HEROs

赤王五条

プロローグ ライザード再び

 東アジア連邦宣言当初、朝鮮半島は火種であった。

南北に分かれていた二つの国。北の国は強硬に宣言批准を拒否していたが、旧ロシアと旧中国の強い説得によって宣言を受け入れた。

 一体どんな話し合いがあったのか、それは今でも公開されてはいない。とはいえ、国境線は地図上から消失し、連邦の国土の一部となった。

 現在は北部が農耕労働地帯、南部が都市部という住み分けがされている。今回、優雅が訪れたのは南部。

 そこは『アジアのラスベガス』の異名を付けられたカジノ都市だった。

 目的はあるカジノのオーナー、リュウへの事情聴取。過去に関わった大陸マフィアの事件からその名が浮上した。

 普通は警察に通報するべき事案であるが、ポナパルト理事長、そして優雅のところに話が来た以上、穏やかな話に終わるはずがないということなのだろう。

 真昼間。一見、風光明媚に見えるリゾートカジノ街を進み、目的のカジノを見つける。

「嘘はいけないねぇ」

 カジノの前で声を張り上げる金髪の男が1人。夏場、カジノ前であちこちのビルからの冷房が漏れているとはいえ、暑そうな道楽的白づくめの男である。

 酔っ払いが絡んでいるのではない。恐らくは普段人が好さそうなハンサムが、黒タクシーの運転手に対し、絡んでいる。

「半島語と大陸方言の区別がつかないとでも?」

 どうやらタクシーの運転手とトラブルになっているらしい。男の背中に遮られ、また運転手がしどろもどろに何か言っているが、周囲の喧騒の方が五月蝿く聞こえない。

「水増しした金を返せとは言わない。ただ質問に答えて欲しい。簡単なことだ。」

 マフィアかヤクザのように優しげにしかし鋭く運転手を追及している。

(印象深いヤツだが)

