ハトマの街へ
あたしが部屋でベッドに腰を掛けて考えごとをしていると、扉をノックする音とクリスの声が聞こえた。
「ジョアン? 私の部屋へ来て。少し話しておくことがあります」
あたしは、立ち上がって返事をした。
「すぐ行くよ」
あたしがクリスの部屋に行くと、もう中にデイジーがいて、部屋へ入ってきたあたしに心配そうな顔を向けて言った。
「ジョアン、大丈夫?」
さっき執務室であたしが取り乱したことを気にしているのだ。あたしは首をかしげて言う。
「悪いな、心配かけて。あたしは大丈夫だよ」
クリスがあたしとデイジーにインカムを渡して言った。
「ここからはベティにも加わってもらう必要があります。これをつけて」
あたしは、インカムをつけてベティに聞いた。
「ベティ? 聞こえる?」
「はい、聞こえますよ。……伺いました。宮殿内でのことは」
ベティが答える。宮殿内のこととは、多分あたしが取り乱したことも込みでの話だろう。
あたしは、照れ笑いをして言った。
「はは……、ちっと恥ずかしいよ。取り乱しちまった」
ベティが答えて言う。
「……いいえ、ジョアンらしいです。私は、そんな姉さまを誇りに思っていますよ」
茶化した感じじゃなかった。あたしは言った。
「ありがとう、ベティ」
インカムをつけたあたしとデイジーを見て、クリスが口を開く。
「念を押しておきます。私たちがここですることは、あくまでラスタマラ家が後継者争いに干渉することをできるだけ阻止することです。私たちがここいるだけで、それはある程度達成できています。軍が後継者争いに関心を持っていると示すことができるからです。少なくとも、ラスタマラ家はあからさまな手段を取ることができなくなるでしょう」
「でもよぅ、クリス……」
あたしがそうクリスに言いかけると、クリスがため息ついて言う。
「まあ、仮にラスタマラ家がファティマ王女に危害を加えようとでも考えているのであれば、それを阻止することは我々の任務に入りますわ」
「だよな?」
あたしは、ニカっと笑って言った。そんなあたしを見てクリスが口を尖らせる。
「だからと言って、こちらもあからさまなことはできませんわよ、ジョアン? あまり王女に肩入れしすぎないように注意して欲しいですわ」
そんなやり取りを聞いて、ベティが口を挟む。
「ええと、クリス? それは多分無理だと思いますが、軍の立場としてはファティマ王女の護衛は任務の範疇ですから、あとはクリスとデイジーでフォローすればよいと思います」
クリスが改めてため息をついて言う。
「そうですわね。まあ、なんとかなるでしょう。それともう一つ、私はキアラさんにもインカムをつけてもらおうと思っています。常時ファティマ王女に一番近い位置にいらっしゃるのは彼女だろうという判断からです。異論があれば言ってください」
あたしとデイジーは答えて言った。
「ないよ。クリスの判断に従う」
「僕も!」
そんな話をしていると、部屋の扉をノックする音と共にキアラ女史の声がした。
「皆さん、こちらのお部屋ですか? そろそろお時間ですので、お迎えに参りました」
クリスが返事をする。
「はい。3人ともこの部屋におります、キアラ様」
「失礼いたします」
部屋に入ってきたキアラ女史は、イスバルの伝統的な様式の装束を3人分持っていた。
「これから皆様をハトマの街へご案内いたしますが、その前にこちらに着替えてください。星間宇宙軍の制服では、街中で目立ってしまいますから」
あたしらは、キアラ女史の持ってきたイスバルの伝統的な様式の装束に着替えた。ハトマの街では、若い人たちの間で他星系の流行服を着る人も出てきているそうだが、ほとんどの人達は伝統的な様式の装束を着ているそうだ。
あたしらは着替え終わって、お互いに装束姿を見合ってにやにやしていた。
「とてもお似合いです。クリス様、ジョアン様、デイジー様。サイズはいかがでしょうか? 合っていないようであればすぐにお取替えいたしますので、ご遠慮なさらずに仰ってください」
