よくできた話
柿井優嬉
よくできた話
「俺、小さいとき、親だったか学校の先生だったかに『ウサギとカメ』を読んでもらって、『何だ、こりゃ』と思ったんだ。
だって、そうじゃない? ウサギは何もレースの途中じゃなく、ゴールしてから休めばいいんでさ。『足の遅いカメでも地道に頑張れば勝てるから、努力は大事だ』っていう教訓を子どもに言いたいのが見え見えで、幼心に『子どもだましの、出来の悪い話だな』って、口には出さなかったけど、思ってたんだ。
でも、成長して、自分が間違っていたことに気づいたんだよ。ウサギのああいった嘘みたいな油断による失敗を、人間は現実によくやらかす。『カメのように才能がなくても一生懸命やれば報われる』じゃなくて『ウサギのような間抜けなミスを犯すことは珍しくないから気をつけろ』っていうのが本当の教訓だって。
つまりこの物語の主人公もカメではなくウサギで、だからこそタイトルは『カメとウサギ』じゃなくて『ウサギとカメ』なんだ。
ただ、カメ側からの視点での努力は大事ってのもその通りではあるし、表と裏みたいに、どっちも意味があって、メインとも言える、二重構造になっていて、実はすごくよくできた話なんだよね、あれ」
「そっかー。確かに普通、主役のほうが先にくるよね、タイトルって」
「あいつ、また……」
俺は思わずつぶやいた。
なじみの喫茶店に足を踏み入れたところ、友人の明石が中央付近の席におり、向かいに座っている俺の知らない女のコにしゃべっていた。おそらく、というか、ほぼ間違いなく、二人は出会ったばかりだ。というのも、明石は好意を寄せる相手ができると早々に、つかみとして今の「ウサギとカメ」の話を必ずするのである。
だが、あいつにはすでに付き合っている彼女がいる。ゆえに浮気だ。しかも何回目かわからないほどしょっちゅうしていて、だから俺の口から「また」という言葉が漏れたのだ。
しかし、浮気は毎回すぐにバレる。それはありがちな、彼女の勘の鋭さによってではない。明石が、気を寄せているコの名前をうっかり口にしてしまうなど、自らボロを出すためだ。
つまり、あいつが言っていた間抜けなウサギは、あいつ自身。今した話は多分、自分のお粗末さから「本当の教訓」とやらに気がついて、できたのだ。
そして浮気がバレて彼女にきつくお灸をすえられたあいつは、その憂さを晴らすために街なかに赴いては気に入った女性をナンパし、しょうもないポカを犯してそれが彼女にバレて、またお灸をすえられて……と、これをずーっとくり返しているのである。
明石は己のドジな振る舞いで、あの「ウサギとカメ」のよくできているという話を手に入れられたわけだけれども、実は俺もあいつのおかげで、その、浮気して、バレて、お灸をすえられて、また浮気しての、無限ループのようなよくできた話を獲得でき、話題に困ったときなど、なにかと便利に使わせてもらっている。
だから、ありがとう明石。俺は彼女の朋絵ちゃんとも知っている間柄だが、告げ口なんてしないから、思いきり浮気を楽しみたまえ。
まあ、どうせまたすぐバレて痛い目に遭うんだけど。
よくできた話 柿井優嬉 @kakiiyuki
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