侯爵令嬢アリアレインの追放
しろうるり
侯爵令嬢アリアレインの追放
「アリアレイン、そなたの近頃の行いは目に余る」
びしり、と指を突きつけて、王太子エイリーク・ナダールは言った。
突きつけられた令嬢――アリアレイン・ハーゼンには、動揺した様子もない。
「と申されますと、殿下?」
静かな声で応じ、小さく首を傾げる。
結い上げた黒髪に挿した髪飾りが、シャンデリアの光を映してきらりと輝いた。
小柄な身体ではあったが、すらりと背筋を伸ばして王太子とまっすぐに対峙する姿は、実際よりも一回り大きく見えた。
「この期に及んで白を切ろうなどとは見苦しいにも程があろう!」
その態度に苛立ったのか、王太子の声のトーンが一段上がる。
「クr――ノール伯爵令嬢とその友人への度を越えた嫌がらせ、身に覚えなしとは言えまいが!」
――そうね、まだこのような場で、名前で呼べる間柄ではないものね。公式には。
名ではなく公的な立場で呼びなおした王太子に、アリアレインは小さく笑みを浮かべた。
王太子の言葉は止まらない。
曰く、ノール伯爵令嬢に刃物を送り付けた。
曰く、伯爵令嬢の友人のひとりに鳥の死骸を送り付けた。
曰く、別の友人には猫の死骸を送り付けた、云々。
友人のひとりは体調を崩して寝込んだという。
「すべてアリアレイン、そなたの仕業であろう!
余が知らぬとでも思ったか!」
ひとつひとつ己の『罪状』を並べ上げる王太子の言葉を聞きながら、アリアレインの笑みは徐々に大きくなっていった。
今や傍目にもそれとわかるほど口角を上げて、しかしその目は――切れ長の、知性と理性を等分に湛えた灰色の目は、まったく笑っていない。
「殿下、わたしは殿下に、今まで一度たりとも偽りを申し上げたことはございません」
言外に、あなたと違って、という意を滲ませて、アリアレインは答えた。
「ゆえに、まったく身に覚えなしとは申しませんが――」
「そうであろう、そなたはそのような――」
被せるように断定する王太子の言葉を、アリアレインが遮った。
「しかし殿下」
普通であれば考えられないほどの無礼ではあった。
王族の言葉を遮るなど、それだけで不敬と断じられても仕方のないことだ。
だが、美丈夫の王太子は言葉に詰まり、その後ろに隠れるように立つ華奢な令嬢はびくりと身体を竦ませた。
一瞬静まり返った広間に、アリアレインの声が響く。
「彼女たちに、なぜそれがわたしの行いと考えたか、お尋ねになられましたか?」
尋ねるまでもなくアリアレインは知っていた。
刃物を送られたのも、家の前に鳥や猫の死骸を置かれたのも、アリアレイン自身であったから。
死骸は丁寧に埋葬し、人を使って出所を調べたのち、アリアレインは送られてきたものの一部を当人に送り返した。
刃物――短刀を送ってきたノール伯爵令嬢には柄に巻かれていた革紐を。
鳥の死骸を置かせた友人には鳥の羽根を。
猫の死骸を置かせた別の友人には猫の爪を。
三度目ともなるといい加減面倒になったので、屋敷に控えている影の者を使い、当人の寝室のドアの下に置かせた。
体調を崩したというのは最後のひとりだったから、やはり余程堪えたのだろう。
アリアレインに言わせれば、覚悟と想像力が足りていない、ということになるのだが。
ともかく、以来、望まない贈り物は途絶えている。最後に送り返してから半月ほどになるだろうか。
わからないはずがない。さきになにも知らせず送ったものの一部が自分の手許へ戻ってきたのだから。
そしてもちろん、そのことを言えるはずがない。そもそもの発端が自分にあるのだから。
――失敗した嫌がらせをそのまま自分が受けたかのように偽るほどの恥知らずだというのは、想定外だったけれど。
「そのようなことが関係あるか、かように陰険な嫌がらせなどそなた以外に思いつこうはずもない!」
アリアレインは小さくため息をついた。
はずもないも何も、その嫌がらせとやらをわたしに向けた当人はいまあなたが庇っているその令嬢なのですが、と思っている。
剣技や馬術を能くする美丈夫の王太子は、しかし、飛び抜けて賢いわけでもなければ取り立てて人を見る目があるわけでもなかった。