デイジーがおずおずと口を開く。
「あの、僕のこれって女の人用なんじゃないですか? 僕、男なんですけど……」
キアラ女史がにっこりと笑って答える。
「いいえ、こちらの装束は女性と成人前の男性が着る装束なのです。失礼ではございますが、デイジー様はご成人前でいらっしゃるとお見受けいたしましたので……。それに……」
「それに?」
デイジーが不思議そうな顔で聞き返すと、キアラ女史が妙に熱心な表情で言う。
「そちらの装束はデイジー様にとてもよく似合っておいでです。首飾りやティアラ、耳飾りなどの装飾品もございますので、よろしければ是非……」
「いえ。いいです、お気持ちだけで。ありがとう」
デイジーが苦笑いしながら答えたので、クリスとあたしは顔を見合わせてくすくす笑った。クリスがデイジーに言う。
「ほんとうによく似合ってますよ、デイジー。とってもかわいいわ」
「僕は男なんだってば!」
デイジーは、ぷりぷりして言い返した。
クリスがキアラ女史に向き直って言う。
「キアラさん、私たちは軍の任務を行うにあたって、AIのサポートを許されています。名前はベティ、彼女が私たちにとってかけがえのない存在であることをご理解いただいた上で、キアラさんにもこれをつけていただきたいのですが、ご了承いただけるでしょうか」
そう言ってクリスは、キアラ女史に予備のインカムを差し出した。
キアラ女史は、にっこり笑ってインカムを受け取った。
「はい。承知いたしました。これをつければよいのですね?」
キアラ女史は、わずかなためらいも見せずにインカムをつけた。あたしらを信頼してくれているのだと思った。ありがたいことだ。あたしは既に彼女を尊敬していたので、その気持ちが嬉しかった。
ベティが、キアラ女史に自己紹介をする。
「初めまして、キアラさん。私は、自立自由思考型AIのベティと申します。クリスたちのサポートが主な仕事です。できましたら、私もファティマ王女様をお守りすることにお役に立たせていただきたいと考えております。よろしくお願いいたします」
キアラ女史がにっこり笑って答える。
「初めまして、ベティさん。キアラです。ファティマ王女の側近を努めております。是非、そのお力をお貸しください。こちらこそよろしくお願いしますね」
AIに対して話しかける感じじゃななかった。きっとベティの話し口を聞いて、普通の人間に対するのと同じようにするべきだと思ってくれたんだろう。あたしは、自分の家族を大切にしてもらえて嬉しかった。
キアラ女史が扉の方に向かって歩きながら言う。
「王宮の裏手に私の車が止めてありますので、そちらへ参りましょう。古い車ですが、乗り心地は悪くないですよ」
キアラ女史に案内されて、あたしらは王宮の裏手に止めてあった小さな古い車に乗り込んだ。キアラ女史は運転席に座る。
「それでは出発しますね。シートベルトをつけてください」
車は王宮の通用門からハトマの街中に出た。王宮はハトマの街の北側にある。王宮から南に向かって街が広がっているわけだ。街の西側には大きな湖がある。キアラ女史が言う。
「街中を見ながら、まずは
車は、街の中央通りをまっすぐ南へ走っていった。中央通りはとても広く、車4台が横に並んで走れるくらいの幅があった。その両脇には、連なって古い石造りの建物がならんでいる。キアラ女史が車を運転しながら説明してくれる。
「ハトマは古い街です。王宮に近ければ近いほど古い建物なのです。この辺りだと1000年以上前に建てられたものも少なくありません。スクルテオ星系の星々は、どの星も他の星系と比較して建材に適している石材に恵まれているのですが、イスバルでは特にそれが顕著で、ハトマの建物も多くは500年以上前に建てられたものです」
