緑色の目をした怪物

kou

第1話 脅迫

 彼女は翠玉すいぎょく色の瞳から流れた涙を拭きとった。

 そして、再び顔を上げる。

 その眼差しには強い決意が宿っていた。

 それは紛れもなく彼女の素顔だった。

 眼の前には黒い人影が立っていた。手には鋭く光るナイフを持っている。

 彼女は、その人のことを信頼していただけに、安心と恐怖が同時に襲ってきた。

「どうして……?」

 震える声で尋ねる彼女に、人影は言った。


 ――お前のことが嫌いなのよ!


 人影の告白に少女は愕然とした。

 そんな少女を、人影は嘲るように笑った。


 ――お前には分からないだろう。自分が、どんなに辛い思いをしてきたか……。でももういい。お前が消えないなら私が自分の手で消してやる。


 そう言って人影は手に持ったナイフの刃先を向けた。

 少女は、どうしてこんな事になってしまったのかを思い出していた。


 ◆


 広々とした空間にスタジオライトが配置されていた。

 定常光ライトは背景紙の前に立つ少女を明るく照らしている。

 少女の前にはカメラが設置されており、カメラマンの指示に従ってポーズを変える少女がいた。

 白く輝くプラチナブロンドの長い髪を持つ少女だ。

 顔立ちはまるで氷のように透明感があり、清潔で端正な特徴が印象的だった。高い鼻筋が通り、頬骨が美しく浮かび上がり、そこには純粋なまでの凛とした雰囲気が漂っていた。

 瞳は深い緑色をしており、新緑のような鮮やかな色彩を放っている。長い睫毛の奥に見えるその瞳は静かに輝いていた。

 唇は小さく控えめだが、艶やかさを感じさせる。まるで神が自ら作り上げたかのような完璧な造形美であった。細い顎の下には鎖骨が見え隠れしており、そこから続く肩甲骨の形も美しい。華奢な身体は透き通るような白さを持っており、肌理細やかな肌には思わず触れてみたくなるような魅力があった。

 身に纏っている衣装は純白のドレスであり、シンプルながらも洗練されたデザインをしていた。

 名前を白鳥しらとり聖奈せいなという。

 日本人の父と北欧の母を持つハーフである彼女は、ほんの数ヶ月前まで普通の学生であったが、読者モデルとしてスカウトされ今では雑誌の表紙を飾るほどの有名人となっていた。

「お疲れ様」

 一人の女性が聖奈の労をねぎらった。

 年齢は40代半ばくらい。長身でスタイルが良く、ショートヘアがよく似合う美人でもあった。

 読者モデルのマネージャーで名前を高木恵子といい、厳しい指導で知られる人物でもある。普段はクールな雰囲気があるが、仕事のこととなると人が変わったように厳しくなることで知られている。

 しかし、根はとても優しい人で、仕事に対して真摯に取り組む姿勢は他のスタッフからも高く評価されていた。

 撮影が終わり、控え室に戻ってきたところで一息つくことにしたのだ。

 ソファに座ってお茶を飲んでいる間、二人は他愛もない会話をしていたが、不意に話題が変わる。

「高木さん。実は仕事の方なんですが、減らしていただくことはできませんか?」

 突然の申し出に戸惑う様子を見せる恵子だったが、真剣な表情を浮かべる聖奈を見て何かを感じ取ったようだった。

「どうしたの急に?」

 聖奈は真剣な表情になると、恵子もまた真剣に話を聞く態勢になった。

 そこで聖奈が切り出した話は驚くべきものだった。

「……脅迫をされているんです……」

 それを聞いた瞬間、恵子は驚きのあまり言葉を失ってしまった。

 聖奈は鞄から自宅に届いた脅迫文をテーブルの上に置いた。差出人は書かれておらず、ただ文面だけが書かれていた。

 その内容は次の通りだ。


〈目障りだから消えろ〉


 たったこれだけしか書かれていなかった。

 この文章を見た瞬間、恵子の表情が一変する。怒りに満ちた表情で拳を握りしめたかと思うと、テーブルを強く叩いた。

 ドンッという大きな音が響き渡ると同時に、テーブルの上に置かれたコップが小さく揺れた。

(怖い……)

 聖奈はそう思った。普段の彼女からは想像できないような迫力だったからだ。

 普段温厚な人が怒るとこれほどまでに恐ろしいのかと痛感したほどだ。

 しばらくの間沈黙が続いた後、ようやく落ち着いたのか深呼吸してから話し始める。

「聖奈は、どうなの?」

 その問いに聖奈は少し考えた後で答えた。

「……怖いです。私だけでなく、私のせいで周りの人に迷惑をかけてしまうかもしれないと思いました」

 聖奈はうつむき、言葉を切る。

「じゃあ、辞めるっていうの?」

 恵子の言葉に聖奈は顔を上げて反応する。顔を上げて真っ直ぐに見つめる瞳には強い意志が込められているように見えた。

 それから深呼吸をして息を整えた後、ゆっくりと話し始めた。その声は震えていて今にも泣き出しそうであったが、必死に堪えているようだった。

 やがて絞り出すようにして出た声は微かに震えていたものの、はっきりと聞こえた。

「……私は、このお仕事が好きです。ずっと続けていきたいと思っていますし、そのために努力しています。だから活動を縮小するだけで辞めようとは思っていません」

 その言葉を聞き、恵子は大きくため息をついた。

「……すみません。高木さんだけでなく、色んな方にご迷惑をおかけしてしまうことは分かっているのですが、それでも続けさせていただきたいと思います」

 そう言って頭を下げる聖奈の姿はとても小さく見えた。その姿は弱々しく、守ってあげたくなるような雰囲気を漂わせている。

 そんな彼女の様子を見ながら、恵子は再びため息をつくと言った。

「それでいいのね」

 その言葉に聖奈は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに笑顔を浮かべると大きく頷いた。その目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見える。

 そんな彼女の姿を見た恵子は優しく微笑んでいた。

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