第8話 今の僕がきみにあげられるもの

 翌朝、喉の痛みはまだ残っていたが、軽く声を出してみると普段通りの声だった。ハチミツのど飴のおかげだろうか。教室へ入ると、自然と咲希に視線が行く。昨日は咲希と話す勇気が出なかった。今日の合唱大会を全力で歌えたら、咲希に話しかける資格を持てるような気がする。だから頑張ろう。そう意気込むと、自分の席へと向かった。


 二限が終わり、みんなで音楽ホールへと向かう。大丈夫。歌詞もメロディも覚えた。唾をゴクリと飲み込むと、背中を強く叩かれる。僕は前を見ながら応える。

「なんだよ」

「昨日の自己練の成果、楽しみにしてるぜ」

 驚いて、思わず日高を見る。

「なんでって顔してるな。実は俺、エスパーなんだよ」

「嘘つき」

「ははっ。まぁ、金木の考えることはわかりやすいってこった」

「言いたかったことはそれだけ?」

「いーや、俺からのレッスンその3。周りなんて気にせず思いっきり歌え」

「わかってる」

 僕の返事を聞くと、日高はまた僕の背中を強く叩いた。その時、後ろから天道の声がした。

「立花さんなら大丈夫だよ。自信持って」

 振り返ると、青白い顔をした咲希を天道が励ましていた。僕は自分のことで精一杯で、咲希の変化に気づけなかった。悔しい気持ちが込み上げるが、それが今の僕のレベルということだ。

 だけど、必ず成長してみせる。僕は決意を新たにした。


 前のクラスの合唱が終わり、僕らの番になる。壇上に上がると、モバイルスピーカーとペアリングを行った。こちらを見ている天道に、手を挙げて合図をする。

リード役として唯一、僕らと向かい合う咲希の様子を見る。すごく青白い顔をしている。緊張しているのか、両手を強く握りしめている。何か言葉をかけたかったが、僕の立っている場所からは、咲希に僕の声は届かない。それが歯痒かった。

 天道が両手を上に挙げたので、再生ボタンを押した。イントロが流れ始める。背筋を頑張って伸ばすと、息を吸い込んだ。

思ったより歌えている。それが正直な感想だった。昨日の練習の成果が確実に出ていた。それが自信となって、緊張していた体も少しだけリラックスしていく。

 最初のサビが終わり、二番目に入ろうというとき、異変が起きた。曲が止まったのだ。

慌ててスマホをポケットから取り出し、接続状況を見る。なぜかペアリングが切れていた。どうして? 練習の時は一度もこんなこと起きなかったのに。

急いでもう一度ペアリングをする。曲が流れ始めて安心したら、またすぐに音が切れた。スマホを見ると、またペアリングが切れている。

 曲が止まったことで合唱も止まっていた。その時、クスクスという笑い声が聞こえた。声の主を見ると、松井たちが顔を見合わせて笑っていた。まさかあいつら。モバイルスピーカーを松井たちが片付けていたのを思い出す。その時にペアリングをして? 単なる憶測に過ぎない。でも、もしそうだとしたら。あいつらは曲を流させるつもりはないってことだ。

 クラスメイトたちが困惑でざわつき始める。天道も手が止まっている。

その時、か細い歌声が前の方から聞こえてきた。前を見ると咲希が続きを歌っている。独りで。その表情は泣きそうで。咲希がどれほど勇気を振り絞って歌っているのかが、痛いくらいに伝わる。松井たちの笑い声が大きくなる。

今の僕にできること。僕は大きく息を吸い込むと、自分でも驚くほどの大声で歌い始めた。咲希を独りにはさせない。

「いつもきみを想っているよ。どんなに遠く離れてもきみが好き。すぐに泣いてしまう弱虫の僕がきみにあげられるもの。それはただ一つこの歌だけ」

 大声で歌おうとして音程が外れてる。それがどうした。リズムがうまく取れない。それがどうした。今の僕がきみにあげられるもの。それはただ一つこの歌だけなんだ。

 僕がサビの部分を歌ったからだろう、天道が指揮を再開した。それに合わせて中野と日高も続きを歌い始める。僕らにつられて、他のクラスメイトたちもまた歌い始めたのだった。

