第13話 おっさん、もふもふを拾う

 ティルネとの共同生活をしてから、一ヶ月が経ったくらい。

 川魚もそろそろ飽きたと肉を求めて森の拠点へと移動する。


 その頃にはすっかりヨルダもティルネも己の【加護】に向き合い、独自の進化を迎えていた。

 弱く、家を追い出された過去。

 けどそれと見切りをつけ、一つの形へと至っている。


「師匠、魔獣が出たらオレに任せてくれねーか?」


 ヨルダが息巻いて見せる。


「どうした、急に?」


 肉の手配はいつも洋一の仕事だった。

 まだ任せるのは早い、というよりもビビって腰を抜かしていたといった方が早いか。


 どちらも魔獣を『等級』で括り、実際の強さを誤認していた。

 しかし、ここらで任せてみてもいいかもしれないと、洋一は頷いた。


 どちらにせよ、本人のやる気を挫く意味もない。

 自分にもそういう時があったものだと懐かしみ、許可した。


「わかった。怪我はするなよ?」


 無理はするなよ、と言わないのは優しさからだ。

 ここから行うのは峠越え。


 弱かった自分から、強い自分へのボーダーラインを越える儀式。

 無理なんていくらでもする。

 だからその言葉を吐かない。


 だが、無駄死にはさせないぞと念押しする。

 怪我をしそうなら割って入る所存だ。


「うん!」


「ワシはサポートと行きますかな」


 ヨルダに続いてティルネが体勢を整える。

 未だ戦闘に向かないとは考えていても、サポートはできるだろうと乗り気だ。


 昔とは違うと見せつけたいのだろう。

 誰かにではなく、逃げてばかりの過去の自分へ。

 実戦を通じて未だ己の道は途絶えてはいないと、そう認めさせるのだ。


「おっちゃんは引っ込んでなよ。学者先生はさ」


 ここは自分の戦場だ。シャシャって出てくるなと鬱陶しそうな顔になるヨルダ。

 拾ったときはチョビヒゲだのなんだのと嫌味を述べていたが、今やうま味調味料の第一人者としてそこそこに存在を認めている。

 同時に死なれちゃ困るとも線引きしていた。


 今後手に入る肉と川魚に合わせていた調味料をいくつか肉に合わせるつもりであったのだ。


「なんと、このようなジジイにそのような慈悲を。ますます若いものには負けられませんなぁ」


「ティルネさん、お若いじゃないですか」


 なんとこのティルネ。洋一の二個下。

 33歳ということだった。

 この世界において20代で婚姻できないものは落ちこぼれとされ、30代でも独り身は落伍者として語られるのだとか。


 将来性は全くなく、中央都市においては不用品。

 唯一貴族の末席だということで生かされてたとか。

 それを聞いて洋一はとことん自分とは合わない場所だなと理解する。別に無理していくものではないが、藤本要の情報が集まる場所はそこだと感がている。

 いっそ向こうからこっちにきてくれないものかとも考えていた。


 それができない状況にあるのなら、どちらにせよ洋一が重い腰を上げる必要があるのだが。


「恩師様がかのような年齢だとは思わなかったですよ。てっきり成人したてとばかり」


 それくらいに若く見えるとのこと。

 容姿で褒められたことは一度もないので洋一は頭を掻く。


「おっさんだよ、俺は。好きなことばっかりしてたからだろうなぁ、見た目が若いのは。同年代が子持ちだって聞いてひどく落ち込んだこともあったもんさ。そういう意味ではティルネさんは俺の希望だよ」


 それは同年代としての生き方の先達者としてだろうか?

