ノール伯爵ルドヴィーコの懸念(後)
マレス侯爵令嬢アリアレインはまだ17、歳の頃はクラウディアとそう違わないが、既に侯爵家の王都における名代。
王都に上って以降、宮廷だけでなく執政府にも頻繁に足を運び、書記官たちと会合を持つことも度々と聞く。
ルドヴィーコ自身が直接言葉を交わしたことはないが、マレス侯爵は自慢の娘と言っていた。
あの有能なマレス候が名代を任せるくらいだから、実際に相当なものなのだろう。
その侯爵令嬢に比べてしまえば、クラウディアの王妃としての資質が一歩二歩劣ることは否定しがたい。
まあ、そこは群臣がしっかりと固めてしまえばどうにかなるのかもしれない。
ルドヴィーコのより大きな心配は、やはり彼女の父にあった。
「――しかし殿下の仰せとはいえ、マレス候がどう思われるか」
不安をこぼしたルドヴィーコの言葉に、王太子がまた不機嫌そうな表情になる。
「マレス候がどう思おうと関係あるまい。
言ったであろう、もはやあれはこの国の貴族たるにすら相応しくない、と」
「――殿下?」
「あれはこの国から追放することとした。
マレス候の娘であれ、追放の処断とその効力に例外はない」
「なっ……」
己の顔から血の気が引いていくのを、ルドヴィーコははっきりと感じ取った。
「お、お願いでございます殿下、どうかお考え直しください!」
叫ぶように言い、腰を浮かせてしまってから、自分の行動に気付く。それほど動転していた。
「いかなる罪によって追放とされたのかは存じ上げませんが、マレス候家は王国の柱石、東部国境の守りの要にございます。
その一人娘を追放など――分を過ぎた差出口と存じてはおりますが、どうか、どうかご再考を」
悲鳴のような声で言い、低いテーブルにぶつかるほど頭を下げる。
「クラウディア、そなたの父は優しいのだな。
そなたの性格は父譲りであったか」
ルドヴィーコの態度を鼻で笑うように王太子が応じた。
まあ、とクラウディアの声がする。
なぜだ、とルドヴィーコは叫びだしたい思いでいる。
なぜあの家の、あの令嬢を追放刑に処して笑っていられるのだ。
そこらの下級貴族の娘でもなければ見てくれだけが取柄の姫君でもない。
王国史に名を残すかもしれぬような才媛を、しかも抜群の出自のその家とともに切り捨てるなど。
「殿下!」
頭を下げたまま語気を強めたルドヴィーコに、王太子はため息で答えた。
「ノール伯、余がなにも考えておらぬとでも思ったか。
それに余とて血も涙もないわけではない。
あれが前非を悔いて詫びのひとつも入れるならば、恩赦してやるつもりでいる」
「――こ、これはご無礼を。
殿下の寛大なお心、わたくしめはまったく感服いたしました」
安堵のあまりふたたび気を失いそうになったルドヴィーコは、深く息をついて身体を起こす。
テーブルに、己の汗が滴っていたことに今更のように気付いた。
慌ててハンカチを取り出して汗を拭く。
「まあ、あれも最初からそのつもりであったのやもしれぬ。
3日の猶予を、と申し出てきたからな。ひとまず頭を冷やしたい、というところだろう」
3日の猶予。
まだ追放刑に処されたわけではなく、侯爵令嬢としての身分はそのまま。
その間に詫びを入れ、なにがしかの対価を差し出して、恩赦の形で追放を免れることはできるだろう。
王太子が言うのだから間違いはない。
供されたままぬるくなっていた紅茶のカップを手に取り、渇いた喉を少しでも潤そうと一口含む。
香りも味も、ルドヴィーコには感じられなかった。
あとはあの令嬢が頭を下げさえすれば。
そこまで考えて、ふと心に引っ掛かるものを感じた。
自慢の娘、というほかに、マレス候はあの令嬢についてなにか言ってはいなかったか。
記憶の底を探り、困ったように笑うマレス候の顔とともに、その言葉をルドヴィーコは思い出していた。
『あれは娘ながら、わが父の気性を最も強く受け継いでいる、と家中では評判で。
跳ね返って殿下や陛下を煩わせることにならぬよう、今から言って聞かせねば』
先代マレス候は武断派で鳴らし、東からの侵攻を幾度も食い止めてみせた豪傑だった。
剛毅にして果断な性格とその実績でもって陛下にも一目置かれ、配下からは強く慕われたとか。
その先代候の気性を受け継いでいる?
王都で聞くあの令嬢の評判は、そういった人物像とは程遠い。
だが、それこそがあの有能な令嬢の本性だとしたら。
マレス候の為政者としての能力と、先代候の気性を兼ね備えているとしたら。
一体どうするのか、ルドヴィーコには想像もつかなかった。
――たとえば、頭を下げようとしなかったなら?
当然、追放は解かれない。
親娘であっても、追放された者への援助を禁ずるという定めに例外はない。
だが、あのマレス候が一人娘を、それも若くして名代を任せるほどの娘を、はいそうですかと見捨てるだろうか?
マレス候領内に匿うようなことになってしまえばどうなる?
決まっている。殿下は討伐のための軍を起こすしかない。
王室の威信を保つためには、ほかに選択肢などないのだから。
頭を下げるほかない、相手には選択肢がない、そう思いながら、選択肢を失っているのは王太子の方なのではないか?
口に出すのも恐ろしい想像だった。
ルドヴィーコはそのあと、王太子とどのような会話を交わしたかをほとんど憶えていない。
自分がなにか、抜け出せぬ泥沼に足を踏み入れた気がしてならなかった。
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