 一瞬考えた直後、運転手と男のトラブルが解決したようで、男が運転手の肩を叩いていた。男の方は気を良くしたらしいが、運転手の表情は暗い。

 タクシーは旅行客が使うような見た目は磨かれたタクシーだ。しかし乗っている運転手は、無地の白シャツを着ていて、およそ社員には見えない。

 タクシー運転手を装って、旅行客相手に詐取でもしていたか。男は新たなにチップを運転手に握らせ、再乗車する。そして何処かへとタクシーを走らせて行ってしまった。

 どうも優雅はその様子を印象的に感じながら、昼間のカジノに入店する。訪問自体は非公式だ。AAAに表向き捜査権はない。だから聴取という形だ。

 攻撃してくれば過剰とも言える防衛行動が許可されている。その点だけいえばAAAもまともな組織ではない。

 実を言えば、カジノに入ったことは初めてではない。賭場を運営するのは藍明守でも普通のことだ。もっとも学園都市ではなく、武藤ニュータウンや神代町でのことである。

 だから広大なカジノスペースでオーナーのいそうな場所、という所は見当がつくのだ。

 表で見た男の一件をひとまず頭から振り払い、スペースの中でも一際金であしらったような派手なルーレット場に来る。

 ギャンブルは胴元が得をするものとはいえ、『自分はこれぐらいお金を持ってますよ』というような主張をするべきなのだろうかと疑問に思う。

 総司が『金は稼ぐことに意義があるんじゃねぇ、使うことに意義があるんだ!』などと言っていた。

 それについて神威は『急に力を持ったら誇示したいのと同じように、お金でモノを言わせる人間はよくいるよ』と言った。

 力を振り回すとはこういうことか、と改めて優雅は反省した。そんな教訓を得ながら、趣味の悪いギャンブル場を進もうとすると流暢な英語で呼び止められる。

「申し訳ありませんが、この先は会員制となって、あ。」

「伊沢暦? 本土のほうではなかったのか?」

 優雅が振り返った先にはノースリーブの従業員制服、いわゆるバニー姿の暦がいた。彼女は説明の英語を話しながら、知り合いの優雅の顔を見て硬直した。

「い、いやぁ、これには理由が」

「ほう」

「コヨミ!」

 前提として、今回総司が来られなかったのは暦がおらず、彼が藍明守の店鋪にいなくてはいけなかったからだ。

 そして暦がいない元々の理由は彼女が看護師の研修のため本土へ行ったからにある。

 しかし事実として、彼女の豊満な胸部も強調されたカジノの従業員っぷりが発揮されている。まるでベテランかのように名前で警備員らしきスーツの男に呼び止められている。

 カジノにバニーガールはいないはずだが、優雅はそんな知識はない。

「オーナーがお呼びだ」

 というようなことを警備員らしき黒スーツの男が言っている。どうやらいつものことらしく、暦がため息をついている。

「どんな理由かは知らないが、ここのオーナーに用事がある。通してくれれば総司には何も言わない」

「さっすが、優雅義兄さんは話が分かる!」

 唐突だが渡りに船である。暦がここのオーナーと面識があるなら話を聞くぐらいはできるだろう。それに、彼女に何が起こったのかも分かることだろう、多分。

 まごまごしていた暦が、一瞬で笑顔を取り戻した様子は、総司の喜怒哀楽な様子を思い出すかのようだった。



                  *****



 最近やった仕事は領収書の整理。定時終了後、半ば拉致同然に酒へ連れてかれる。

 自分は本当に公務員なのかと思うことはしばしばあった。しかし、現場へ車移動すると何となく胸が高鳴る。

 もっとも初仕事という緊張感もあるのだが。

 東アジア連邦、朝鮮エリアのカジノ街。一木優はレイトゥーとアルマに同行していた。

 仕事に対する心構えに問題がありそうな先輩だが、それでも国家機密のために奔走する公務員としては優秀な部類に入る。

 彼らに希望を託すようにこの公安局へ入ったのだ。仕事のしがいがなくては、もとい、表に出られないからこその仕事ができなければ困るのである。

 ほどなくして車は地下駐車場に停車する。目的はカジノオーナーに対する聴取。任務が警察じみているが、抵抗されることを見越して優が配置されたのである。

 チームリーダーのレイトゥーがカジノへの直通エレベーターと駐車場を繋ぐ電子ロックドアから回線を盗んで、ハンディパソコンで何やら調べている。

 見つかったら犯罪だが、バレずにやるのが大人のマナーらしい。

「AAAのエージェントに先を越されている」

 リアルタイムの防犯カメラ映像を取り出すと、映し出されたオーナー室には目的の人物とAAAのエージェントで最近公安と絡む伊達優雅の姿があった。



                 *****



 染めたであろう下品な金髪に、肉体自慢であろう大きく胸元の開いたYシャツ、ラメ入りの上下。

 目立ちたいだけの取り合わせの格好の奴がカジノオーナーであった。

「いやぁ、伊達さんのお友達だったか。これは失礼。彼女のよく言う恋人かと思って呼び戻してしまったのだよ」

 年齢は30代くらいに見える男が笑っている。言わんとする意味はよく分からないが、おそらく暦がここで働く理由と関係があるのだろう。