幼い頃に決まった婚約で、殿下に欠けるところあらばお前がしかと支えよと父である侯爵には言い含められてきた。
アリアレインもそのつもりで懸命に学び、2年前に宮廷と執政府に出入りするようになってからは王太子に様々な助言を、あるいは諫言をしてきたものだ。
どうやらそれが王太子の自尊心をいたく傷つけているらしい、と知ったのは1年ほど経ってからだった。
王や王太子とて完璧な人間ではない。だからこそ宰相や将軍をはじめとする補佐役がいる。
将来の王妃たる自分もそのひとり、ゆえに助言や諫言は己の義務のうち。
王太子を支えるというのはそういうこと、とアリアレインは考えていた。
王太子にとってはそうではなく、周囲のすべては自分にかしずかねばならない、そうでなければ王としての権威が保てない、ということのようだった。
当然ながら反りが合うはずもなく、ノール伯爵令嬢はそんな王太子にとってちょうどよかったのだろう。
半年とすこし前に知り合ったふたりは急速に距離を縮めていた。
王太子でありいずれは王となるからには、自分ひとりが独占することなどできない、とアリアレインもわきまえてはいる。
反りが合わぬとなれば尚更のことで、無条件に慕い、癒してくれる存在というのは人として必要なのだ、とも思ってはいた。
ただ、それも公的な側室なり半公認の愛妾なりといった形であればの話で、婚約者を婚約者のままに置いておきながら断りもなく別の令嬢に手を出すなど、通常ならばあり得ないことだった。
それとなく紹介してくれるよう王太子に頼んだものの疑うのかと逆になじられ、アリアレインはすべてを諦めた。
ここ3月ほどはパーティでのエスコートすらおざなりで、今日はついに堂々とノール伯爵令嬢のほうをエスコートしてきたのだから、疑うもなにも、というところではある。
「この上なにか申し開きはあるか?」
――どうせ聞く耳などないのでしょうに。
ため息をついて、アリアレインは緩やかに首を振る。
「ございません、殿下」
「そうであろう」
満足そうに頷き、心なしか胸を反らせて、ゆっくりと王太子は言った。
「マレス侯爵令嬢アリアレイン・ハーゼン、そなたとの婚約を、ただいまこの場で解消する」
まったく予測どおりの宣告だった。
「御意のままに、殿下。謹んで婚約の解消を承ります。
父にもその旨申し伝えます」
落ち着き払った返答が、また王太子の神経を逆撫でしたのかもしれない。
「――アリアレイン、かように罪を重ねながら詫びの一言もなく反省の様子も見せぬなど、そなたはこの国の貴族たるに相応しくない」
上ずった声で言う王太子に、なにかを察した側近が殿下それは、と近寄ろうとする。
「ええい黙れ!
アリアレイン、そなたを追放刑に処す!」
叫ぶ王太子に、アリアレインはどうしようもない絶望感を抱いていた。
――ここまでとは。
絶望感に浸っている暇もなかった。
左後ろに跪いて控えていた従士が立ち上がろうとするのを手ぶりで制し、控えなさい、と小声で命じる。
「追放のお下知、たしかに承りました。
ひとつだけ、お慈悲を賜りたく存じます」
つとめて平静な声で言う。顔は上げなかった。
いまの自分の表情を王太子に見せてはならない、と思ったから。
「よい、言ってみよ」
幾分余裕を取り戻した王太子が鷹揚に答える。
「5日――いえ、3日の御猶予を賜りたく。
追放となれば、屋敷の使用人たちにも暇を出さねばなりません」
ふむ、と満足そうに王太子が頷いた。
「許そう。
3日後の夕刻をもってそなたは追放。皆もそのように知りおけ」
アリアレインは黙って頭を下げ、次いで怒りのあまり顔を青くしている従士に視線を向けた。
「帰るわ、アーヴェイル。
エスコートなさい」
立ち上がる一瞬でその表情から怒りを吹き消した従士が、優雅な手つきでアリアレインの手を取る。
広間の扉まで歩き、アリアレインはくるりと振り返って見事に一礼した。
そのままドレスの裾を翻して扉を出たアリアレインは、馬車に乗り込むまで二度と振り返らなかった。
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