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第三章では本書の目的でもある永遠回帰について語られる。
しかしこの三章では今までと違って急に男と女ではなくてその二人の会話を聞きながらじっと二人のことを見つめていた部屋の隅にいる猫によって永遠回帰の定義が語られることになる。(なぜ猫なのか今もメロディには理由がよくわからなかった。もし映画を見てもわからなかったからあとでホラーに聞いてみるつもりだった)
永遠回帰とはつまり子供が大人になり、大人が子供になると言う現象のことだった。魂や精神が輪廻を繰り返すと言う意味ではない。神なき世界において輪廻は存在しない。もちろん魂もない。あるのは人間だけだ。その人間の状態を存在と永遠回帰への空想では大きく子供と大人と老人の三つにわけている。(人間は男と女の生物学的な二種類ではなく、成長過程による肉体と精神の変化の三種類に分かれるということだ)
さらに子供と大人と老人は肉体と精神の二つの見方から語られる。そのうち多く語られるのは精神のほうだった。肉体は時間と共に成長して、老化する。この変化を止めることはできない。子供と大人と老人は年齢によって区別される。では精神はどうか?
精神について猫は語る。
精神は旅をする。と猫は言う。経験を積み失敗をして、肉体という卵の殻の中でゆっくりと自己を形成する。精神は両親や周囲の人間たちあるいは環境からそれぞれの精神を受け継ぎ(女は愛と呼ぶ)それを自己の精神の成長の糧にできる。成長した精神はやがて卵の殻を破る。実際に肉体を失うわけではないが、その認識が肉体の外にまで及ぶようになる。すると他者の精神と触れ合い、そこで共通認識が起こる。空想(世界)が生まれるのだ。
つまり精神とは観測者であると言える。このような自己から世界への精神の旅、あるいは飛翔を猫はシフトと呼ぶ。このシフトとはつまり成熟することを意味する。シフトが行われない場合、精神は子供期にとどまり大人になることもないまま、老人になる。(老人とは肉体の衰えに伴う精神の揺らぎの収まりのことを指していて誰もが必ず老人になると存在と永遠回帰への空想では定義している)
問題は子供から大人になり老人になり死に至ることではなくて子供から老人になり死に至ることが問題になる。
これにより永遠回帰が損なわれる。永遠回帰とはつまり生から死に至る人間の成長の循環による安らかな死を目的としている。
問題の根元にあるものはシフトが行われないことであり、通常シフトは民族の中で成人の儀式として死を疑似認識させることで強制的にシフトさせる過程がある。(すべてがうまく行くわけではないが全体として必要な割合を大人として成熟させることができる。またそのことを目的としている)
しかし大空想の世界には神がいない。それはつまり死を疑似認識させる儀式がないことを意味する。世界は個人に強制的なシフトを求めない。だから子供はいつまでも子供のままの精神として成熟せずに大人の肉体の中にとどまる。すると他者と触れ合うことができなくなる。空想がなくなるのだ。
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