第32話 おっさん、過去と向き合う②

「ポンちゃん、ポンちゃん」


「はいはい、どうしたどうした」


 二人きりの空間に入るなり、ヨーダは咄嗟に洋一に甘えてくる。

 もはや正体を明かすこともなく、阿吽の呼吸である。


「さっきじっと見つめた時、少し照れてたでしょ」


「あーあれか。なんかやたら見てくるなぁとは思ってたね。ヨッちゃんだなと気づいたのは食べ方でようやく」


「ふへへ、つまり食べるまでは気づかなかったってことじゃん?」


 ちょっと嬉しそうに「オレの演技力も捨てたもんじゃないな」と満足そうに頷いた。


「まぁ、そうなるな。見事に騙されたよ」


「オレもなんだかんだ女として暮らせてるってことよ」


「妹と張り合う時だけ本性が見えてるのは果たして変装のプロと言えるのか?」


「そ、それは。いーじゃんよ! スキンシップだよ、スキンシップ」


 図星を突けば、途端に膨れてみせる。

 そういうところは昔から変わらないな。


「まぁ、いいけどさ。それでまた、どうして大所帯でこんな何もない場所へ? 運よく俺と出会えたのはラッキーだったとはいえ」


「それがラッキーでもなんでもないのだ。ジャジャーン! 見よ、この素敵装置を!」


 取り出したのはミンドレイを中央に置いた大陸地図だ。

 その少し上にある大陸に、赤い印が点灯している。


「不思議な地図だね。それで、これで何がわかるんだ?」


「実はこれ、家宝である指輪に反応して光る仕組みなんだ。一時期ジーパに居たろ? で、今はここだ。これがあればいつでも場所が把握できる」


「おー、異世界GPS機能」


「まぁな。でもさ、ポンちゃん全く手紙くれないからオレはずっと心配してたんだぞ? ちょっとは連絡くれるとかさー」


 少ないやり取りで、相当に心配させてしまったことを告げるヨーダ、元い藤本要。洋一は謝罪に努めた。


「悪かったよ。そもそも手紙くれ以前に、俺が手紙を書ける前提で話を進めるヨッちゃんも悪い。俺が手紙の書き方なんて知ってると思うか? この大陸の言語も読めないのにさ」


 そもそも生まれてこの方手紙を扱ったことはないと言い切る。


「え、マジで?」


「マジマジ。ティルネさんに翻訳を頼んで、代筆してもらうレベルだぞ。そもそも、どこでその専用の用紙やらペンやら買うんだ?」


「あー、そのレベルなのか」


 藤本要は完全に想定外だという顔。

 洋一は環境の違いを強く訴えた。

 方や貴族としての生活、もう一方は平民以下の極限サバイバル。


 字を書く必要もなく、コミュニケーションを取る相手もいない。

 モンスターは襲ってくるし、文明などあってないような森暮らしだぞ、とツッコむ。

 それでも生活できたのはダンジョン探索者時代に度胸を鍛えたおかげでもあった。


「そのレベルだなぁ。そもそも俺にコミュニケーション能力を求めてくれるな、交渉係。今まではヨッちゃんが引っ張り上げてくれたからこそ、俺は表舞台で腕を振るうことができたんだぞ? 一人で何でもかんでもできると思わないでくれ」


「そういやそうだった。いや、でもさぁ、少しくらいは対応できたじゃん」


「その経験があって、今こうして弟子を取れてるよ」


「それでも森を出るに至らなかったのかー」


「出る必要性を考えてなかったな」


「根っからの引きこもりじゃん、外の空気吸おうぜ!」


「これ以上なく吸ってたよ。大自然の空気だ」


「本当お前そういうとこだぜ? 少しはオレの心配しなかったのかよ」


 恋人みたいな距離感で、脇腹を肘で突く。

 勘違いしてしまいそうな程の気安さ。

 これは義理の姉弟だからできる距離でもあった。


 なお、自称のため完全に屁理屈からくる関係である。


「俺よりひどくはないから、まるでそっちの心配はしてなかったな。それよりもオリンの消失が堪えた」


「オリンは便利すぎたからなぁ」


 そこはオレも同じくらい心配しろよ、とツッコミが相次ぐ。

 しかしオリンの存在を持ち出されたら、少し弱い。

 