 なんとか歌い終わると、席に座っていた他のクラスの生徒と教員たちが拍手をした。ホッと安堵したが、自分の喉がカラカラに渇いていることに気づいた。手に痛みを感じたので左手を見ると、手のひらに爪痕がくっきりと残っている。こんなにも緊張していたのか……。

それでもなんとか乗り切れたと思う僕だったが、クラスメイトたちは許してくれなかった。

「金木、途中なんだったんだよ」

「ペアリングが切れたんだ……。再接続してもまた切れて……。もしかしたら他のと……」

 僕が可能性を伝えたところ、それを聞いた中野が松井たちの元へ向かう。

「あんたたちでしょ」

「なっ」

 松井が驚く。

「証拠でもあるのっ⁉︎」

「そうよそうよ」

 堀口と伊藤が援護射撃をする。すると中野が意地悪そうにニヤリと笑うと右手を差し出す。

「無実だってんなら、スマホ出してみ?」

 それが決定打だった。松井たちはスマホを取り出そうとしなかった。

「な、何よ。ちょっとした悪戯じゃない」

「やり方がきたないんだよっ!」

 クラスメイトたちの注目は完全に中野たちに向かっていた。愛花先生が立ち上がり、怒鳴る。

「何揉めてんだ? さっさと降りてこいっ!」

 その言葉で中野たちも静かになる。クラスメイトたちは順番に階段を降りていく。ぼーっとしたかった僕は、後ろの方で待つことにした。すると。

「金木くん、さっきはありがとう」

 耳元で咲希の声がした。振り返ると、咲希がもの凄く近い距離に立っていた。振り返った勢いで揺れた僕の手が、咲希の手に触れる。その手は驚くほど冷たかった。咲希の顔を見るとまだ青白いが、少しずつ血色が戻ってきている。そこで僕は実感する。彼女の力になれたのだと。

