第1話 少女の葛藤
眉間に皺が寄っていくのが自分でもわかった。
それでも目の前の現実を受け止めきれなくて、藤村葵は生まれたてのそれを親指と人差し指で摘まむと、そのまま空を背景にするように持ち上げた。
これがビー玉だったら、指の間に光や空を閉じ込めることが出来たのかもしれないけれど、今の葵が持っているのは光を通さない、五百円硬貨ほどの大きさのカプセルトイだ。
むむむ、と葵の唇が不満で横に伸びる。
「……また被った」
心の中で思ったことがそのまま口から飛び出てしまえば、隣で成り行きを見守っていた友人が苦笑いするのが分かった。
「まあ、ガチャポンあるあるだよねー」
「あるあるだけど、流石に四体目となると悲しみを越えて虚無が襲い掛かってくる……」
指先でくるりとフィギュアをひっくり返してみるけれど、どうみたって葵のお目当てとは違う姿だ。とても可愛いのだけれど。
指先で挟まれたシマエナガが、自分の家の棚に既に三羽並んでいるところを思い出す。そこに、想像で一羽を隣に足してみた。うん、被ったのは悲しいけれど、それはそれでやっぱり可愛いかもしれない。それにどれも自分で引いたのだ、四羽とも我が家に迎えいれるのも運命だったのだろうと葵は一人頷くと、これまで投入してきた百円玉たちのことを無理やり頭から追い出して、友人に対して「譲ろうか」と出かかった言葉も飲み込んで、鞄にしまうために腕をそっと下ろした。
「葵は、どれが欲しかったの?」
そんな葵の内心など知らず、友人は首を傾げている。せっかくだし、と葵は、フィギュアと一緒にカプセルのなかに入っていたミニブックを彼女へと渡した。
「なになに、酉(とり)の魔法使いシリーズ?」
「うん。色んな鳥が魔法使いになってるんだ。ほら、これはシマエナガでしょ。他にもスズメとか、タカとか、メジロとかいるんだけど。私が欲しいのはこの子」
引いたばかりのシマエナガを見せつけながら、葵は友人が広げたミニブックに、とん、と指先を乗せて欲しかったものを伝えた。そこには、スズメに似たような鳥が、いかにも魔法使いですと言いたげなとんがり帽子を被って、木の枝みたいな杖を持っているフィギュアがプリントされていた。友人は素直に示された鳥の魔法使いの名前を読み上げる。
「モズ」
「うん。モズ」
「つまり、モズの魔法使い、と」
「そういうこと。しかもみて、三角帽子の先に、フランスパンが刺さってるんだよ。これ絶対『はやにえ』の表現だよ」
過去に色々なガチャポンを回してきた葵だったが、今回入れ込んでいるこの酉の魔法使いシリーズは、見た目が可愛いことは勿論、ラインナップに選ばれた鳥の習性をデザインに盛り込んでくるところが、葵的に高評価だった。特に、葵が一番欲しいこのモズだ。
モズは捕らえた昆虫などを、木の枝に突きさしたり、枝分かれした部分に挟むという習性を持っている。このフィギュアは、とんがり帽子を枝に、フランスパンを獲物に見立てデザインされているのだ。バイト先の先輩にこのガチャポンをおすすめされたときに、ついでにモズの習性について話を聞いたのだが、フランスパンの謎が解けてなるほどと思わず目を輝かせてしまったものだ。
はやにえ、の言葉が何を指すのかさっぱりわからない、とでも言いたげな顔の友人に説明するも、しかし返ってきたのは渋い顔だった。
「うん、可愛いのはわかるんだけど、『はやにえ』の表現にテンションがあがってガチャポンを回すのはたぶん後にも先にも葵だけだよ」
「いやそういうわけでもないけど……でも、わかんないよ。鳥類マニアとか、串刺しされたフランスパンマニアのひとがいれば同じテンションで回すかもしれない」
「待って、串刺しされたフランスパンマニアってなに?」
