第21話 Vanilla Sky

 署に戻ってきた壮介は明らかに不機嫌な様子だった。同僚の刑事たちは話しかけるべきかお互いに目配せし合い、なんとなく気まずい空気になっていた。

 「送ってきたのか」

 何となく雰囲気は感じていただろう陽大はるとが先に声をかけた。壮介はああ、と小さく頷く。

 「えーっと、明日は俺らが現場付近の聞き込みに行ってきます。目撃者を何とか見つけないと」

 「そうだよな」

 同僚刑事たちがその場の空気を明るくしようと、やや大きな声で話す。壮介は椅子の背もたれによりかかり、何かを考え込むように目を閉じていた。

 「でもさ、殺し方の手口から男だと思って探してるけど、女の可能性も完全には捨てきれないんじゃないか?」

 「確かに100%とは言い切れないけど、首を絞めるってやっぱ相当力がいるぞ」

 「だからさ、男だけど女かもしれないじゃん?」

 「何言ってんだ」

 「外見は女でも、体が男の奴もいるだろ」

 「木を隠すなら森に隠せか」

 「そうだとしたら、もっと幅を広げて探さないといけないんじゃないか?」

 「そうなるともう、どこまで広げていいかわかんないな」

 がたん、と大きな音を立てて壮介が立ち上がった。

 「壮介」

 「煙草吸ってくる」

 わざと乱暴にドアを閉めて出ていく。

 「……北山さん、何かあったんですか?」

 「いや、何でもない」

 「けど……」

 「まだ何もわからないなら、決めつけて話さない方がいい。聞き込みをする時も、そこは気をつけてくれ」

 「あ、はい。わかりました」

 小さく息を吐くと、陽大は足早に壮介の後を追った。


 「禁煙したんじゃなかったのか」

 「……吸いたくなる時もあるだろ」

 外の喫煙スペースで手すりにもたれながら、壮介はふーっと煙を吐いた。

 「瀬那ちゃんと喧嘩でもしたのか?」

 「喧嘩するような仲ならよかったけどな」

 「いい感じだったんだろ」

 「わかんなくなってきたよ」

 「やっぱ喧嘩か」

 「俺が一方的に怒ってるだけ」

 壮介の横顔は、怒っているというよりはどこか寂しげな表情だった。

 「さっきさ、あいつら犯人像のことをいろいろ言ってただろ」

 「さりげなく注意しといたよ」

 「しょうがない。俺と瀬那のことを知らないんだし。けどさ、情けないけどさ、俺、一瞬考えちゃったんだよな」

 「何を」

 「瀬那のこと」

 「おまえ、何言ってんだよ」

 「わかってる。そんなのありえないって。だから、一瞬でもそう考えてしまった自分に腹が立つんだ」

 陽大は手すりに背中でもたれかかる。

 「人のこと言えないけど、おまえもけっこう不器用なんだな」

 「うるせーよ」

 「さ、今日の分やってしまおうぜ」

 「どうせおまえは蒼空そらくんといちゃこらしに早く帰りたいだけだろうが」

 「当たり前だろ」

 「少しは友達に遠慮しろよ」

 苦笑しながら煙草の火を消す。陽大の背中を軽く叩き、二人は中へと戻っていった。


 仕事を終えて蒼空に連絡を取ると、まだカフェにいるという返信だった。陽大は迎えに行くことにし、車を走らせた。

 Vanilla Skyに着くと、蒼空はテイクアウト用のコーヒーとサンドイッチを作っていた。

 「夜食か?」

 「差し入れ」

 「誰に」

 蒼空は向かいの花屋に目をやった。見ると、まだ店の電気がついている。

 「明日から新しいバイトの子が来てくれることになってるけど、予約がたまってるから毎日遅くまで仕事してるみたいで」

 「そっか」

 温かいコーヒーのカップを受け取り、陽大はサンドイッチを持つ蒼空の腰を抱いて店を出た。

 道路を横切ろうとした時、花屋から出てくる人影が見えた。

 あれ? 今のははたじゃないか?

 陽大は訝しげに首を傾げながら店に入った。

 「こんばんは」

 「あら」

 「昼間はどうも」

 「昼に来たの?」

 「ああ、壮介と聞き込みに来たんだ」

 「これ、差し入れ。少し食べないと」

 「ありがとう。なんかまだ食欲なくて」

 「無理にでも食べて」

 「わかった」

 「あの、今出ていったのは?」

 「刑事さんです。前も来てましたよ。あの時は映像を回収していったはず」

 「今は何を?」

 「前と同じ、怪しい客がいなかったかっていう確認です」

 「こんな時間まで、熱心だね」

 「ああ、真面目な奴だよ。でも、俺らに何も言ってなかったけどな」

 「何か思いついたんじゃない? 明日聞いてみれば」

 「そうだな」

 陽大は店長が作っていたバルーンがついたフラワースタンドを眺める。

 「この青い薔薇って本物なんですか」

 「生きてるという意味では本物ですね。もともと青い花じゃなく、白い薔薇に色を吸わせて作るんです」

 「そうなんですか?」 

 「ええ」

 「ちなみに青い薔薇の注文って、最近はありました?」

 「たくさんありますよ。青い薔薇はけっこう人気なんです」

 「そうですか」

 店長に挨拶をして、二人は花屋を出た。繁華街の灯りが遠くに見えるが、この辺りはもう人通りも少なくなっている。陽大は蒼空の手を取り、指と指を絡めるように手を繋いだ。

 「店、すぐそこだけど」

 「いいんだよ。俺が手を繋ぎたくなったんだから」

 蒼空は小さく笑った。陽大はちょっと口を尖らせると、握った手にぎゅっと力を込めた。


 部屋に戻って陽大がシャワーを浴びている間、蒼空はソファに座って手書きのメモがたくさん書かれたノートを眺めていた。そこにシャワーを終えた陽大がやってきて、隣に座ったかと思うとごろんと横になり、蒼空の膝に頭をのせる。

 「ちょっと、重いんだけど」

 「冷たいな。俺の癒しの膝枕なのに」

 「子どもみたい」

 「そ、子どもだから甘えさせて」

 「何言ってんの」

 蒼空がぺちんと陽大の額を叩くと、陽大は太腿に頬を擦りつけてその勢いで蒼空の腰に抱きつく。

 「もう、邪魔しないで」

 「何をさっきから見てるんだよ」

 陽大は腿に頭を乗せたまま、蒼空の手からノートを奪う。パラパラとめくると、そこには事件の内容が落書きのように書き記されていた。

 「すごいな、捜査ノートか」

 「俺にできることがあれば、どんな小さなことでもいいから協力したいからさ」

 「十分やってくれてるよ」

 手を伸ばして蒼空の頬に触れる。蒼空はその手を優しく握りしめ、軽く口づけた。

 陽大は起き上がり、蒼空の腰を引き寄せるとその額にキスをした。

 「おでこにキスするの好きだよね」

 「うん」

 「何で?」

 「何でだろ。でもおでこだけじゃなく、ここも好きだぞ」

 そう言いながら、柔らかなピンク色の頬に唇を寄せる。

 「あとは?」

 「ここも」

 鼻の頭にもキス。

 「それから?」

 陽大は微笑むと、ゆっくりと蒼空の唇にキスをする。蒼空は目を閉じ、陽大の肩に腕を回した。

 「明日も早いんだから、キスだけだよ」

 「わかってる……」

そう言いながら、二人は何度も何度もキスを繰り返した。

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