「ぼ、僕もリード役だったからね」

 きみのために頑張ったとは、気恥ずかしくて言えなかった。

「そうだったね」

 そう言って咲希は笑う。その表情はこれまで見た笑顔の中でも格別な可愛さだった。

「降りようか」

 気がつくと前にいたクラスメイトたちは、すでに階段を降りていた。

「そうだね」

 そう返すと僕らは階段をゆっくりと降りた。

 教室へと戻る道の中、背中を強く叩かれた。

「テッテレーンッ! 金木はレベルが上がったッ!」

「もしかしてそれ毎回言うつもり?」

「嫌なん?」

「嫌だよ」

「じゃあ、ここぞっていう時だけにしといてやるか」

「いや、言わなくていいんだけど……」

 昨日のことを振り返る。

「日高、ありがと」

「やっぱジングル嬉しいんじゃん」

「そこに感謝したんじゃないっ!」

「感謝するのかツッコミかどっちかにしてくれよ」

「お前のせいだっ!」

 僕のツッコミに笑い声を上げると、日高は他の男子のところへ向かっていった。ため息を吐くと、今度は天道が近づいてきた。

「金木、マジで助かったわ」

「サポート役の務めを果たしただけだよ」

 天道に咲希のためだったと言うつもりはなかった。

「サンキュな。ところで今日の放課後って空いてる?」

「空いてる……けど?」

「立花さんと三人で軽く打ち上げやんね? 一週間ちょいとは言え、一緒に頑張ったわけだし」

「……わかった」

 僕が頑張ったのは今日くらいだったというのに、僕にも声をかけるとはさすがイケメンだな。女子だけど。

 放課後になり、僕と咲希は天道に連れられて学校のテラスに来た。天道は自販機の前に立つと、僕らに質問してきた。

「二人とも何飲みたい?」

「……炭酸」

 僕が答えると、天道はICカードをタッチして、コーラを買ってくれた。そのスマートな行動に驚いた僕は、ワンテンポ遅れて財布を取り出す。

「じ、自分で買うって。それいくら?」

「いいっていいって。誘ったのは俺だし、ジュースくらい奢るよ」

 そう言って、コーラを押し付けてくる。イケメン力が高過ぎて、デロデロに溶けてしまいそうだ……。

「立花さんは何がいい?」

「えっと……。それじゃ、紅茶でお願いします」

「りょーかい」

 そう言って、ミルクティーを買う。

「あったかいから気をつけてね」

「ありがとう」

 天道は自分用に水のペットボトルを買うと、僕らを見た。

「じゃ、あっちで打ち上げしようか」

 そう言って、テラスのテーブル席を指差す。

「合唱大会お疲れーっ!」

「お疲れ」

「お疲れ様」

 僕らは互いの飲み物で乾杯する。

「ちょっとしたハプニングはあったけど、二人のおかげで乗り越えられてよかったよ」

「金木くんのおかげだよ。私は全然」

「そんなことないよっ! 立花さんが頑張って歌ってたから、ぼ」

「ぼ?」

「ぼ……。僕も頑張らなきゃって……。だってサポート役だし」

「あの時もそう言ってくれたね」

 そう言って咲希は微笑む。まったりした時間が流れる。しかし、それを壊す人物が現れた。

「三人だけで打ち上げとかずるーいっ!」

 中野が口を尖らせながら近寄ってくる。

「あたしも混ざる」

 そう言って、空いてる席に座る。そのアグレッシブさは少々羨ましかった。そういえば中野にお礼を伝えていなかったのを思い出す。

「中野、さん。合唱大会の時はありがとう」

「別にいいってあんくらい。ってか、あいつらホント性格悪いしっ!」

「まぁまぁ。あの後、俺からも言っておいたからさ」

「玲は優し過ぎっ! そんなんだからあいつらも調子乗るんだよっ! ま、そんな優しい玲が好きなんだけど」

 コーラを飲んでいた僕は、突然の告白に思わず液体を吹き出してしまった。

「金木くん、大丈夫?」

 咲希がティッシュを取り出してくれる。ティッシュを受け取ると、顔を拭く。

「ありがと……」

「急に何よ」

「いやだって……」

 人が告白する瞬間を初めて見てしまった。

「でもさ、今回の合唱大会で思ったけど、立花さんの歌声ってホント素敵だよね」

 中野に好きと言われたのに、咲希のことを褒めるとかこいつ正気か? だが、中野本人はあまり気にしてないようだった。

「スルーすんなしっ! でもそれは思った。もっと自信持って歌えばよかったのに」

「ぼ、僕も立花さんの歌声はすごく素敵だと思ったよ」

 僕ら三人から歌声を褒められた咲希はリンゴのように顔が真っ赤に染まっていた。

「あ、ありがとう……」

 その様子を温かく見つめる天道。僕は今日の僕にできることを精一杯頑張った。そして咲希から感謝してもらえた。それだけで満足するべきなのに……。

天道を見ていると、僕の感じていた満足感も波打ち際に描いた絵のようだった。波にさらわれて一瞬で消えてしまう。

そんな僕らを見ていた中野は突然立ち上がる。

「んじゃ、あたしそろそろ帰るね」

「ああ。また明日な」

 天道がそう返すも、中野は笑うことなく去っていった。天道から言われたら笑顔で帰りそうなものだけどな。そんなことを考えながらコーラを飲む。そういえば。

「返事しなくていいの?」

「何の?」

「中野、さんの告白」

「あれは告白じゃないよ。挨拶みたいなもの」

「そんな言い方……」

「告白はもうされたよ」

「えっ⁉︎」

「断ったけどね」

「そうなのっ⁉︎」

 驚いた。しかし、同時に納得もした。そりゃあれだけ好き好きオーラ出されても反応しないはずだ。そういえば、一年の時に一目惚れして告白した設定にしてたなと思い返す。でもフラれたのに諦めないのはすごい。自分で決めた設定ながら、目の当たりにすると尊敬するしかった。

天道は背筋を伸ばすと僕らに話しかける。

「そろそろお開きにしよっか」

 僕は頷くと、残っていたコーラを飲み干した。


 電車に揺られながら、今後のことを考える。スピーカーのペアリングの役目を天道と変わったのに、親衛隊のせいで結局マンガと同じように咲希が困る展開になってしまった。やっぱりマンガの大筋を変えることは出来ないのか。

花火大会のシーンを思い浮かべる。あの未来は絶対なのだろうか。

 

 翌日、昨日の騒ぎはなかったかのように淡々と時間が過ぎていく。松井たち親衛隊も特に変化は見られなかった。だが昼休みに入った時に、それは起きた。

「金木、ちょっと付き合いなさいよ」

 中野に呼び出しをくらった。中野が告白した時に吹き出したことを怒られるのだろうか?