 ティルネにとっては教えられたのは自分の方であるのにと感謝仕切りであるが。


「それにしても……」


「ええ」


 ヨルダが周囲を見回した。

 いつもなら生身で歩いてくれば襲ってくる魔獣が数匹いてもおかしくはない。

 この森一帯はジェミニウルフの生息地であったはずだ。


 意気込むヨルダ達を嘲笑うかのように、森は妙に静まり返っていた。

 まるで何者から、息を潜めるかのように。

 そして異変は起きた。


『ゴルルルルル』


 それは唸り声。

 そして背後から差し込んだ影。


「後ろ!」


 振り返るよりも早く、それは動き出した。

 洋一は手を出さないと約束した手前、バックステップでヨルダにチャンスを回す。


「いくぜ」


 パァン。両掌を叩きつけ、いただきますのポーズ。

 足元に幾重の魔法陣が輝き出す。

 それが足元に吸い込まれ、一つの術式として発動する。


 【風刃改・風神ウィンドブースター


 両手を広げ、そしてヨルダの肉体は風に溶け込む。

 標的を見失った赤い毛皮を持つクマは、周囲を見回し。

 すぐ後ろから気配を感じとる。


「気付いたところでおせえよバーカ」


 狙いは背後、膝裏。


「畑で培った農耕術、その身に刻みなぁ!」


 【土塊+土槍融合術式グランダッシャー


 鍬を振るう要領で、打ち込まれた中心部を起点に内側から爆発する衝撃。骨が肉や皮を突き破って出てきたかのような痛みがクマを襲う。


『グルゥアア!!?』


 着弾点は内側から食い破られ、クマは膝を折る。

 今の一撃で完全に右膝がやられてしまったようだ。

 しかし両手は無傷。

 痛みを堪えるように、乱暴に振るわれる両腕。


 しかしヨルダはすでに撤退済みだ。

 クマの猛攻は空振りに終わった。


「ワシを忘れてもらっては困りますな」


 パチン。ティルネは指を弾く。

 振動によって拡散する発動術式。


 人体の延長線で発動させるヨルダに対し、ティルネの着眼点は目に見えぬ存在を媒介にした。

 それは空気振動によって伝わる音だ。


 見たもの、聞いたものに直接条件を被せる振動術式。

 酷く魔力を喰うこともあり【蓄積】の加護と相性が良い。

 科学者だからこそ、そこへと至れたティルネならではの技法だった。


 指先から力強く放たれたその音は、届いた対象に異なる状態を与えた。


「ぐわっ、激臭」


『ごるる!?』


 なお、範囲が広い分、フレンドリーファイヤも誘発した。


「魚のワタを発酵させたのか。これは効く」


 洋一も嫌な思い出を刺激されたかのように鼻を押さえていた。


 ヨルダも堪えたが、割と嗅ぎ慣れた匂いではあった。

 何せこれは畑の肥料になっていたからだ。

 一切の希釈をしてないそれを突然ぶちまけられたら、きっと殺したいくらいに気分を害するだろう。


 そしてそれは赤い毛皮を持つクマも例外ではない。

 今ので嗅覚が効かなくなった。

 対象のニオイでの判別ができないのだ。


 だが視覚は生きている。


『グゥウルアアアアア!!』


 咆哮、からの突進。

 右足が効かない分、左足だけの脚力で。

 だがそれでも一般人には反応できない速度。


「残念ですが、速度は関係ないんですよ。皆さん目を閉じておいてください」


 パチン。

 ティルネの二撃目。

 それは鼻腔をツンとくすぐる胡椒の風味。

 それがダイレクトに目に被さった。

 赤い毛皮のクマは獲物を見逃すまいとぎょろぎょろと目を見開いていたおかげで、全弾直撃を受けてしまった。


『グゥオオオオオオオ!!』


 対象を掻きむしるための爪で、自らの目をつぶす。

 痒さを残したままでは、捕食は続行できない。

 しかしこの効果、威力は長続きしない。

 ただでさえ音という広範囲。

 そして媒介にしている音が消えれば効果は消えてしまう希薄な者であるから。

 しかしクマはそれを知らない。

 さっき嗅いだ匂いは今も鼻を潰していると錯覚した。

 だから目も。涙が止まらず視界の確保が難しいこの目も。

 使い物にならないなら潰してしまっても問題ないと、そう考えた。


 取るに足らない相手を舐めてかかったのが運の尽きであった。


「胡椒の強烈な辛みを魔法にしたのか。面白い」


 しかし洋一は全く別のことを考えていた。

 音魔法。それは洋一の料理とあまりにも相性が良すぎたためである。


「ナイスおっちゃん! でもタイミングは最悪」


 ちょっと被弾したのか、ヨルダは泣きながら目を擦っている。


「でもこれで、トドメ!』


 風を纏って隠れていたが、視界がぼやけて狙いが定まらない。

 だから超接近する必要があった。