 だが今はそれに関してどうこうする余裕はない。任務の方が優先事項だ。

「こうして面会できたので俺にとっては都合がいい。1つだけ質問がしたい」

「何か? 彼女ならば」

 暦のことを勝手に語ってくれるのは結構なことだ。それは優雅の質問でない以上、別に語ってくれても何も問題はない。

「最近、薬物を取り扱い、島への輸送に携わったことは?」

 オーナーの言葉を遮り、質問を切り出す。その質問に彼は営業スマイルをやめた。分かりやすい反応だが、欲しいのは確証だ。

 薬物だけでは何とでも言える。魔人化薬物でない薬物にも関わっているかもしれない。

「君は【教授】の使いではないね。伊達くんの友達と言っているし、島からとなる劉家か?」

 こちらの知識の無い符丁を使い始めた。それに対し優雅が無表情だと、彼はさらに疑問顔になる。

「分からんな。一体、どこの所属だ?」

「AAAだ。【教授】というのが雇い主か」

 優雅が素直に答えると、オーナーのアイコンタクトにより、出入り口は従業員風のSPに塞がれた。数は4人。

「トライエースだぁ!? 何で【デモニック】を!」

 彼の言う【デモニック】とは間違いなく魔人化薬物のことであろう。オーナーはAAAが出張ってきたことに大げさに狼狽している。

 情報統制でAAAが薬物捜査に関わっている事は表向き出ていないからAAAが出てくることは予想外なのかもしれない。

 とはいえ、運び屋の一人の癖に色々喋りすぎである。AAAの捜査を知らないこともあるし、黒幕のトカゲの尻尾の末端なのかもしれない。

「くっそ、驚かせやがって!」

 勝手に驚いていたのだが、気に障ることであったようだ。特に書類もない小奇麗で大きい木机から何かのアンプルを取り出し、首につける。

 何かが噴出する音がしてアンプル内部の液体がなくなった。持病薬か何かなのだろうかと一瞬想像していると、オーナーはいきなり拳を机に叩きつけた。

 重いものが叩きつけられた大きな音と、木が叩き割られたような音が同時に起こる。一瞬後、木製の机が真っ二つになっていた。

「やっぱりこいつを打ってストレス解消が一番だぜぇ!」

 オーナーの右手は机に叩きつけたせいで赤いが、それ以上に眼が異常に充血して赤い。さらに、前よりも筋肉が隆々としている。

「なーんか色々聞かせちまったし、久しぶりに人間を港に沈めないとな」

 物騒なことを言っている。どうも聞いていると違和感を感じる。ここで優雅を始末したとして、増援が来る予想はしていないのだろうか。

 相手はカジノのオーナーで副業として色々運び屋をしている。ヘルメスの残党というわけでもない。彼には多少潤沢な資金しか後ろ盾はない。

 彼はどうやらアンプルを常用しているらしい。そして、後ではSPが逃げている。巻き添えを食わないためか、最初から忠誠心が低いか。

 暦は扉の後ろから様子を伺っている。彼女にも義理というものが残っている。

「るぉらぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

 理性の全く無い咆哮。机を乱暴に押しのける。

 そして一直線に優雅へ突進してくるオーナー。優雅はその名の如く横に避け、オーナーの足を引っ掛けさせて前のめりにつんのめさせた。そのため、暦が隠れている扉に頭から突っ込む。

 木製の扉とはいえ、それは豆腐のように柔らかくは無い。人間の頭は物質を貫き通せるようにはできていない。

 つまり、扉を頭で貫くような当たり方をすれば気絶するぐらいは最低でもするはずなのである。頭蓋骨は頑丈にできているが限度がある。

 突っ込んだオーナーは扉を破壊しながらゆっくりと優雅に向き直った。流石に頭からは流血している。とはいえ、なんとも思っていなさそうだ。

「ああああああああああ!!」

 獣のような咆哮。気の利いた言葉も吐けないほど中毒に陥っているのかもしれない。

(魔人化しないのか?)

 大振りな拳を避け、またも足をひっかけて転ばせる。まともに食らえば酷いことになるだろうが、拳を優雅に当てる技術が無い。

 オーナーは素人。プロが突っ込んでくるだけの攻撃に当たってくれるはずもない。

 優雅は理性のない突撃を右に左手に最小限の体捌きで避ける。その間、筋力を増加させているだけの相手に疑問符を浮かべていた。オーナーが服用したのはまず間違いなく魔人化薬物であろう。

 だが今のところ肉体の変化は異常筋力だけである。これ以上、筋肉を増加させると血流に悪影響を及ぼし自滅する可能性も挙げられるが、今のところそういう兆候もない。

(固形ではなく液体摂取が問題か?)

 オーナーが摂取したアンプルは液体のものである。最初見た時は固形物を噛み砕いており、その他の捜査では粉末や丸呑み、カプセルなど様々だった。

 そして今回は液体。症状を実際に見るに、今のところは魔人化していない。今までの例からすると摂取後、魔人化するから事件になっていたわけである。

 魔人化しなくなれば効果の大きいただの増強剤である。今のところ判断能力の低下という問題は抱えているが結果を重ねれば改善されるだろう。

(そうか。広まりが早く、かつ虱潰しの対応を取らざる得ないのは、資金を集めるためじゃなく実験するために広めてるからか)

