第4話 早朝の二等客室からは誰もいなくなった
殺しちゃ駄目か?
車の外で窓を叩く奴ら、殺しちゃ駄目か?
俺を睨んでいる。怒っている。車から出たら殺される。
俺の車に傷をつけやがって。嫌だ。死にたくない。こんなところで。
そうだ、これは正当防衛だ。車の中に居たら急に襲われて殺されると思った。
人間の言葉を喋れない奴らなら殺したって良い。人間じゃない。そうだ。人間じゃないって。
大丈夫。殺せる。だって、簡単だ。俺は車に乗っているんだから。ころしちゃえよ。こんなやつらに囲まれているくらいなら。
ころしちゃったほうが早いよ。頭のおかしいやつらなんだから。ただしいことをしているじゃないか。早くしないと、自分があぶない目に遭ってしまう。
これからも楽しく生きていきたいんだろ。仕事も楽しくなってきて、趣味も充実してて、ライフステージをあと一歩先に進めたいな~なんてそんな呑気な気分で過ごしてるんだろ。
初めてこの車に乗った時からずっと怖がってたじゃないか。
簡単に人が殺せてしまうって。
見てみぬ振りして楽しんでたけど、良かった、役に立ったじゃないか。最初に乗った軽自動車とは大違いだ。重くて、速くて、大きくて、思い通りによく曲がる。自分の体の一部みたいに自由に動く大きくて重たい鉄の塊だ。運転が上手になってきたら、逆にイメージできるようになったんじゃないか? アクセル、ブレーキ、ハンドル、自由に動くお前の一部がお前の思うままに何もかも轢き潰していく姿が見える。運転席にはお前が居るし、タイヤには気に入らないやつの面の皮が潰れてこびりついているんだ。それができるんだ。そういう力を持っているんだ。怖がらなくて良い。
だって俺は今殺されそうなんだから。
バタン バタン ドタン ドタン 音が ずっと 聞こえている。
そういえば最初に見たあの白い軽バンの中にも――
もしかして誰か居た?
――嘘だ。
「俺は悪くない」
エンジンをかけろ。エンジンをかけろ。エンジンをかけろ。アクセルを踏め。アクセルを踏め。アクセルを踏め。ハンドルをきれ。ハンドルをきれ。ハンドルをきれ。爆発的な加速を縦横無尽に振り回して一人でも多く轢き殺せ。全員だ。全員殺さないと眠れない。追ってくるかも知れない。殺されるかも知れない。身近な人が狙われるかも知れない。婚活の邪魔、社会に馴染む邪魔、俺が普通の人生を生きる邪魔、殺せ、殺せ、殺せ、殺す、殺す、殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。殺さなきゃ前に進めない。殺さなきゃ俺の人生が進めない。幸せになれない。幸せになる為にはこいつらを全員殺して家に帰って――帰る? 人を殺して帰れるの?
「全員動かないでください」
遠くからサイレンの音が聞こえた。
すごい勢いで近づいてきている。
車を取り囲んでいた人々がさざなみのように消えていく。
街のあちこちへ、朝と夜の隙間へ、空が遠くのほうで白く染まり始めていたことに、その時初めて気づいた。
銭湯の入り口からさっきのおじさんがこっちの様子を伺っている。携帯電話を持っている。あの人が呼んでくれたんだ。
あいつらがあちこちに逃げ出して、警官ともみ合ったり、遠ざかったりしていく中、おじさんが車に近づいてきた。
「大丈夫でしたか?」
「は、はい……ありがとうございました」
「災難でしたね……たちの悪い酔っぱらいの集まりかなにかでしょうか……」
「わかりません……でも……助かりました」
俺は車から降りておじさんに頭を下げていた。
「大げさですよ、当たり前のことをしただけですから」
「いえ、その……でも、助かりました……」
本当に助かったのだ。
おかげで人間でいられた。
「すいませ~ん、お話伺ってもよろしいでしょうか?」
警官の一人がこちらにやってくる。
本当に終わったのだ。
夜の幕が降りて、朝が始まる。
悪い夢のような時間は終わって、全て白日の下になる。
なんでもない日常が戻ってくる。
俺はまだ人間だ。
*
警察からはいくらか事情聴取を受けたが、俺はただの被害者だし、何よりあの異常な集団を追いかけるので警察は手一杯だ。
結果として俺は銭湯にも入れたし、少し遅い時間のフェリーに予約をとりなおして、その日のうちに家路につくこともできた。
フェリーは自宅に向けて動き出す。
それにしてもあいつら、なんだったんだろう。
「海野しぃる先生ですね」
動き出したばかりのフェリーの二等客室で老人に声をかけられた。
「えっ? 確かに海野しぃるですが、先生だなんてそんな……売れてないし、最近は仕事が忙しくて書けてもいないし……」
「いえいえ、私はあなたの書く怖い話、好きでしたよ」
こちらはお近づきの印です。
と、缶コーヒーがテーブルに。
確かに嫌いじゃないし、俺の書いた話が好きと言われると俺はガードが甘くなる。
