第8話 Vanilla Sky

 店を閉め、外に出てスマホを見ると、もう午前2時近かった。店は午前1時までだが、今日は最後の客が来店時から酔っ払っており、なかなか帰ってくれずに結局こんな時間までかかってしまった。雅人は大きく伸びをすると車も通らなくなった夜道を家に向かって歩き始めた。

 店長がカクテルの世界大会に出場するとかでニューヨークに行っており、明日までは帰ってこない。そのため、この三日間はアルバイトである自分がカウンターに入ってカクテルを作り、客の相手をしていた。店長が大会に出ることを知っている常連は来なかったせいか、それほど店も混まずになんとかやりくりできたが、やはりこういう客商売というのは難しい。しかし、時々自分が店を経営しているような感覚になり、雅人はいつか自分の店を持つのもいいな、と思い始めていた。

 それにしても飲み過ぎたな……。

 最後の客がしつこく絡んできて、セーブしつつもいつもよりアルコールを多めに摂取したせいか、足元がふらつく。タクシーを拾おうにもこの辺りのこの時間では無理だ。

 家まで歩いてくの、めんどくさい。でも友達もみんな寝てるだろうし…。

 スマホの画面を見ようとした時、路地から急に猫が飛び出してきた。驚いてよけようとした雅人はそのままバランスを崩し、転びそうになったところを誰かの体に支えられた。

 「大丈夫か?」

 一瞬のできごとにわけがわからず、咄嗟に声が出なかった雅人だが、やがて転びそうになった自分の体を抱き抱えるようにして支えてくれている男性がこちらを心配そうに見ていることに気づいた。

 「あ、ありがとうございます」

 慌てて体を起こし、その男性に礼を言った。

 「だいぶ酔っているみたいだけど、大丈夫か?」

 「ああ、仕事の帰りで。大丈夫です」

 「あれ? 君はあそこのバーで働いてる子?」

 「え?」

 「俺、昨日行ったんだけど、覚えてない?」 

 「昨日?」

 言われてみると、見たことがあるような気がする。黒い長袖のシャツの上からもわかる厚い胸板、短くすっきりとした髪、手に持っている薔薇の花束と紙袋……。

 「あ、昨日、薔薇の花束を持ってたお客さんですね」

 「やっぱり覚えててくれた」

 「だって、綺麗な赤い薔薇の花束を持ってるのに、すごく寂しそうだったから」

 思い出した。昨日もさほど客は多くはなかったが、すべてを一人でやらなければいけない忙しさと緊張でろくに話すことができずにいた、1時間ほど一人で飲んでいた客だ。

 赤い薔薇の花束を横に置き、一人でじっと考え込むようにしながら飲んでいる横顔が、ひどく暗く、寂しそうだったのを覚えている。

 「花束を持ってプロポーズに行ったのに、断られたら落ち込むだろう」

 「そう……だったんですか」

 「でも君は余計なことを聞いてきたりしなかったから、居心地良かったよ。救われた」

 「本当ですか? そう言ってもらえると嬉しいです」

 雅人は顔を輝かせ、嬉しそうな笑みを浮かべた。

 「だけど、今日も花束持ってるってことは……もう一回チャレンジしたんですか?」

 「まさか。これは、昨日恋人を失った俺が、今日誰か可愛い子に会えたら、それを運命と思って渡すつもりで持って歩いてたんだよ」

 「見た目によらず、ロマンチストなんですね」

 「今日は昨日と違って、ずいぶんおしゃべりなんだな」

 「ごめんなさい……ちょっと飲み過ぎたみたい」

 「いや、それも可愛いよ」

 「え?」

 男は急に雅人の腰を引き寄せると、唇が触れるくらいの距離に顔を近づけてきた。雅人の鼓動がいきなり早くなる。

 どうしたんだ? こんな、見ず知らずの人に抱き寄せられてドキドキしているなんて……でも、昨日お店に来て僕を見てくれてたってことは、見ず知らずでもないのかな……?

 男の息がすぐそばで感じられる。

 「知らない男に抱かれてるのに、抵抗しないのか?」

 見透かされたような囁きに、思わず突き放そうとするが、それより先に男がさらに抱き寄せる腕に力を込め、そのまま建物の壁に押し付けられた。狭い小路で昨日店に来ただけの男に壁に押し付けられ、今にも唇が触れそうなくらいの距離で男の息遣いを感じているこの状況で、雅人は自分が興奮していることに気づいた。

 早く……早く唇に触れてほしい……お願い……。

 「どうしてほしい?」

 「……キスして」

 男はにやりと笑うと、微かに唇に触れた。その感触に、雅人は我慢できずに自ら男の両頬に手をやり、貪るように唇を求める。男は巧みに舌を転がしながら、ゆっくりと片方の手を雅人の腹部へと這わせていった。