「返事は?」

 中野の気迫に押された僕に、拒否権はなかった。

「は、はい……」

「じゃ、行くわよ」

 そう言って教室を出るとスタスタと歩いて行ってしまう。その手には弁当が握られていた。

「あ、あの……。中野、さん」

「なに?」

「購買部でパン買ってきてもいい……ですか?」


 その後、購買部でサンドイッチを買った僕は、中野に連れられ学校の屋上へと向かった。

「屋上?」

 驚いて聞くと、中野はニヤリと笑う。

「あたし、カギ持ってんのよね」

「……」

 理由は聞くまい。二人で屋上へと出る。

改めて中野の容姿を見る。咲希とはまた違ったタイプの美人。金髪の先端をピンクブロンドで染めて、セミロングの髪をハーフツインで結っている。意思の強そうなルージュの瞳。オレンジのリップ。まつ毛をカールし、ファンデーションも塗っている。極め付けは、ヘリックスに開けたキラキラしたピアス。

僕とは違う世界に生きてる人種だった。中野と二人でお昼を食べるというシチュエーションが落ち着かず、彼女に質問をする。

「……それで僕に何の用ですか?」

「金木。あんた、立花さんのこと好きでしょ」

「なっ!」

「やっぱり? あんたクラスで日高くらいとしか話さないのに、立花さんには一生懸命話しかけてるんだもの」

 そういうのってわかるものなのか。僕はしょげる。

「用件はそれだけ……ですか?」

「違うわ。金木、あんたの恋をあたしが応援してあげよっか?」

 思ってもみない言葉に僕は驚いた。僕の恋を応援してくれる? 中野が?

「ど、どうして……」

「玲ってモテるの知ってるでしょ?」

「はい」

「でも、まだ誰とも付き合ってないの」

「はい」

「でさ、立花さんってすごーく可愛いじゃない?」

「は……あ、いや……えっと……」

「そこは素直に『はい』って言いなさいよ」

「はい」

「つまり、そういうことよ」

 つまり、そういうこと。なるほど。わからない。

「わからないんですけど……」

 中野は大袈裟にため息を吐く。

「あのね。恋愛っていうのはタイミングが肝心なの。あの子は席替えで玲と隣になって、合唱委員でもペアになった。いま流れがすごくいいのよ」

 それはわかる。そういう風に僕が仕向けたからだ。

「あの子はすごーく可愛いけど、玲に興味がなさそうだったから脅威じゃなかった。でも昨日のやりとりを見て、乙女のカンがビビッと反応したのよ」

 マンガの展開を予測するとは、乙女のカンすごいな。

「だから、あの子に彼氏を作ることを思いついたの。そうすれば安心でしょ?」

 へ?

「彼氏って僕が?」

「なによ。あの子と付き合いたくないの?」

「付き合いたい……です」

「だーかーらー、あたしが応援してあげるって決めたのっ! さっそく後悔してるけど……」

「あ、ありがとう……ございます」

「その代わりっ!」

 中野は人差し指で僕を指差す。

「あたしの恋に協力すること。それが条件よ」

 天道が邪魔な僕にとっては願ってもみない話だった。しかし、果たしてうまく行くだろうか? 今のところ細かい変化は起きても、物語の大筋は変わらない。天道は結局、咲希のことを好きになるのではないだろうか? それでも、咲希と付き合える可能性が少しでも上がるなら。

「わ、わかりました」

 中野は妖艶な笑みを浮かべると右手を差し出した。おずおずとその手を握る。

「じゃ、同盟成立ってことで」

「ちょっと待ったーっ!」

 不意に男の声が背後からして僕らは驚く。振り返ると、そこには日高が立っていた。

「なんであんたがそこにいんのよ」

「その同盟。俺も加えちゃもらえないかい?」

 こいつは何を言っているのだろう?

「あんたなに言ってんの?」

 中野と意見が合った。

「その同盟。俺も加えちゃもらえないかい?」

「聞こえた上で聞き返したんだっつーの。あんたになにもメリットないじゃん」

「あるっ!」

 あ、嫌な予感がする。

「どんな?」

「俺が面白いっ!」

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