「はぁ……ごちになります」
缶コーヒーに仕掛けをされている感じはないので、素直に頂いた。
「あなた、最近ホラーを書いていませんね」
「あっはい」
「大病をして生死の境をさまよってからです。別に怖い話やクトゥルー神話が嫌いになった訳じゃない。どうしてですか?」
「怖い話を書いても、皆喜んでくれないからです。俺には才能が無い。薬売りでもしてたほうがよっぽどマシだ」
「それだけですか?」
「生死の境を彷徨ったからって、死の世界に敏感になるわけじゃないんですよ。残念でした。死にかけて、苦しんだのに、何の見返りもなかった」
「…………」
おじいちゃんの脳内当てクイズはお給料が出る時だけにしたい。
「見返りがなかったっていうのは嘘だ。もっと悪い。怖くなくなったんだ。夜も、物語も、何も怖くない、味がしないと言えばそうだし、ただあるがままにしか見えないといえばそれもそうだ。いや、怖い話は面白いんだよ。面白い、けど怖いと思えない。終わりだろこんなの。楽に死にたいんすよ今、まじで。楽に死ぬか普通のサラリーマンとして穏やかに生きていたい……まあ楽に死にたいとそんな変わらないか」
「でもねえ、海野さん。怖かったでしょう?」
「は?」
「真夜中に追い回されて怖かったでしょう」
「嘘だろ……あなたが?」
「協力者と一緒に仕掛けたことですよ。金で雇ったり、思想に共鳴したものがいたり、互いの身元がわからないように人間を集めました。怖かったでしょう?」
「いや、そりゃ、久しぶりに心底……心底怖かったけど」
老人はほっこりと笑った。
「それは良かった」
「嘘だろ、俺、殺してたかも知れないんだぞ」
「怖かったでしょう。それは恐怖小説やホラー映画で主人公たちが感じた恐怖と何ら変わらなかった筈だ」
「そ、そうだけどさあ……」
気味が悪い。気味が悪い筈なのに、俺はニヤニヤしている自分が居る事に気づいていた。
「恐怖は“在る”。かつてあったはずだ。君の周りにも」
「ラヴクラフトは……俺の尊敬するラヴクラフトは、自分の分身であるランドルフ・カーターが『一時期夢を見る力を失った』と書いてました。恐ろしいという感覚が消えてしまった俺はその状態に近づいていたのかも知れません」
「ランドルフ・カーターは夢を見る力を取り戻した。君だって。いや、違う。もう君は怖かっただろう」
「本気で怖かった。やっぱりホラー作品は特別だと思いませんか? 魔法を放った気持ち、魔法を放った感覚は現実じゃ味わえない。アンドロメダの彼方でマイクロブラックホールを目にしてCビーム飛び交う艦隊戦に参加する気持ちも分からない。でも恐怖は――得体の知れない怪人に追いかけられて、夜の片隅で必死に息を潜める体験はできる、恐怖は“在る”。あるんですよ、現実に」
「分かってらっしゃる。嬉しいですよ海野先生」
「そのためだけにわざわざネタバラシしにきたんですか? 本気で? 酔狂だな……ネタバラシされなければ俺はまだ怯えていられたのに……なんてことを、なんてことをしてくれたんですか」
「でももうあなたは考えている筈だ。次の恐怖、怖い思いをしたい、怖い話が欲しい。そうでしょう? そこに確かに実在する恐怖を切り取って、世の人々と恐怖で繋がりたいと思いませんか? あなたも――誰かを怖がらせてみたいと思いませんか?」
缶コーヒーを飲む。
とんでもない。
とんでもないことだ。恐怖小説を現実にするなど。
現実を原稿用紙代わりになんて。
「良いですねえ……」
「では我々の仲間入りをする為に試験を――いえほんの形式的なものです。もう、あなたならできるはずだ」
「試験?」
「書いてください。物語を現実にするように、現実が物語になる、恐怖作品とはそういうものです。現実と幻想の境は、恐怖と夜の帳によってあやふやに消えていく。だからあなたにはできるはずだ。昨日の夜の物語が。今こうして語る物語が」
犯罪者集団の仲間入り。
とんでもない。
俺には仕事も、友達も、婚活も、家族もあって、それに今は翻訳の仕事だってそこそこできていて楽しい日々を過ごすことができているのに。
そんなことをしてなにかの切っ掛けで何もかもめちゃくちゃになったらどうするんだ。
そんな、そんな悪いこと……。
「書けば良いんですね」
「はい」
「……死ぬほど怖い思いをしたことを、書けば良いんですね」
「はい」
確かに、とんでもない目に遭わされた。
とんでもない目に遭った。
けれど、ずっと――。
「良いネタになりそうだなって思ってたんですよぉ」
「カクヨムに掲載しますよね? 真っ先に読みに行きますからね?」
「ありがとうございます! フォローと評価おねがいします!」
俺は最低だ。
最低だけど、最低なことに、怖い話は――やめられない。
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