第38話 飛んで火に入る夏の虫
実験の日以来、世界から意味と価値が消えていく速度が速くなった。
もはや、踏んだ地面が落ちて消えていくステージで生き残るゲームをしているようだ。
もちろん、そのゲームも既に、あるのかもわからない奈落の底まで、意味も価値も落ちてなくなった。
そしてその現象は、昔なら決して行かなかっただろうという場所にまで、私を導いていた。
野外フェスだ。
三日前、突然青井さんから連絡が来た。
その内容は、野外フェスに行けなくなったから、チケットを貰ってくれないか、ということだった。
どうして私なのかというと、いつも一人でいて予定がなさそうだからだ。
三日後に行われる野外フェスの、一人分のチケットに応戦できる人間はそういまい。
そういうわけで、白羽の矢が頭に刺さったまま、現地に向かうバスに乗っている。
自分でもわかっている。
今の自分が、飛んで火に入る夏の虫と最も近い人間であると。
それでも、踏める足場がもう残っていないのだ。
それに、感情が消えたことで、別な感じ方をするかもしれない。
火の中で不死鳥として甦る可能性もゼロではない。
それでも、甦れなかった時のために、できる限り軽傷で済ませられるプランを組んできた。
まず、二時間遅れで会場に入る。
今日のフェスは、人気の歌手が開幕の狼煙を上げるそうなので、大半の人は開始時刻の九時からいるだろう。
そしてその後は、合計四つの競技場でライブが行われていくので、観客は各地に散らばっていくはずだ。
なので、混雑による致命症は避けられる。
次に、着いてすぐに昼食を摂る。
到着の時刻は、お昼ご飯の時間帯よりは少し早いのだが、それを逆に利用して、空いている屋台で安全に食料を確保する。
火の中にいる虫にとっては、食事すらも命懸けなのだ。
そして、十二時から陸上競技場で行われるライブを見る。
この会場は、四つの中では一番大きいし、何より日陰が多い。
一時間ほど見終わった後、近くの休憩スペースへ行き、そこから二時間ぐらい休息を取る。
敷地内にある体育館や公民館などが、休憩スペースとして開放されている。
暑さで疲れた人間すら休むのだ。火だるまになった虫がそれをしないわけがない。
火によって上昇した体温がある程度下がったら、十五時半からのライブを見にサッカー場へ行く。
日陰は少ないが、多くの人は暑さなどお構いなしにコートに下りるだろうから、虫一匹分のスペースぐらいあるはずだ。
そこで一時間見た後は、早めの夕飯だ。
昼と同じ作戦を取る。鬼の居ぬ間にアタック戦法だ。
食事が済めば、物販でお土産を買い、帰宅の混雑を回避すべく、日が落ちる前に早めに退場する。
行きと同じ、必勝の術、合変の形は、機における迅速果敢な行動にあり計画だ。
車窓から陸上競技場が見えてきた。
ここが復活の地となるか、はたまた火刑場となるか。
翅が小刻みに揺れている。
武者震いだろうか。
バス停に到着した。
外は、火の粉が見当たらないことに違和感を覚えるほどの熱風が吹いていた。
入り口で受付を済ませ、まずは大勢の屋台がある、中央広場へ向かった。
広場は、面積だけで言えば陸上競技場ぐらいあり、そこを屋台と食事スペースで半分ずつ分け合っている。
特に屋台は、通路がアルファベットのHになるように並んでおり、その縦側から入るようになっている。
広場へ続く道の途中、私は驚きのあまり足を止めてしまった。
広場とは別に散らばって出店している屋台の前に、既にたくさんの人が集まっていたのだ。
ここに来る人は、昼食の前にチュロスを食べる風習があるのだろうか。
そこから数分歩いた後、広場に到着した。
嫌な予感が的中し、食事スペースは既に、下手な人のテトリスの盤面みたいな埋まり方をしていた。
そのまま屋台のエリアに入った。
暑い上に煙臭いので、ここは本当に燃えているようだった。
人気の唐揚げや焼き鳥、フランクフルトやいか焼きなどは、店の前まで辿り着けない有り様だった。
なんとかコロッケの屋台の目の前に来られたので、ノーマルコロッケとメンチカツを入手した。
その先は、ベビーカステラやわたあめ、チョコバナナやりんご飴など、甘いものが集まっていたので、曲がってもう一つのレーンへ向かった。
途中の、Hでいう横線の部分には、タコスやケバブ、ヤンニョムチキンなどの、変化球な店が並んでいた。
その中に、夕飯の獲物を見つけた。牛肉ステーキ串だ。
虫は虫でも、私は肉を消化できる虫なのだ。
もう一つのレーンにも、唐揚げや焼き鳥などの店があったが、鏡の世界に入ったかのように、ただ左右が入れ替わっただけだった。
最後のコーナーは、かき氷やラムネ、アイスキャンディやサラダバーなど、冷たいものが集まっていた。
熱源から遠ざけるためか、冷気を渇望した客の財布を最後に絡め取るためか、色々な事情はあれど、皆の利害が一致した、奇跡の空間だった。
私は、かき氷に警戒心を溶かされた。
食事スペースは、席がかなり埋まっていたが、自販機の下に百円玉が吸い込まれる時に発生する力と似た類いの引力に案内され、席に着いた。
コロッケをおかずにかき氷を食べるのは、遠目から見れば普通の食事と変わらないが、胃袋から見れば一つの悲劇なので、持参したおにぎりセットも食べることにした。
まず、コロッケを一口食べた。
暑い上に熱い。
感情が消えて以来、肉体が最も近い外の世界に変わったが、これは感情のある人でもあつさを混同して疑似体験ができるのではないだろうか。
かき氷は儚いので、急いで完食した。
感情があれば、この瞬間は肉体を取り返せたのだろうが、私は取り戻せなかった。
昼食を終え、ほんの少し早いが陸上競技場へと向かった。
建物内を進んでいる時に、幾度となく座れる席が残っているか不安になったものの、なんとか座ることができた。
ライブが始まるまでほんの少しまだ時間があるので、観客席は休み時間の教室のようになっていた。
どうやら、翅に火がつき始めたようだ。
エレキギターの轟音が、他の全ての音を黙らせた。
その直後、のんきに自己紹介などせず、そのまま一曲目に入った。
閃光をまとった竜巻のような曲だった。
無数の言葉を集めるより、一曲の演奏の方が、雄弁に自己を知らしめられるということか。
私とは全く別の世界の住人だ。
そのまま続けて二曲目が披露された。
青春を感じさせる、弾けるレモンサワーのようだった。
この方々は、未成年飲酒をしていたのだろうか。
二曲目が終わると、MCの時間に入った。
先ほどまで鋭く激しい演奏をしていたとは思えないような、温和なトークだった。
その後、三曲目が始まり、続けて四曲目に入った時、自分の周りが透明なカーテンで遮られているような感覚に陥った。
気付いたら、他の人々が自分には見えない何かで一体になっていた。
五曲目が始まると、心が冷たくなり始め、終わる頃には周りの大気が凍っているように見えた。
ここは『冷たいな……』
ライブが終わると、すぐに近くの体育館へ向かった。
熱くなった体を冷まし、冷たくなった心を温めなければならない。
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