 モノは何らかの魔力補助薬。配合しやすく、かつ手に入れやすい。配合に特に危険を気にする必要はない。目に見える結果だけが欲しいとなれば、安易に手を出しやすい。

 根元は実験目的で、枝が商売目的とすれば、優雅たちは枝を切って木を大きくしているだけとなる。

(やはり【教授】に手がかりを求めるしかない)

 幾度、突撃してきたオーナーに対し、一瞬の間に考える。このオーナーとて枝に過ぎない。倒したところで得られるものは何もない。

 一方で、倒さなければ何も解決しない。周りへの被害、特に暦への危険がある。こういう時、優雅は総司の持つ力がうらやましく思う。

 総司の電撃は対象の無力化に長けている。人体の急所を考えずに動きを止めることに関しては最強かもしれない。

 優雅はそんな力を持ってはいない。ライザードに変身することができるが、それは特殊な能力でないし、魔人化していない人間に対して攻撃力が高すぎる。

 この敵をどう無力化させればいいか。優雅は持つ技術で勝負するしかない。

 一瞬だけ息を吸い、タイミングを図って短く3連発の拳打を腹に。効果は期待していない。だが、オーナーは足を止めた。今まで怒り顔だったが、一転して笑っている。

 無駄な抵抗というものに多少の嗜虐心でも満たされたのだろうか。優雅は、握り拳をオーナーの眼前に構える。そして短く、正確に、顔面への衝撃を叩き込む。

 顔面は急所だらけの上に鍛えようが無い。加えて、衝撃を頭部に直接叩き込まれ、脳を揺さぶられることだろう。最悪、脳出血するかもしれない。そんなオーナーは打たれたときの衝撃の弱さに笑ったものの、すぐに足をもつれさせて後ろに倒れた。

「はいはい、お疲れ様」

 オーナーが倒れた直後、聞いた事の無い声が後から乱入してきた。後ろを振り向くと、スーツ姿の男女が3人。声を発した男が入ってきて、少年と小柄な女性の2人が壊れた扉から中を覗いている。

「公安局の者です。事情聴取お願いできますか?」

 公安局と聞いて、優雅は持明院秋人を思い出す。しかし、男は秋人ではない。だが、彼の同僚らしい。また彼らと同じ任務で鉢合わせたようだ。

「【教授】という符丁に心当たりは?」

「うん?」

 身分証明の公安局IDを示そうとする男に優雅は尋ねる。

「そこのオーナーを確保するのは警察の仕事だ。手柄どうこう言う立場じゃない。この場を任せるから、【教授】というのが誰か知っているかと聞いている」

 相手は未成熟とはいえこの国の情報機関である。誰が黒幕かアタリぐらいはつけているだろう。

 交換条件としては少々交渉の仕方が悪いかもしれないが、聞けないのなら他を当たるだけだ。

「あー、リー・パーシアスのことかな?」

 あっさりと答えが返ってきた。優雅は若干拍子抜けしたが、目的の答えは聞けた。優雅と神威が戦う羽目になり、総司が瀕死になった、ヘルメスの実験場から逃げ出した元凶の名前が出てきたのだ。

「レイトゥーさん、目標が動いてます!」

 優雅が確信を得ていると公安局の少年が声を上げた。振り返って、オーナーの方を見ると確かに彼が震えるように動いていた。

「ふむ、気絶させたことで精神侵食が早まった、かな?」

 公安局の男が呟く。彼らも魔人化について独自の情報をもっているだろう。とはいえ、薬物が心も侵すとはあまり考えたくはないのだが。だが実際にはオーナーの体の色が黒く染まり始めているし、より筋肉が盛り上がり始めている。

「アルマ、一木君、撤退だ!」

「了解!」

「ちょっ!?」

「かあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 公安局の男は部下に命令し回れ右、アルマという少女と共に脱出し、一木という少年は取り残される。判断と行動が早すぎる。

 だがそれは正解だった。直後、オーナーの咆哮と共に天井が破壊された。

 オーナー室がカジノの最上階にあったことが幸いし、天井が抜けても上に被害は無い。

 問題は魔人化しつつあるオーナーへの対処であろう。彼は立ち上がったがすぐに膝をついた。盛り上がった筋肉が裂けて、そこから異形の肉が出てきてしまっている。

 特徴的なのは頭から角が生え始めているということであろう。御伽噺か映像で見るかのような悪魔へと変化しつつあるのだ。

(変身、するか?)