 そこから、お互いにどんな生活を送ってきたかの近況報告。

 一度顔を合わせた時もあったが、あの時はお互いに事情があって詳しい話はできずじまいだった。


 洋一は弟子二人が貴族だったことや、雇用主として森に赴いたこと、その代金の支払いをするために森から出てきたことを語る。


 つまりミンドレイに寄ったのは代金支払いの為の本の数週間だけのことだった。そのタイミングで出会えたのは相当にラッキーと言っていいだろう。

 何せ手紙の書き方も知らない野蛮人である。


「へぇ、あのおっちゃんはポンちゃんにとってそこまで重要な存在だったのか」


「まぁな。あの人の専門分野は薬学だ。俺の知識と合わせて調味料やドレッシングを作ってくれたりさ。面白いのがそれを魔法に転用する知識で」


「へぇ、そりゃ面白いな。魔法で下味をつけるのか。オレにはない発想だ」


「ヨッちゃんの得意分野は天変地異だもんな」


「誰が破壊の体現者だこら」


 強く否定する。

 もっと他にいっぱいあるだろ、と催促まで入れて。


「いやいや、悪い。ヨッちゃんの下位互換ではあるけども、ヨルダと出会ってから、本当に魔法に世話になりっぱなしでさ。これは俺の悪い癖だけど、ついついヨッちゃんと比べてしまうことがあったなぁ」


「まぁ、それだけオレが心に住み着いててくれたんならヨシとするよ」


「俺にとっちゃ半身もいいところだ。勝手にいなくなるなよな、相棒」


「オレからしたらポンちゃんがいきなり消えたんだぜ?」


「まぁそこはお互い様ってことで一つ」


「なるかっつーの!」


 今度は藤本要が街の中で一人きりサバイバル生活を送ったことを話した。レストランでかいつまんだ話を聞いたことはあったが、こちらの世界では魔法の概念が空腹に直結するという仕様の変更で、相当に苦労したらしいことを訴えられる。