 対象はでかい。だから外す心配はしてなかった。


 【土塊+土槍融合術式グランダッシャー


 対象は心臓から頭に向けて。

 下から抉り込むように振るった拳をカチ上げた。


 心臓・顎と起点に発動。

 赤い毛皮のクマは大の字で後ろに倒れ、絶命する。


「っし、やったぜ」


「お見事でした」


 ティルネが拍手する。

 特に術式は乗せられていないが、ヨルダは条件反射で体をビクつかせた。


「おっちゃんもな。正直助かったよ。鼻と目のことは今は多めに見てやる」


「それは結構。どうです、恩師様。ワシらも結構やるものでしょう? どうぞ狩はワシらに任せてください」


「そうだなぁ」


 洋一は考えこむ。

 そして死体を前にしゃがみ込みながら次々と指摘した。


「ここと、ここ。煮物に向いてるんだが、こうもぐちゃぐちゃじゃあ、ゴミだ」


「うっ」


 ヨルダは倒すためとはいえ、爆発系の術式を使ったことを早くも後悔し始める。


「だが、よく頑張ったな。無傷で帰ってきた。俺はそれだけで十分だ。狩りの方はおいおい学んでいけ。食える部分、食えない部分はその都度教えていく」


「うん!」


「恩師殿は指導の緩急がお上手だ。下で教わるものはさぞ幸せ者でしょうな」


「それな!」


「諫めすぎても成長はない。怒るところは怒り、褒めるべきは褒める。それだけさ。実際に自分はそうやって教えて貰ってきたからな。それしか知らないんだ」


「恩師殿にも師がいたわけですね」


「料理の師匠はたくさんいるよ。いまだに到底追いつけそうもない」


 どこか遠くを眺めながら、想いに耽る洋一。


「師匠でも追いつかねーレベルなの?」


「なんと、そんな人物がおられるとは」


 その場で肉を解体しながら無事だった【腸】を強奪。

 今日は久しぶりに腸詰めでも食べようかという話になる。


 そのままでは食べられない部位を【ミンサー】でミンチ肉に置き換えれば問題ない。

 正当な報酬だ。

 必要な肉以外は全て【ミンサー】で肉に置き換えた。

 今回は毛皮も必要ない。

 もう洋一がいなくてもヨルダ達がこの森出遅れを取る事はないと考えたからだ。


「ソーセージですか。街でも食べたことはありますが……」


 ティルネは渋い顔で首を捻る。


「うん、そんなに大したものではないよな?」


 元貴族の二人は、特に興味はそそられないようだった。


「ははは。まぁ、普通はそう思うよな。だが俺の【ミンサー】で作ったミンチ肉は、魔獣が強ければ強いほど、肉の旨みが増す! この森でジェミニウルフが隠れるほどの肉のウインナー、食べてみたくはないか?」


「旨みが?」


「上昇……ですか。興味が湧きますね」


「そういや、ジェミニウルフのハンバーグも美味かった。干し肉の旨みもやばかった」


「ワシはハンバーグの方は食べたことがないのでなんとも分かりませんが、あの干し肉を作ったのが恩師様であれば……恩師殿が認める味、確かに気になりますね」


「俺は前回こいつを肉で食い損ねてなぁ」


「待ってくれ、師匠……」


「なんだ?」


 ヨルダがそっと赤い毛皮のクマを指差す。


「この魔獣ってもしかして?」


「うーん。俺は詳しくないんだが、俺が最初に狩ったクマの子供じゃないかと思ってる」


「それって神話級ミソロジーの?」


「多分それ。知ってて攻撃しかけたんじゃないのか?」


「いや、全然」


「なんと、そんな存在をワシらで?」


「なんかオレ、神話級ミソロジーってもっととんでもないもんだと思ってた」


「ワシもですよ」


「だから言ってるだろ? みんなビビりすぎなんだよ。いうほど強くはなかっただろ? 俺もワンパンで倒せたから、然程強くはないんだよ。ジェミニウルフもそうだ」


 そんなことはないだろ? と思う。

 実際にジェミニウルフを相手に逃げ回ってたヨルダ。

 今の相手がジェミニウルフより強いのか? と問われたら首を傾げる自信がある。


「まぁそれはともかく」


「実食といきましょうか」


「今準備しちゃうな」


 ヨルダが【土塊】で石窯を。【着火】で拾ってきた枯れ木に火をつけた。

 洋一がフライパンを取り出して【腸詰め】を人数分茹でてから炒める。

 ティルネがラードを一滴垂らし、香味付け。


 そして出来上がったウインナーを一口食べて、全員が目を輝かせる。


「え、なにこれ。ちょ、まっ!? え? オレの知ってるウインナーと別もんだ!」


「中はカリッ、口の中でジュワッと肉の旨みが溢れる。しかもこれ、ラード以外の味付けが一切されてないんですよね? 信じられない旨味の洪水です。生きてて、あの時命を諦めなくて本当によかった。世の中にはこんなに美味しい食材があったのですね!」