「とにかく、あとはモズだけくればコンプリートなんだよね」
大事にシマエナガの魔法使いを仕舞いこんで、葵は再び回転式レバーの隣にある値段表記を睨みつけた。しかし睨みつけても泣いて見せても表記は変わらず三百円。もう二回ほど回しているから、もう一度回してしまえば九百円。葵の短時間アルバイトの時給である。お願いだからもっと上げてほしい。
葵は唸った。
「……今日は諦める……? いやでも、次こそモズがくるかもだし……」
お小遣いは自分で稼いでいるし、自分で稼いだお金であれば自由に使っていいと両親から許可は得ている。だがしかし。これでモズが素直に出てきてくれたら問題はないのだが、既に持っている種類のものがまた被ってしまったら、今度こそ立ち直れない気がする。
ただでさえ四羽いるシマエナガが、五羽になったらどうしよう。棚に飾る立ち位置のフォーメーションを新たに考えて、なんなら台座の色を五色に塗り替えてみたりなんかして、ライトや銀テープが似合うアイドルにプロデュースさせるべきだろうか。いやいや、魔法使いなのだから他の動物フィギュアと並べて使い魔のいる魔女っ子にでも見立てるか、もしくは背後での爆発が似合うようなヒーローデビューでもさせたほうがいいのか。
唸る葵に、いつの間にかポケットから携帯を取り出していた友人がこちらを見ずに追い打ちをかけた。
「でも葵、帰りに期間限定のソフトクリームを買うって言ってなかったっけ?」
「……言ったね……南国フルーツソフト……」
頭の中で、コンビニの前に掲げられたオレンジ色の旗がぱたぱたと揺れ始めた。確か、マンゴーとパッションフルーツの奴。
葵の中で、カプセルトイとソフトクリームが天秤にかけられて、ぐらぐらと大きく揺れている。物欲も食欲も拮抗、いや、日陰にいるとはいえ蝉の声が広がる炎天下がいまの葵を包み込む現実だ。暑い。つまり、後者がやや有利で。
「葵、まだここにいる?」
アイスが食べたい。でもガチャポンも引きたい。ぐらぐらしている葵に、友人が伸びをしながら尋ねてきた。「どうしたの?」と首を傾げれば、彼女は持っていたスマートフォンをこちらへ見せるように小さく手首を揺らす。表示されているのはトークアプリの画面で、やりとりの文字までは見えないが、見慣れた吹き出しが交互に並んでいた。さっきスマートフォンを触っていたのはこれだったようだ。
「ええと……りっくんから連絡あって。この近くにいるみたいで、会えたら会いたいって。……会って来てもいい?」
「ああ、彼氏くんかあ。うん、いいよ。会ってきなよ」
「……ありがと、葵」
「いえいえ。それに私、まだ決めるのに時間かかりそうだったし」
もじもじと恥ずかしそうに視線を逸らした友人の申し出に、葵はあっさりと頷いた。バイト帰りに、駅前でたまたま遭遇した彼女を突発的にここに付き合わせたのは葵だったし、この後は帰るだけで特に予定もない。それに、付き合いたての二人の逢瀬を邪魔する気も葵には無い。
あの子が好きなの。
もうずっと前に、こっそりと葵に打ち明けてくれた日から、今日に至るまで、友人は日々可愛さを更新している。晴れて想い人と付き合えてからは、毎日きらきらと楽しそうだ。
勿論、それだけではないのが恋なんだろうし、喧嘩しただとか、ちょっとした意見の食い違いでひどく落ち込んでいたところも見ているけれど、それすら含めて葵には彼女が眩しく見える。
「それにしてもいいなあ、デート」
「ふふ、いいでしょー」
ちょっとした憧憬を混ぜ込んでそう言えば、友人は幸せそうに、屈託なく笑った。
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