 周囲には逃げ遅れた公安の少年、暦がいる。

 2人ぐらいなら守りながらでも変身して戦える。だが本当に?と優雅は自問する。

 考えている余裕はない。舌打ちして即行動。逃げ遅れた公安局員や暦とは反対側へと動いた。

 異形化したオーナーは動く優雅に視線を引っ張られて、引きつけられる。それで暦と公安の少年は意識から外れた。

 暦は聡明である。彼女は化物に震えること無く、公安の少年を引きずり気味に連れて部屋を脱出していってくれる。

『ブースト・オン』

 その暦の様子を見送りながら、優雅はジャケットの左腕をまくる。そして、ゴテゴテした機械の腕輪を操作した。その機械音声がそれだ。

 音声の後に、異形の拳撃を受け止める。直後、軽い衝撃が異形に力場となって広がり、ふっ飛ばした。優雅の全身は漆黒のアームスーツに包まれていく。

 異形が体勢を整える頃には変身は完了していた。

「オオオオオオオオ!!」

 異形の咆哮と共に繰り出される全力パンチは、やはり当たることはない。体捌きだけでかわされている。

『マキシマム・ブレイク』

 優雅は交わしながら、腕輪に次の操作を加えている。本来はエネルギーチャージが必要なことだが、変身持続を担うエネルギーを回して、チャージを短縮した。

 優雅のライザードに、剣もビームもない。彼の格闘威力を引き上げるだけである。だから必殺技だとしてもパンチはパンチであり、キックはキックである。

 ただし、オーナーを一撃で脳震盪にさせた寸勁もスケールアップになることとする。

 大振りな異形の一撃のカウンターざまに、ライザードのチャージ拳撃を異形の腹に見舞う。

 拳は腹の脂肪に飲み込まれ、ダメージがないと思われた。だが一瞬後、異形は吹き飛んだ。

 ライザードのチャージされた魔力が衝撃となって異形体内に貫徹、暴れまわるもエネルギーの逃場がなく、一点衝撃として爆裂したのだ。

 優雅が生身で放った拳撃よりも数段パワーの上がった拳撃を受け、異形は後ろの壁に叩きつけられた。そして、そのまま床に落下して、カエルのように伸びながら、異形化が治っていった。

 オーナーはもはや動く様子は無い。生きているか死んでいるかは分からない。

「そんな力など、何の意味もない」

 優雅は言いながら変身を解き、その場を去った。



                *****



 リー・パーシアスは追い詰められていた。自分の組織、ヘルメスの崩壊。

 逃亡生活の中、奇妙な男に出会った。追い詰められ、明日の飯に困るパーシアスを助け、男の身の隠し場所を提供した。奇妙な男はそれらに対する代償として、あるデータの送信しか提示しなかったのである。

 そのデータとは薬物の使用結果。ただそれだけである。奇妙な男は男が約束を守るとは限らないというのに確約すら取り付けずに男の元を去っていった。

 それから2年たった。約束通りデータを送信し続けた。

 無節操に薬を広め、データのみを集める。するとなぜか広めた先で改良された薬のデータが届くのだ。

 男が何もやらずとも豊富なデータが送られてきて、男自身にまったく足がつかない。一度公安が訪ねて来た時は驚いたが、こちらはデータを集めているだけなので、少し質問して帰ってしまった。

 薬の開発で研究に弾みがついている。これなら今日のスポンサーへの覚えもいい。組織の再編も遠くない。その歓喜のために、彼は判断力を鈍らせていた。

「リー・パーシアス、かな?」

 訪問してきたスポンサーは金髪の男である。見るからに金持ちの道楽者という白づくめの風貌だが、下品なアクセサリーは一つも付けていない。どちらかというと魔術士崩れにも似ている。

「君には非常に助かったよ」

 そう言う男は右手を上げた。握手を求めているわけではない。

「ありがとう。そしてさようなら。」

 感謝と、別れの言葉。次の瞬間、右手から放たれた赤い光によって、パーシアスの胸が赤く染まる。心臓を貫かれたと思考する間もなく、彼の視界は真っ黒になる。

 この男はどこの誰だったのか。まったく分からずに息絶えた。

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