あたしは、古い街並みを美しいと思って見ていた。その街並みをイスバルの伝統的な様式の装束を着た人々が行き交っているが、宮殿で聞いた通り、中には他の星系で流行っているような衣服を着ている人たちもいた。キアラ女史が解説してくれる。
「ハトマでは、ほとんどの人が伝統的な装束を着ていますが、ここ2~3年になって少しずつ他の星系で流行しているような服を着る人が増えてきました。それを嘆く声もありますが、他の星系の情報は様々な形でずっと以前からイスバルに入ってきていたので、そうした変化を遅いと見る向きもあります」
あたしは、キアラ女史に聞いた。
「キアラさんは、他の星から違う文化が入ってくることについて、どう思ってるんだい?」
キアラ女史がにっこり笑って答える。
「よくも悪くもイスバルは保守的な人が多いので、変わったことをしようとする人たちは貴重だと思っておりますし、私もファティマ様もそうした変化を好ましく思っておりますよ」
クリスが口を挟む。
「ファティマ王女様は、慎重論を唱える方と伺っていましたので、保守的な方なのかと思っていましたが、国民の間で起きる変化については、寛容でいらっしゃるということでしょうか」
キアラ女史は、運転しながら小さく首を振って言った。
「いいえ。ファティマ様も本質的な部分では、とても革新的なお考えをお持ちなのですが、変化がもたらす影響については、時に深刻なものになりうることをご存じだというだけなのです。むしろ王女様ご自身のお考え通りにできないことを、いつももどかしく感じておられるようですよ」
そうか……、あの少女の頭の中では、常に相反する考えが闘っているというわけだ。心配性とは、その闘いの果てに表に現れてくる状態と言うだけなのだ。
キアラ女史が説明してくれる。
「ハトマの街も、昔は今の4分の1位だったと言われています。時が経つにつれてハトマに人が入ってきて、街が大きくなっていったのです」
通りの両側に店らしい建物がちらちらと増えてきたと思うと、やがて店らしい建物が連なって続くようになった。
「この辺りは、比較的新しい建物が多くなります。商売をする人たちがハトマに入ってきたときに建てた建物です。もう少し南へ行くと広場があって、この時間帯には
やがてキアラ女史の言った通り広場が見えてきた。広場の中央には大きな噴水があって、その噴水の周りをたくさんの出店が囲んでいるのが見えた。キアラ女史は、車を広場西側の端に止めた。そこはどうも
「ここがハトマで一番大きな
あたしらは、車を降りて
「生活雑貨や家具、宝飾品、本などは、通り沿いの石造りのお店で扱っていることが多いのですが、食料品、特に野菜類や乳製品、肉類などの生鮮食品は、ハトマの西側にある農耕地帯で農耕プラントや酪農、畜産をしている人たちが、毎日
キアラ女史が、
「いかがです? 色々な生鮮食品やお菓子などが売られているでしょう? 私はハトマの人達の生活を感じられるので、
笑顔で話していたキアラ女史が、少し暗い顔になって話を続ける。
「今でこそ色々な食料品が並ぶ
あたしは、
「そうか、昔は大変だったんだね。色々な生鮮食品が
キアラ女史がにっこり笑って答える。
「勿論、当時の農耕地帯の方々が努力されたことは重要なことですが、その
あたしは、驚いて言った。
「すごいね、なんてすごい王様だったんだろう。今の
キアラ女史が少し悲し気な顔で答える。
「はい。先代の国王様は、今なお国民の間で尊敬され、感謝されています。しかし先代の国王様は、激務がたたったのか、それまでの国王様よりずっと短命だったそうです」
あたしは、ファティマ王女があんな眼をしていた理由が少しわかった気がした。優れた国王とは、国に危機あらば、命を賭してその危機を取り除こうとするのだ。あたしは、ファティマ王女を思って少し胸が苦しくなった。
to be continued...
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