 「はぁっ……あ……ん」

 酔っているからか、今まで出したことのないような声が漏れる。

 「ねぇ……ここじゃなく、僕の部屋に行こう」

 「……部屋に行って、どうするんだ?」

 男が意地悪そうに聞く。

 「いっぱい気持ちいいこと……したい……」

 「気持ちいいことをしたいのか?」

 「うん……」

 「……わかった」

 男はポケットから車のキーを取り出し、ロック解除のボタンを押した。数メートル先でオレンジ色のランプが2つ点滅する。

 「行こう」

 雅人は蕩けるような表情で頷いた。


 部屋に入ると、雅人は待ちきれずに男に抱きつき、唇にしゃぶりついた。男は両手で雅人の尻を掴むと、自分の腰に押し付ける。たまらずに雅人はジーンズのファスナーを下ろすと、不意に男が雅人の体を引き剥がした。

 「気持ちいいことしたいんだろ?」

 「……うん」

 「じゃあ、俺の言うことを聞くんだ」

 「どんなの?」

 「まず、服を全部脱ぐんだ」

 男は椅子を引き寄せると、花束と紙袋を脇に置き、足を組んで座った。雅人は言われた通りに服を脱ぎ始めた。男の視線がじっと注がれ、それだけでも興奮が増してくる。

 下着まですべて脱ぎ、全裸になったところで、男が紙袋から女性もののキャミソールを取り出した。

 「これを着てくれ」

 そういう趣味なのか、振られた女性のものなのか……。一瞬迷った雅人だったが、差し出されたキャミソールを受け取ると、そのままそれを上から被った。今まで着たことのないつるりとした布の感触にゾクっと震える。

 「綺麗だ」

 うっとりと男が眺める。雅人は触れられていないのにキャミソールの下で硬く勃起している自分に興奮していた。

 「ベッドに横になれ」

 言われるがままにベッドに仰向けになる。男は紙袋からロープを取り出し、雅人の両手をバンザイの形にあげさせ、手首を縛り始めた。

 こういう趣味の男なのか……。

 手首が終わると、今度は両足を閉じて足首を縛られた。そして、硬くなっている雅人の中心を、ゆっくりと扱き始める。その時に初めて気づいたのだが、男は革の手袋をはめていた。肌ではない、革の感触に、雅人はゾクゾクと感じていた。

 「あっ……あん……だめぇ……」

 女性のキャミソールを着ているせいか、喘ぎ声も知らずといつもより甘い声を出してしまう。

 「も……だめ……イっちゃう……あ……」

 もう少しで射精しそうになった時、ピタッと男の手が止まった。

 「やぁ……やめないで……お願い、して……」

 懇願する雅人の唇に軽く触れるキスをすると、今度は紙袋からピンクのマニキュアを取り出した。

 「我慢するんだよ」

 自分で触りたくても手足を縛られてどうすることもできない。雅人は悶えるように体を反らせた。

 「じっとしてるんだ」

 男は自分のズボンのファスナーを下ろし、硬くそそり立っているモノを取り出した。

 「咥えろ」

 そう言うと雅人の顔の上にまたがった。雅人は夢中で男にしゃぶりつく。舐められながら、男は雅人の縛られた両手の指にピンクのマニキュアを塗っていった。手の指が終わると、今度は体勢を逆向きに変え、足の指にも丁寧にマニキュアを塗っていく。その間も、雅人は懸命に男のモノをしゃぶり続けていた。

 足の指を塗り終えた男は、体をずらすと、少し柔らかくなってきた雅人のモノを口に含んだ。

 「あんっ……」

 突然の快感に雅人は身悶える。あともう少し……というところで、また男は動きを止めた。

 「お願い……」

 寸止めばかりの快感に、雅人は涙を浮かべながら懇願する。男は立ち上がると、薄笑いを浮かべながら優しく雅人の髪を撫でた。

 「どうしてほしい?」

 「触って……」

 「それだけか?」

 「……してほしい」

 「何を?」

 「僕の中で……あなたを感じたい……」

 男は微笑みを浮かべながら、焦らすように雅人の先端に触れた。

 「あっ……」

 そして、ゆっくりとまた扱きはじめる。

 「残念ながら、それはできないな」

 「どうして……」

 「俺も挿れたいよ。ほら、見てみろ、俺も興奮してこんなに大きくなってる。おまえの可愛いここに今すぐ挿れてやりたい」

 「だったらお願い、挿れて……」

 「でも、それはできない」

 「なんで……」

 「おまえは可愛いから、きっと俺は我慢できなくておまえの中に出してしまいそうなんだよ」

 「いいの、僕の中に出してっ……」

 男のもう片方の手が雅人の首へとかかっていく。

 「でも、そうすると俺の体液がおまえの体内に残ってしまうだろ?」

 「僕は全然かまわないよ……」

 「俺はそれじゃ困るんだよ」

 そう言うと、一気に両手で雅人の首を絞めた。突然の出来事に、快感なのか苦痛なのかわからないまま、雅人はばたばたと抵抗するが、手足を縛られている状態ではそれも無駄だった。

 やがてぐったりと雅人の体から力が抜けていく。口元から涎が流れ落ち、そのまま動かなくなったのを見て、男は頸動脈に指を当てた。

 「どうだ、最高に気持ちよかっただろ?」

 もう答えることのない雅人の頬を軽く叩くと、紙袋からペットボトルの水を取り出して口に含んだ。そして、軽く開いた雅人の唇に口移しで水を流し込んでいった。

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