思ったことがぜんぶ顔に出てるんだよ。言っとくけど冗談抜きで、今の僕は魔法使いの中でも有能、かつ優秀だからね」


 ふ、と杖がアスターの手の中に現れる。それが軽く一振りされた瞬間、葵の目の前に小さな魔法陣が展開された。綺麗な円形を前に「わっ」と身を引くも間に合わない。葵がその光とぶつかった瞬間、ぱっと光が散って、花火を見た後のような光の残像だけが目に焼き付く。

 と、同時に、葵のリュックサックが騒ぎ出した。驚いて、背中から前へとリュックサックを回して抱える。タルトが入っているからと慎重に回したはいいのだが、中で何かがばたばたと暴れているのだと理解して、葵はどうしていいのかわからなくなってしまった。

 驚きと、少しの恐怖で固まった葵に変わって、アスターがひょいと手を伸ばしてカバンのチャックを開けると、白い塊がぽんとリュックサックから飛び出してきた。


 その白の正体を、葵は瞬時に理解した。シマエナガだ。

 先がくたりと折れ曲がったとんがり帽子をかぶったシマエナガが、ぱたぱたと目の前を飛んでいる。今朝、葵がバイトに行く前に引いた、累計五体目になるシマエナガのカプセルトイが、アスターによって、公園にあったイルカの遊具のように命を吹き込まれていた。

 リュックサックを抱えたまま、目の前に降りてきたそれを思わず両手の上に迎え入れる。シマエナガの足が、ちょっと掌に食い込んで痛い。でも、こっちをみて首を傾げる姿は可愛い。本物の鳥というよりは、ぬいぐるみが動いているかのようなそれだったが、疑いようのなく「生きている」のだけは分かった。

 アスターを見れば、どうだ、とばかりのしたり顔。


「ね。ソシャゲで言えばSSRだよ、僕は」

「随分と現代に精通している魔法使いだな……」


 たぶん、この魔法使いも。思ったことが全部顔に出るタイプなんだろうなと、葵は思った。



「じゃあ今から、作戦会議を始めます」


 アスターが食べたそうに目で追っていたものだから、仕方ないと半分だけフルーツタルトを分けてあげた葵が、皿を片付けて部屋に戻ってくると、至極真面目な顔でそんなことを言われた。

 葵は、肩に乗ったままのシマエナガと顔を見合わせて、そろって首を傾げた。


「作戦会議?」


 昨日は部屋に異性が居るだけで落ち着かなかったというのに、二日目でこうも慣れてしまったのが、ホッとしたような悲しいような。


「さっき君が、彼氏にするならって言ってたの。黒沢さん、だったっけ?」

「っ」


 名前のところをあえて強調するあたり、この魔法使いは分かって言っている。意地が悪い。頬を膨らます代わりに歯をかみしめながらなんとも言えない気持ちでアスターを見れば、目が合った瞬間は微笑ましそうな、こっちがむず痒くなるような顔で笑っていたくせに、次の瞬間にはふっと表情を真剣なものに変えた。


「とりあえず君から代案はまだしばらくは出なさそうだし、なんだかんだまんざらでも無さそうだから、彼氏が欲しいという願いを第一希望として僕は願いを叶える方向で行きます」

「…………」


 葵は、フルーツタルトを分けなければよかったと心底思った。

 アスターはふっと、自分の指先に息を吹きかける。それから、空中に人差し指を滑らさせて、文字を書いていった。指先の通り抜けていったところは、アスターの深緑色の瞳と同じ色の光が粉のように残って、まるで見えない黒板にチョークで文字を書いたみたいだった。


「僕のプランはこうです」


 アスターは真剣に文字を書き連ねていった。


「まず君を可愛く着飾る。次、あいつをデートに誘う。で、告白……っていうと君が身構えちゃうか。というよりは、お友達から始めませんかくらいで、お付き合いを申し出る。以上」


 書き終えて、再びふっと自分の指先を拭いたアスターが、再び葵に向き直った。途端に、その目が驚いたように丸くなる。びっくりした猫みたいだなと思いながらも、葵は自分自身も近い表情をしているだろうことを自覚していた。

 猫が二匹、見つめ合う。


「……何、その顔」

「……いや、その。拍子抜けしちゃって」


 首を傾げたアスターに、葵は素直に白状する。


「魔法使いなのに、なんか、作戦は普通なんだなって」


 だって作戦内容だけ見れば、魔法が無くたって、勇気と自信があれば実行できるものだ。魔法使いが手を貸すからには、もっと突飛な作戦が飛び出してくるものだとちょっぴり戦々恐々していた葵は、正座を崩して後ろに会った大きなビーズクッションに軽く背中を埋めた。葵の体が、ずぶずぶとクッションに呑まれていく。


「あー。それはね……」


 対してアスターはバツが悪そうに視線を逸らした。


「……シンプルに、君の願いが、魔法と相性が悪いんだよ」

「相性?」

「魔法は確かに万能なんだけど、ひとつだけ弱点がある。――ほら、そろそろだろ、こっちにおいで」


 首を傾げた葵の肩を止まり木にしていたシマエナガが、アスターの声に応じるように鳴いて、羽を広げる。ばさ、と耳元で羽音がなったと思えば、白い塊のそれは葵の肩からアスターの伸ばした手の上に飛び移った。そして着地した瞬間――先ほどまで羽ばたき、息をしていたシマエナガは、無機質なカプセルトイへと姿を戻し、ぽとん、とアスターの手のひらの中に転がった。

 同時に、先ほどアスターが書き上げた作戦の道しるべも、葵とアスターの間でさらさらと光る砂になって崩れていく。


「――制限時間があること。命を吹き込んだ無機物はいずれもとのあるべき姿に戻るし、光のインクは見えなくなる。例えば相手に魅了の魔法をかけたとしてもそれは一時的な感情で、十二時の鐘が鳴っても続くなんてことは決してない」


 魅了の魔法をかけて、その場で告白でもすれば、確実に良い返事は貰えるだろうとアスターは言い切った。けれど、その関係はかりそめだ。夢が覚めれば、馬車はカボチャへ、キラキラのドレスはボロボロのワンピースへ。ならば、魔法で燃え上がった恋は。


「でも君は、その場しのぎでツギハギの肩書きがほしいんじゃなくて、そのあとの、確かな幸せがほしいんだろ?」


 ――運命的な恋をしてみたいとは思わないけれど、例えば友人のような、明日がひとつ今日より楽しみになるような恋はしてみたい。

 それは、葵がアスターの前で、「彼氏が欲しい」と口走ったあのときに思っていたことだった。

 アスターの前では、友人が羨ましいとしか言っていない。だからこそ葵は今、驚きに言葉を失っている。魔法使いは、相手の心の中も読めたりするんだろうか。いや、でも、それ以上に。


「だから、君の願いを踏まえたうえで、僕が君に出来るのは、灰被りの少女を舞踏会にふさわしく仕立て上げるくらいだ」


 思わず口元を抑えた葵を、アスターはまっすぐに見ていた。茶化すでもなく、からかうでもなく、ただただ、真剣に言葉を紡いで、葵にぶつけてくる。シンデレラの前に現れた魔法使いになってやると、そう、彼は言っている。

 そして言い切った後、ふっと力を抜いて、アスターは眉を下げて笑った。


「むしろ、魔法使いが干渉するのは、そのくらいがいいんだよ」


 そうしてアスターは、シマエナガのカプセルトイを、二人の間にあったミニテーブルの上に置いた。

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