「どうだ、興味持ったろ?」


 洋一も自分の特技で美味しいと褒めてもらえて気分が良くなった。


「おかわり!」


「待て待て、そんないっぺんにがっつくな。こいつには辛味の効いたソースが合うんだ。トマトのケチャップなんかも合うぞ」


「トマトのソースか」


 トマトと言ってるのは洋一だけだったが、ヨルダ達も自ずと洋一の基準で言葉を話すようになった。その方が話が通じやすいからである。


「辛味のソース、ですか? 胡椒やチリペッパー以外の辛味など聞いたことはないですな」


「まだまだ発掘されてない味覚は多いだろう。それを探すのを今の目標としてるんだ。見つけたらまた美味くしてやるからな? 覚悟しておけ」


 これ以上がまだあるのか? と目を輝かせる弟子二人。

 大見栄を切った洋一だが、今はそれよりもクマ肉ソーセージで腹を満たしたいと押しかける弟子達を捌くので精一杯。

 そのあと無茶苦茶おかわりされたのは後にも先にも初めてのことだった。


「ふぅー食った食った。魔法行使の後はめちゃくちゃ腹が減るからな。師匠と一緒だとすぐにお腹が満たせるから魔導士にうってつけなんだよな」


「然り」


「そうなのか? 俺はただ自分にできることをやってるだけなんだが」


 洋一にとっては一番の得意分野が料理であっただけだ。

 だからそれで得だと言われたらやっぱり嬉しいものがある。

 そんな一同の食事の場所へ、茂みのそばから一匹の子グマが現れる。


「キュゥン」


「迷子かな?」


「薄紅色の体毛ですか。見たことない個体ですね」


「キュゥン」


 子グマは洋一の腰蓑に擦り寄っては再び鳴いた。

 どうやら洋一を家族と思ってるようだ。

 強いオスの匂いを嗅ぎ取ったのかもしれない。

 オスは群れのボスだ。

 子熊にとっての安全圏はいつだって群れのボスの近くだった。


 それを洋一にかぎ取ったのだろう。

 しかしそれをヨルダ達はよく思わない。


「なんだこいつ?」


「あのクマの子供だったのでしょうか?」


 ティルネの見解に、ヨルダは即座に動き出す。


「大きくなる前に狩るか?」


 しかしそれに待ったをかける声。


「待て、どうやら腹を空かせてるようだ」


 胡座をかいた洋一の膝の中で、ウインナーを貪る子グマの姿があった。

 あまりのおいしさに興奮が抑えきれないようだ。

 子グマといえど品源の手に余る存在だが、洋一はパンチを入れられたとしても微動だにしていなかった。

 本当に微動だにしない。

 怪我どころか傷も負ってない。まるで鋼鉄のボディである。


「まさか助けるのですか?」


 魔獣ですよ、とティルネ。

 しかしヨルダは諦めたかのように両肩をすくめた。


「おっちゃん、ダメだ。師匠はこうなったら引かねぇよ。あんたの時もそうだった。師匠にとっちゃ、人類の畏怖する神話級ミソロジーすらペットなんだろう」


 子グマをあやす洋一は、すっかり子グマを引き取る気満々になっていた。

 ヨルダがそうであったように、ティルネを拾ったように。

 今度はこの子グマが家族になるのだと、半ば諦めの気持ちである。


「ますます街に戻れなくなりましたな」


 ティルネは困ったように額を叩く。

 今更あんな場所に帰る気もない、という気持ちを隠しながら。

 そして満腹になって眠った子グマを抱きながら、洋一は弟子二人に聞いた。


「この子を、うちで飼ったらダメだろうか?」


「師匠の好きにすれば? どっちみち食い出は多いし、苦労するのは師匠だし」


「俺は過去に2000人前くらいは数時間で作ったことがある。余裕さ」


「本当に恩師殿は規格外ですな」


「今更驚きゃしねぇよ。問題はそいつがオレたちに懐くかどうかだよな」


「美味い飯を食べさせてもらってると理解すれば、懐くもんさ」


 それってオレたちが飯で胃袋掴まれたようなもんだって言いたいのか?

 ヨルダは内心で「そうかも」と思いながら洋一の見解を否定出来ずにいた。

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