第10話 僕が彩乃のためにできること

「じゃあ、こちらに座ってください」

 店員さんに促されるまま座り、白いケープを纏う。

「すぐに来るので待っててくださいね」

 そしてお姉さんは日高に声をかける。

「何か飲み物持ってきましょうか?」

「コーヒーあります?」

「もちろん。すぐ持って来ますね」

 そのやり取りを見ていると、セミロングの女性が僕の後ろに立った。

「こんにちは。ユイっていいます。今日はよろしくね」

「お、お願いします」

「彩乃ちゃんからはカッコよくってオーダーだったけど、具体的な希望はある?」

「髪型とかよく分からなくて……」

「こいつ今まで1000円カットで切ってたんすよ」

「それはやりがいがあるね。ちょっと待ってて」

 そう言うとユイさんは他の席へと移動し、ヘアカタログを持ってきた。

「渉くんって呼んでもいい?」

「あっ、はい」

「渉くんの髪質はストレートだね。毛量も結構あるし」

 僕の髪を触りながらユイさんが話しかけてくる。

「なるほど?」

「スッキリ見せるためにショートレイヤーとかどうかな? 女子ウケ間違いなしだよ」

 そう言って、ヘアカタログをめくり、ショートレイヤーなる髪型の写真を見せてくれる。おお……。爽やかな髪型だ。

「カッコいいと思いますけど……。似合いますかね?」

 僕は不安で尋ねる。ユイさんは僕の頭の形を確認しながら答える。

「渉くんならきっと似合うと思うよ。慣れるまでは違和感あると思うけど、そういうものだから」

「俺も似合うと思うぜ」

「わかりました。それでお願いします……」

「じゃあ、最初にシャンプーしよっか」

 ユイさんに連れられ、髪を洗ってもらった。

「痒いところはない?」

「大丈夫です」

「渉くんの好きな女の子ってどんな子なの?」

 唐突な質問に、思わず体を起こしかけた。

「ああっ! 濡れちゃうから起き上がらないでっ!」

 その言葉で僕は元の姿勢に戻った。

「すみません……」

「ごめんね。いきなり聞いちゃって」

「いえ……」

 彩乃が余計なことを言うから……。

「でも好きな子のために、自分を変えたいって思うのカッコいいと思うよ」

 顔に布をかけられていて、ユイさんの表情を見ることはできなかったが、その声音は柔らかかった。彩乃に指摘されなければ、美容院に行こうなどと思わなかっただろう。心の中で彩乃に感謝した。頭を拭かれて、また席へと戻った。

「じゃあカットしていくね」

 そう言って、ユイさんはハサミを手に取ると、髪をカットしていく。

「彩乃ちゃんとは仲良いの?」

「えっと……」

 どう説明したらいいんだろう。僕が迷っていると代わりに日高が答えた。

「こいつら恋愛同盟組んだんすよ」

「恋愛同盟って?」

「お互いが、お互いの恋に協力するっていう」

「ちょっ、日高っ!」

 ベラベラ喋りすぎだろ。

「青春だねぇ。彩乃ちゃんは苦戦してるみたいだから、力になってあげてね」

「は、はい……」

「それで渉くんの好きな子は?」

 ワクワクした表情で聞いてくる。ユイさんはまだ諦めてなかったらしい。

「すげー可愛いんすよ。守ってあげたくなる感じの子で」

「へー。じゃあ、ライバルも多いんじゃない?」

「そうっすね」

「じゃあ、お姉さんも気合い入れないとね。ものすごくカッコよくしてみせるから」

 そう言って、腕をまくるとユイさんはまた髪を切り始める。

「渉くんは、その子のどんなところが好きなの?」

 僕が咲希のどこを好きなのか。改めて聞かれると、言葉にしにくかった。そもそも僕の理想の女の子として、咲希を生み出したのだ。だから理想の女の子だから好き、ということになる。でもそれじゃ、ユイさんの質問への答えにならないよな。

「えっと……。立花さんは。あ、立花さんって言うんですけど。立花さんは優しくて、温かくて……。一見、気が弱く見えるけど芯が通ってて……。他人を大事にできる人で……。感受性が豊かで……。それに」

「ストップ。胸焼けがする」

 日高がダルそうに僕の話を遮る。

「ふふっ。渉くんは本当にその子が好きなんだね」

 ユイさんが目を細める。鏡に映る自分の顔が赤くなるのがわかった。しばらくして、カットが終わった。

「眉毛もカットしようか」

「お願いします……」

 両目を閉じて、眉を整えてもらう。

「じゃあ、もう一回シャンプーするね」

「はい」

 ユイさんについて行き、髪を洗ってもらった。

「かなり気合い入れてカットしたから、驚くと思うよ」

「緊張します……」

「それじゃ、髪を乾かすね」

 もう一度、席へ座るとユイさんがドライヤーで僕の髪の毛を乾かしていく。

「渉くんってワックス使ったことある?」

「ないです……」

「じゃあ、デビューしてみよっか」

 そう言って、ユイさんは両手にワックスを馴染ませる。

「こうやって両手でワックスを伸ばしてね、髪の毛全体に馴染ませるの」

 そう言いながら、ユイさんは僕の髪にワックスを塗っていく。

「そしたら、七三分けの感じで流れを作って。本当はドライヤーでやるといいんだけど、いきなりはハードル高いと思うから」

「そうですね……」

「最後に前髪を立たせて終わり」

 鏡を見て驚いた。これが僕?

「どう? カッコよくなったでしょう」

「いい感じじゃん」

「浮いてないですかね?」

「ヘアスタイルを変えたときはそう感じるものだって話したでしょ? すっごく似合ってるよ」

「ありがとうございます……」

「どういたしまして」

 会計の段階になって、そんなに手持ちがないことに気づいた。こんな美容院でカットするとかすごく高いんじゃないだろうか?

