第6話 Vanilla Sky

 「あれから美優みゆちゃんと連絡とってるか?」

 「ああ、メッセージがきてたけどここのところ忙しくてあまり返信してなかった」

 「だからCorkに行くのか」

 「そういうわけじゃない」

 壮介は頭を掻きながらレストランCorkに入っていった。

 「いらっしゃいま…」

 美優がにこやかに出迎えたが、壮介の顔を見るなり唇を突き出し、ぷいっとそっぽを向いた。昼食時を過ぎているからか、店内には男性の二人組しかいなかった。

 陽大はるとと壮介はコーヒーを飲んでいる男性のテーブルの横を通り、いつも座るテーブルへと向かった。注文を取りに来ない美優に代わって、瀬那がやってくる。

 「いらっしゃいませ」

 「やあ」

 「この前はありがとうございました」

 「こちらこそ。楽しかったよ」

 陽大はにっこり笑うと、メニューを手に取った。

 「おまえが美優ちゃんにちゃんと返信しないから怒ってるんじゃないのか」

 「しょうがないだろ、事件だったし」

 「忙しそうですね」

 「まぁちょっとね」

 「ちゃんと食べてますか?」

 「全然。だから食べにきたんだ。いつものを頼むよ」

 「おまえ、この後に及んでまだ健康のこと考えてんの?」

 「不健康な生活だからこそ考えてるんだろ」

 「いつもの全粒粉パスタですね」

 「ああ」

 「俺もいつものハンバーガー」

 「わかりました」

 瀬那が厨房に戻ろうとした時、入り口近くのテーブルからカップをひっくり返したような音と怒鳴り声が聞こえてきた。

 「どうしてくれるんだよ?」

 「す、すみません」

 見ると先ほどのテーブル席に向かい合って座っていた男二人が、美優を睨みつけている。一人の男の股のあたりに染みがついており、どうやらコーヒーをこぼしたようだった。

 「何ぼけっと突っ立ってんだよ」

 「すみません、すぐ拭くもの持ってきます」

 「火傷してるかもな。どうする? 治療代払えよ」

 美優は泣きそうになって頭を下げると、厨房へと逃げ込んできた。店長は眼鏡をしきりに触りながら奥から見ているだけで、出てこようとしない。

 その様子を見て、瀬那が布巾を掴むと男たちのテーブルへと歩いていった。

 「お客様、申し訳ありません。今すぐ拭きますので」

 「あ? 何でさっきの女が来ないんだよ」

 「彼女は別の仕事がありまして」

 「それともあんたが俺の股間を拭きたくて来たのか?」

 男たちはニヤニヤと薄笑いを浮かべている。瀬那は黙って床に膝をつき、男のズボンの染みを拭こうとした。すると、男が勢いよくその手を払い除けた。

 「何するんだよ」

 「汚れを拭こうと思って……」

 「俺のアソコを触りたいのか?」

 「いえ、違います」

 「悪いが、オカマに股間を触らせる趣味はないんだよ」

 瀬那は顔を強ばらせながら、ぐっと唇を噛んだ。

 「あの女呼んで来いよ。汚れたところ、しっかり口で拭いてもらわないとな」

 「それは……」

 「おまえはいいから引っ込んでろ。ああ、そうだ、火傷したっぽいから治療代はおまえが払え」

 「え?」

 「あー、あれか、火傷ってことは怪我したんだから、これは傷害事件か。警察だな、警察」

 「でも、何もしてないじゃないですか」

 「しただろうが、熱いコーヒーをこぼされて火傷を負ったんだぞ、立派な傷害だろ」

 「そんなの……」

 「いいから、早くあの胸のでかい女を呼んで来い」

 「……ここはそういうお店ではありません」

 「何だ? 客に怪我させといて、そういう態度を取るのかよ」

 陽大と壮介はぐっと拳を握りしめ、怒りを押さえ込んでいた。今すぐ殴ってやりたいが、今はまだ、下手に動けば逆に店や瀬那に迷惑がかかる。

 「もういっぺん言ってみろ!」

 ガシャン、とガラスが割れる音がして咄嗟に陽大は飛び出そうとしたが、それより早く壮介が瀬那のもとに駆け寄っていった。

 「何だ、てめえは」

 「何って、今呼んだんじゃないのか?」

 「は?」

 「警察。呼ばれたから来たんだよ」

 そう言って、警察手帳を見せる。男たちは一瞬ひるみ、壮介と瀬那を睨みつけた。陽大はゆっくり壮介の後に立ち、無言で同じく警察手帳を見せた。

 「熱いコーヒーって言ってたけど、さっき俺たちが入って来た時、すでにあんたらのテーブルにはコーヒーが置かれていた。たいして湯気もたっていなかったし、コーヒーがきてから時間がたってたんだろう。少なくとも火傷するほどの熱さじゃなさそうだったけどな。まあいい、傷害事件だって言うなら、ちゃんと確認して俺たちが事件として処理する」

 「それなら……」

 「だから今すぐ脱げ」

 「あ?」

 「火傷の具合を確認するから、今すぐズボンを脱げって言ってんだよ。あ、しっかり見なくちゃいけないから、もちろんパンツもな」

 「何言ってんだ、てめえ」

 「だって、傷害事件にしたいんだろ?」

 「……」

 「それともあれか、恥ずかしいのか」

 「何だと?」

 「そうだよな、おまえらの言うオカマにアソコの大きさ負けたら、そりゃ恥ずかしいよなぁ」

 「てめえ、ぶっ殺すぞ」

 「やってみろよ」

 息を巻く男の前に壮介がぐっと詰め寄った。185cmの長身に逞しい胸筋と二の腕の筋肉、そして怒りに燃える眼光。男は焦ったように目を逸らし、もう一人の男に目くばせをした。

 「食欲も失せたから帰るぞ」

 「ああ」

 精一杯強がり、男二人は足早に店を出ていった。店内に安堵の空気が広がる。

 「瀬那、大丈夫だった?」

 美優が駆け寄り、そばの壮介を見上げる。

 「壮介さん、すごくかっこよかったぁ。やっぱり刑事さんなんだって感じ」

 ふと壮介は瀬那の左腕から血が出ていることに気づいた。

 「どうしたんだ、これ」

 「あ……さっきコップを割られた時にたぶん破片が刺さったのかも」

 「刺さったのかも、って、こんなに血が出てるんだぞ?」

 「大丈夫です、後で絆創膏を貼っておきますから。それより、本当にありがとうございました」

 気丈に微笑みながらも、その足が微かに震えている。壮介は小さくため息をついた。

 「陽大、食べたら先に行っててくれ」

 「おまえは?」

 「彼女を病院に連れていく」

 「その方がいいな。はた刑事に迎えに来てもらうから、お前が車を使え」

 ポケットからキーを取り出し、壮介に投げる。

 「大丈夫ですよ。こんなのたいしたことないですから」

 「いいから行くぞ」

 「でも、お店が……」

 「そうよ、瀬那が抜けると私が一人になっちゃう」

 「黙って言うこと聞け!」

 思わず大きな声を出した壮介に、瀬那と美優は驚いて口をつぐんだ。

 「行くぞ」

 壮介は怪我をしていない瀬那の右手を掴むと、そのまま出ていった。その後ろ姿を見ながら、陽大はなぜか嬉しそうに微笑んでいた。

 

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