第10話:命日(Side:ネリー②)

 ――ギルベルト・フォルムバッハ。


 その名を聞くと、お屋敷の使用人たちはみな震え上がる。

 この王国全体だって、知らない人はいないだろう。

 三大公爵家の令息という強大な権力に、極悪な性格を兼ね備えた人物。

 逆らおうにも使用人の立場では注意することなどできず、まさしく手の付けようがない暴君だ。

 下手したら視界に入るだけで暴言を吐かれることさえあった。

 私たちの最善手は小石のように存在を消すこと。

 でも、そんなことはもうしなくていい。

 全ての悪評、悪事は過去の物になってしまった。


 ――ギルベルト様は、まったく別人になられたのだ。


 本邸の使用人たちにもギルベルト様の改心ぶりは伝わり、みんな大変に喜んだ。

 お屋敷を包んでいた暗く憂鬱な空気は綺麗サッパリ消え去り、呼吸が楽になったのを感じる。

 立ち込める重い暗雲が吹き飛ばされ、眩しいほどの快晴が広がった気分だ。

 辛かった仕事が楽しくなった。

 せっかく半分に減らしてくれたのに物足りないくらいだ。

 ギルベルト様の改心ぶりは、優しい性格になられたことからももちろんだけど、それ以上に毎日の修行に取り組む真剣で熱心な姿勢から伝わった。


 ライラ先生の修行は、傍目から見ても大変に厳しい。

 私は子どもの頃に一度だけ、王国騎士団の訓練を見学したことがあるけど、まるで比べ物にならない。

 天国と地獄……オアシスと砂漠……極楽と奈落……、それほどの違いがある。

 王国騎士団はきちんと休憩時間があるし、過負荷の訓練は身体を壊してしまうので常に騎士の安全が配慮され、大切な局部をキンッ! されることもない。

 一方で、ギルベルト様の修行には配慮が皆無だ。

 本当に蟻んこほどのゆとりもない。

 毎日毎日、死の淵を彷徨われている。

 しかも、あの“経験の森”で修行されるのだから余計にすごい。

 お水を渡すとき少し入ったら、たちまち身体が潰れそうな圧力を受けた。

 あんなに厳しい環境でも文句の一つも言わず頑張るなんて、他の誰にもできないと思う。


 今でこそこんな感情を抱いているけど、前の私からは想像もつかない心境の変化だ。

 そう感じる。

 〈流星花〉の花畑を破壊されてしまったとき、私は深く悲しんだ。

 死んだ両親が好きだったお花。

 今年は供えられないと思うと、悲しみとともに憎しみの暗い感情が生まれたのも事実だ。

 この気持ちはどうすれば整理できるのだろうと、私は悩んだ。

 でも、もう悩む必要はない。


 ギルベルト様は……〈流星花〉の花畑を復活しようと陰で努力されていた。

 サロメさんから肥料や水やりの仕方を教わったり、なんと操作魔法まで使ってくれていたのだ。

 おかげで、数本の〈流星花〉が元気に生えていた。

 謝罪したいと、頭を下げるギルベルト様を見て、私は今までにないくらい慌てる。

 数本復活しただけでよかったのに、絶対に花畑全体を復活させると言ってくれた。

 ギルベルト様が花に手をかざすと、すぐ額に大きな汗粒が浮かぶ。

 それだけで、どれほど大変な試みなのかわかった。


 ――お願い……! うまくいって……!


 そこには祈る私がいた。

 少しして……異変が起きる。

 一面に咲く元気なピンク色のお花……。

 爽やかな風に揺れる花畑は、以前より何段階も立派になった。

 力いっぱい咲く〈流星花〉はギルベルト様の思いが形になったかのようで、心の憎しみが消えていくのを感じた。

 頬を伝った涙の温かさは、一生忘れない。



 花畑が復活してから一週間後、ギルベルト様は私と一緒に両親の墓参りに来てくれた。

 墓前で今まで私にした仕打ちを謝罪し、天国の両親に祈りを捧げる……。

 以前のギルベルト様では、絶対に考えられないことだ。

 目を閉じた真摯な横顔を見ていると、ふと実感した。


 ――過去は変えられないけど、未来は変えられる。


 まさしく、このお方を示す言葉だ。

 血の滲むような修行をされるギルベルト様を見て、私はいつしか特別な想いを抱くようになった。

 両親の命日に間に合わせるため、花畑を復活させるため、七月七日までに草花を操作したかった……と聞いた瞬間、その気持ちは確かな形を作った。


 ――……私はギルベルト様が好き。主人に仕えるメイドとしても、女としても。


 この先も一生ついていくことを決めた。

 メイドとして……そして、一人の女性として……。

 私はずっと傍にいたい。

 でも、来年ギルベルト様は”ルトハイム魔法学園”に入学してしまう……。

 メイドの私も使用人枠で同行できる可能性があるけど、私が選ばれるかはわからない。

 本邸の優秀で綺麗な人が選ばれるかも……。

 改心したギルベルト様なら、断る人はいない。

 そう思うと、胸がキュッと痛くなった。

 だから……私もライラ先生に修行をつけてもらうことを決心した。

 今から少しでも強くなって、ギルベルト様に確実に選ばれたい。

 怖かったけど、頑張ってライラ先生にお願いしたら了承してくれた。

 旦那様の承認もいただけた。

 どんなに辛い修行でも絶対に最後までやり遂げる。


 ――大好きなギルベルト様と、この先も一緒にいるために。

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