「二千円になりますね」

「えっ? 安くないですか?」

 思わず聞いてしまった。

「初めてだし、彩乃ちゃんの紹介ということで割り引かせてもらったからね」

 隣にいたユイさんがニコニコと笑いながら説明してくれる。

「ありがとうございます」

 そう言って、財布から千円札を二枚取り出した。

「おうちに帰る前にワックス買うの忘れないでね。ドラッグストアとかで売ってるから。それとできれば二ヶ月に一回はカットしに来てね」

「わかりました」

「じゃ、恋愛同盟頑張ってね」

 ユイさんは楽しそうにエールを送ってくれた。


 部屋でワックスの付け方についての動画を見ていると、彩乃からチャットが届いた。

「カッコよくしてもらった?」

 僕は返答に窮した。カッコよくなったと自分から言っていいものなのだろうか。

「多分?」

「多分ってなによ」

「まぁ明日見てあげる」

「ちゃんとワックスつけてきなさいよ」

「おやすみ」

 一方的にチャットを連投して、彩乃は会話を打ち切ってきた。父さん以外とチャットをするのは生まれて初めてだが、こういうものなのだろうか?

「おやすみ」

 一応そう返答するとスマホを充電器に繋いだ。ベッドに仰向けに倒れ込む。チャットもクラスで話すのも禁止されたけれど、僕はどうやって咲希と仲良くなればいいのだろうか。彩乃には何か考えがあるようだけど、僕には全く想像がつかなかった。

 それに……。彩乃の恋を叶えるにはどうすればいいのだろうか。今日、彩乃と話して、少しだけど彩乃のことを知って。僕は自分の恋のためだけではなく、彩乃のためにも、彩乃の恋を叶えたいと思うようになった。単なる負けヒロインとして生み出したのに、こんな気持ちにさせられるなんて、不思議なものだな。そんなことを考えながら眠りについた。


 翌朝、洗面台の前でかれこれ20分ほど奮闘していた。ワックスってこんなに難しいのか。ユイさんがささっと付けてたから、もっと簡単なんだと思っていた。あちこち触るが、いじればいじるほど髪型が変になっていくような気がした。スマホを見ると、そろそろ出ないと遅刻する時間だった。仕方なく家を出る。

 ホームルームが始まる5分前に教室に着く。遅刻しなかったことにホッとして席につくと、天道が話しかけてきた。

「金木、髪切ったんだな」

「……うん」

「カッコいいじゃん」

「そうかな……」

 イケメンに褒められても喜んでいいのかわからなかった。

「立花さんもそう思うよね?」

 咲希に話を振るなっ! 内心で天道に突っ込む。咲希は振り返って、僕を見る。

「私も似合ってると思うよ」

「ありがとう……」

 咲希を直視できず、俯く。

チャイムが鳴り、愛花先生が教室に入ってきた。

「今日で五月も終わりだな。来月は体育祭があるから覚悟しておくように」

「せんせー。今年もクラス対抗なの?」

「ああ。学年一位のクラスには賞品もあるぞ」

「おっしゃーっ!」

「ウチ、去年は二位だったんだよねー」

「一位目指そうよっ!」

「お前ら、少しは落ち着け。まだ三週間も先なんだぞ」

「はーい」

 マズい。このクラスの生徒たちは勝負事が好きなのだ。僕がそうしたんだけど。合唱大会は順位を決めなかったから、みんなもそこまで本気じゃなかった。だけど体育祭は、みんな本気になるだろう。そして僕は運動が得意ではない。部活もやらずに家でマンガだけ描いてた人間が得意なはずがない。確実に足を引っ張る。

せっかく髪型を咲希に褒めてもらえたのに、咲希の前で恥を晒すことになるのか。僕は頭を抱えた。

 授業も聞かずにマンガの展開を思い返した。天道と咲希が三人四脚で一緒になるのは覚えている。もう一人はモブだったはずだ。天道と咲希をくっつけないためには、僕が三人目になって真ん中になる必要がある。問題はモブがバランスを崩し、咲希が倒れる際に天道が咲希を抱き止めるという展開だった。僕の運動神経なら十分にあり得そうで怖い。

 休み時間に入ってすぐのこと。

「渉、ちょっと来て」

 彩乃はそれだけ言うと、先にすたすたと歩いていってしまう。慌てて立ち上がると、彩乃を追いかけた。廊下の突き当たりで僕を待っていた彼女に近づくと、彩乃は僕の髪の毛をジロジロと観察する。

「さすがユイちゃん。髪型はかなりイカしてるじゃない」

 髪型「は」という言い方に若干引っ掛かりを覚えたが、聞かなかったことにしよう。

「でもワックスは下手くそね。ちゃんと考えながらつけた?」

「昨日動画も見たんだけど、自分でやってみるとうまく出来なくて……」

「まぁ、いきなりうまくなる方が無理ってもんね。とりあえず毎日ワックスつけなさい。土日も」

「土日も?」

「そうよ。ワックスをつけることを習慣化して、少しでも早く上達しなさい。動画も見ることね」

「わかった。話はそれだけ?」

「もう一個。しばらく別行動するから、あんたと日高で、あたしが玲と付き合える方法考えといて」

「……わかった」

「いーい? あんたのためにあたしも頑張るんだから、あんたもあたしのために頑張りなさいよ」

「わかってるって」

「ならよし。じゃ、教室戻るわよ」

 別にやる気がないわけじゃないんだ。ただ、僕にできることが思いつかないだけで。僕が彩乃のためにできること。そこで僕は閃いた。

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