第244話 野球観戦①
日曜日。俺、不知火洋介は家に居た。近くに来た台風の影響で雨と風が強く、家に居ることしか出来なかったのだ。
そんなとき、上野さんから珍しく電話がかかってきた。
「上野さん、どうしたの?」
「……陽春先輩から電話がかかってきて、明日なんだけど……」
明日は祝日。これはまたみんなで会うとかだろうか。だとしたら、上野さんにも会える! 俺のテンションは上がってきた。
「森先輩が林田君の試合をみんなで観に行かないかって言ってるんだって。どうする?」
林田の試合。つまり野球の試合か。俺は肘を壊して野球を辞めて以来、生の野球観戦は一度もしてこなかった。それどころか、テレビでも野球は見たくない。俺がもし野球が出来ていれば、とどうしても考えてしまうからだ。
だから、林田の試合も当然見に行くはずは無いのだが……それでは上野さんに会う機会を失ってしまう。
「うーん、どうしようかな……」
「無理なら断っていいんだよ」
上野さんも俺の事情は察しているようだ。いつまでも引きずって、かっこわるいところは見せたくなかった。
「いや、俺もそろそろ吹っ切らないといけないと思うし……行くよ」
「そう……じゃあ、行くって陽春先輩に伝えておくからね」
「うん、ありがとう」
「あ、少し早めに行ってまた二人で会おうか」
「……そうしてもらえると嬉しいな」
やはり上野さんは優しい。
◇◇◇
翌日。俺はバスセンターに来ていた。先輩達との待ち合わせ時間より一時間早く上野さんと待ち合わせ、屋上のガーデンカフェに来たのだ。
「不知火、今日はほんとに見に来て良かったの?」
今日の上野さんはいつもより優しい感じがする。久しぶりに野球を見る俺のことを心配してくれているのだろう。
「大丈夫だよ。もう、吹っ切れてるし」
「ならいいけど。無理はだめだよ」
「うん、無理してないから」
「苦しくなったら私の手を握っていいからね」
そう言って、俺の手を握ってくれる。
「ありがとう。でも、大丈夫だから」
そう言いながらも手は握ったままだった。
11時前になり、待ち合わせ場所の一階ロビーに行く。しばらくすると、櫻井師匠と陽春先輩が来た。
「雫ちゃんたち、早かったね」
陽春先輩が上野さんに言う。
「ちょっと早めに来てお茶してました」
「え、二人で?」
「はい」
上野さんは照れることも無く言った。
「不知火、今日はよく来てくれたな」
櫻井師匠が俺に声を掛けてくれる。
「別に大丈夫ですよ。気は使わないでください」
「そうか……でも、野球を辞めてから見に来たことはあるのか?」
「いえ、初めてです。だから、今日は俺にとっても節目になると思います」
「そうか……無理するなよ」
「別に大丈夫ですから」
俺はそう言った。だが、自分でも実際に野球を見てどう思うかは分からなかった。
そこに森菜月先輩が来た。森先輩は俺の事情を詳しくは知らないはずだ。
「ごめんごめん、少し遅くなっちゃって……」
「菜月、大丈夫だよ。でも、相変わらず気合い入ってるねえ。私と遊ぶときには見たこと無い格好だけど」
陽春先輩が言う。
「そ、そうかな? 変じゃない?」
森さんは可愛らしいワンピースに帽子だ。
「少女感がいいよ! ウチなんてボーイッシュ感しかないから」
確かに陽春先輩はTシャツにショートパンツの相変わらずの格好だった。
「よし! 行こう! ってどっちだっけ?」
「あ、俺、案内します」
バスセンターと藤崎台球場は少し歩く距離だが、俺は何度も歩いているので慣れている。
先頭を歩く俺のすぐ横に上野さんが来てくれた。しばらく歩いていると、上野さんは俺の手を握ってくれる。俺の不安を感じてくれているんだと思う。ありがたい。
しばらく進むと球場が上の方に見えてきた。その手前の急な坂を登るとようやく藤崎台球場に到着だ。
「もうすぐ試合開始ですね。内野席あたりに行きますか」
俺は林田のチームのベンチがある場所のちょうど上ぐらいに行き、練習中のグラウンドを見渡す。
「あ、林田居ましたよ」
俺は指さした。セカンドで守備の練習中だ。
「菜月、手振って!」
陽春先輩が言う。森先輩は手を振るがさすがに練習中は気がつかないか。
だが、ベンチに戻ってくるときにようやく気がつき、林田は手を振り返した。
「わあ、手振ってくれた!」
森先輩も嬉しそうだ。
俺も手を振ると何人かの選手が手を振り返してくる。みんな元チームメイト達だ。
「大丈夫?」
座ったままの上野さんが俺の手を握ってくれた。
「うん、大丈夫」
俺は小声で上野さんに言った。
今のところ、自分でも不思議なくらい冷静に野球に向き合えていた。たぶん、上野さんや先輩達が一緒にいてくれるからだろう。
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