「回数制限じゃなくなったのか」


「そういうこと。すぐにひもじい思いして、捕まったよね」


「その時捕まった騎士団にお貴族様の家で娘に扮して養ってもらえって提案があったのか」


「そうそう」


 それはそれで大冒険だったなぁと評する。

 もし自分だったら、その提案は即座に却下してしまうだろう。

 本当に、遭難した場所が逆じゃなくて本当に良かった。

 いや、よくはないけど今は良いということにした。


「そこで、身代わり生活をしてたんだけど、まぁそこでの暮らしが酷いのなんの」


 そりゃ家出も決め込むわ、と藤本要よりヨルダがどんな思いで家を出たのか詳しく説明を聞いた。


「そんなことが?」


 レストランでは語られなかった、貴族社会の闇。

 家柄を守るために切り捨てられる子供の運命。

 実の子より優れた他人の子を引き込み、家を継がせるのが罷り通る社会。

 ヨルダは出来の良い妾の子に居場所を奪われ、迫害して育ったらしいことを聞いた。


「よく我慢できたなぁ」


「え、してないけど?」


「え?」


「え」


 藤本要の性格上、まず我慢ならない相手だ。

 それが今や上手いこと言ってるのは我慢の産物だろうと話を進める洋一に、しかし藤本要はなんら遠慮はしてないと語った。


「それが功を奏して、食いっぱぐれなくなったんだけど、学園入りが決まってさー」


「今に至るってことか」


「いやいや、それまでにも聞くも涙、語るも涙な壮大なエピソーダがあったんだぜ?」


 やや誇張するような表現と身振り手振りで、その魔法を生かした護衛として王族の近辺を守護する任務を司るエピソードを雄弁に語る。


 世話になったタッケ家に名目上養子入り。

 その時に男としての、身分を手に入れたのだろう。


「堅苦しいお嬢様の生活は土台にオレには無理だったんだよ。いつボロが出るかヒヤヒヤしたぜ?」


「まぁ、ヨッちゃんの素を知ってる俺から見ても違和感しかないしな」


「そこはもっと褒めてもいいんだぜ?」


「はいはい、お嬢様はお美しいですね。こんな感じか?」


「もう一声」


 この二人、どこまで行っても関係性は酒飲み仲間から外れることはなかった。


 話が弾めば喉も渇く。

 早速お酒持ってない? アピールを開始する藤本要。

 後のことなど明日の自分に任せる腹づもりだ。


 あるにはあるが、自分は持ってない。洋一はベア吉のシャドウストレージにしまい込んであると言った。


「シャドウ、何?」


「シャドウストレージ。ベア吉はさ、こっちの世界のダンジョン管理者と契約した個体なんだよ。要はオリンの下位互換みたいなことができるんだな」


「なんでそんな重要な話題すっ飛ばした? お前、オレというものを差し置いて勝手にオリンと会ってたのかよ!」


「いや、これはジーパに行った後の話でさ。これから話そうと思ってて」


「まぁいいや。そこは飲んで話そうぜ。それで、ベア吉ってあの熊公でいいんだよな?」


 ヨルダのことを家出娘と称した藤本要は、今度はベア吉を熊公と呼んだ。それに対して少しだけムッとする洋一。


「ヨッちゃん、あんまりうちの身内を適当に呼ぶのはやめてくれないか? 名前にもちゃんとした意味があるんだ」


「悪かったよ、そんなマジな顔になるなよ。ちょっとした言葉の絢じゃんよ」


 とても深い意味があるとは思え無さそうだが、洋一が嫌がるなら無理に意地を通す必要もない。即座に謝罪し、関係性の修復を図ル。


 なお、名前の理由は子グマで、元気いっぱいだから『ベア吉』と名付けたそうだ。

 後で判明したのだが、メスだったらしい。

 そういう迂闊なところ、実にポンちゃんらしいなと思う藤本要であった。


 ベア吉を探しに部屋を出る洋一達は外で首を括ろうとしているティルネと遭遇した。


 この男、あまりにもメンタルが脆弱する。

 油断するとすぐ自殺を図ろうとするのは、洋一と接してきた中でも今までになかった行動だった。


「おじ様、大丈夫、もう終わったことですから!」


「いいえ、止めないでくださいマール。私は家に泥を塗ったような最低な男です。そんな男が恥を晒して生き続けることなんてできません、死んで詫びさせてもらいます!」


「ティルネさん! さっきからおかしいですよ!」


「恩師殿! 止めてくれるな! 私は貴族の一員として!」


「もう貴族はやめたでしょう? 今更何を取り繕うつもりです!」


「ハッ!」


 どうやら貴族を辞めたことを思い出したらしい。

 あれだけ王族に啖呵を切ったティルネは、何かにつけて貴族の矜持を思い出すようになった。

 姪のマールと出会ってから、それは顕著になったように思う。


「まったく、こんな街の往来で首を括るなんてバカな真似はやめてくださいよ。この街やミンドレイにはあなたの作るジーパ菓子を心待ちにしている方々がいるんですよ?」


「そうでした。私はもう、あの時の貧乏男爵の末っ子科学者じゃない……」


「すいません、おじ様が去った後の家の状況を説明していたら、急に首を括ろうとして……」


「今度からそのお話はNGで」


「はい」


 シュンとするマールに、藤本要がヨーダとして接する。

 こういう切り替えの速さが彼女の処世術の一つだ。

 洋一は到底真似できそうもないスキルである。


「どんだけストレス溜めてたんだ? マールの叔父さん」


「常に資金繰りに困っているというお話は聞いていましたが、ここまでとは」


「過去の思い出話がすっかりトラウマになっているみたいですね」


「そんなことよりベア吉知らない?」


 「そんなこと!?」と先ほどまでのやりとりをどうでも良いことみたいに一蹴する藤本要に、ティルネは大層驚いて見せる。


 どれだけ図太い神経をしてたら、今の話をスルーできるのだ、と心底冷えた視線を送るが、それすらもスルーされた。

 最初から相手にされてなくて寂しい気持ちになるティルネだった。


 「今の子供は本当にわからない」と一人で悩んでいるが、藤本要の実年齢は洋一と同じ。つまりは年上であることを彼はまだ知らなかった。


「ベア吉ちゃんでしたら……」


 マールからさっきモフり倒して厩舎で寝てるという情報を得た洋一達。

 しかし厩舎に行くともぬけの殻で。


「あれー、ここにも居ない」


 どこ行っちゃんなったんだろうと洋一は不安になった。

 すると藤本要の魔力察知に僅かな魔力反応が読み取れて。


「向こうで、妹とヨルダがバトってるな。空間結界を張ってるっぽいので、うまいこと読み取れないが、こっちだ」


「なんでまたそんなことに?」


「その審判役にベア吉が抜擢されたんだろう」


「あの子にそんな器用なことができるわけ……」


「お前の家族だろう? それとダンジョン管理者の契約者だ。お前が信じてやらなくてどうする、ポンちゃん」


「オリンほど賢くはないぞ?」


「それでも信じてやるのが家族ってものさ。いたぞ!」


 結界を強引に一部解いて中に入る。

 その中ではキャットファイトのような取っ組み合いの喧嘩に発展するヨルダとヒルダの姿があった。

 そしてその横では困ったようなベア吉の姿が映った。

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