第9章ー3
「――闇鍋しよう」
と、最初に言い出したのはいったい誰だったのか。
今日は午前授業で、普段より皆テンションが高かった。「もうすぐ冬かぁ」と誰か口にして。「幻月島の冬って寒いのかな」と、誰かが呟いて。気づけば食べ物の話題になっていて。何鍋が好きか聞かれて「トマト鍋」と答えた記憶もある。
そこからどうして闇鍋をすることになったのかは謎だ。
兎にも角にもその日の夜、麻由里を含む友人ら5人と禁断の食事会が行われることになった。
食材は各々秘密裏に確保すると決まる。
「うーん……何を買えばいいんだろ……」
一旦寮に戻ってきた絃那は、自室に向かって廊下を進みながら考える。
隣を歩く麻由里は、にっこり笑う。
「私はもう決めた。んふふっ、楽しみにしててねー」
怪しげな笑みを浮かべる彼女に、絃那は一抹の不安を覚える。
「麻由里、持ち寄る食材の条件覚えてる?」
「①食べ物であること。②消費期限内であること。③野々宮がアレルギーだからカニを含むものは駄目。④予算は1人あたり500~1000円」
合っている。それでは彼女は一体何を買うつもりなのか。
「絃那はこの後ルルガ行くんでしょ? そこで買うの?」
「うん、そうしよっかなって」
ルルガは複合商業施設である。
北区の端、西区や中央区との境界がほど近い場所にあり、そこに行けば大抵のものは揃うようになっている。
絃那は髪を切りに行く予定だった。伸びてきたから毛先を整えたくて。
ルルガ内にある美容院は、お財布に優しいお値段なのに腕がいい美容師が揃っていて評判なのだ。休日は予約が取りにくいのが難点だが、今日は平日である。
ついでにスマホの充電器も買おうと思う。最近調子が悪いから、本格的に壊れる前に新しいものを用意しないと。
「麻由里も一緒に行く?」
尋ねると、彼女は首を振る。
「何買ったかバレたら面白くない。悪いけどここからは別行動よ」
本当に何を買うつもりなのか。
ウキウキと自室に入っていく麻由里を見送り、絃那も2つ隣の部屋に入る。
門廻邸や弥紘の自室には流石に及ばないけれど、月白学園の学生寮は小洒落ている。
個人部屋の内装が素敵なのは勿論だが、絃那としては、壁が厚くてプライベートが守られているところや、自由度が高くキッチンを好きに使ってよかったり、入浴の時間が決められていなかったりするところがお気に入りだ。
絃那は制服を脱いで私服に着替え、出かける準備をする。
そういえば最近は何かと弥紘といることが多かったから、完全に1人の時間は久しぶりだ。
弥紘は今日まで不在らしいが。今日の夜遅くに戻ってくるのか、朝になるのか……
準備を終えた絃那は部屋を出る。ルルガまではバスで行ける。
スマホで時刻表を確認し、出発した。
「なんでもいいって、こんなに迷うんだ……」
時刻は16時半を回った。
無事ルルガに到着した絃那は、当初予定していたヘアカットも充電器の買い替えも済ませ、ついでに可愛い冬物のコートも購入した。あとは食材。食材だけである。
が、なかなか決められない。
ルルガ内の迷路のような道に歩き疲れていたのもあり、絃那はちょうど通りかかったカフェに入って一休みする。
二人掛けのテーブル席で注文したカフェラテを飲みながら、スマホで『闇鍋、具材』と検索してみる。
……結果、余計に分からなくなった。
店内に流れる、最近よく耳にする流行曲のジャズアレンジに、絃那のため息が重なる。
もう買えるだけトマトを買って、強制的にトマト鍋にしてしまおうか。ベースさえ整えれば、あとはなんとか……
麻由里の顔を思い出し、「ならなそうだな」とは思いつつもタイムリミットは迫っている。致し方ない。
絃那はカフェラテを飲み切り、席を立つ。
(……あ)
店を出ようとしたところ、ちょうど入店するお客さんと入れ違いになる。
絃那より少し年上くらいの、大学生くらいのその男女は、仲良く手を繋ぎ合っていて。女性の方はガジェットをつけているが、男性の方は……
たまたまつけてないんだろうか。それともオオカミとヒトのカップルなんだろうか。2人は幸せそうに見える。
(いいなあ)
ふいに虚しさを覚える。
羨ましい、と思ってしまって。それに気づいて、絃那は動揺する。
羨ましいのか自分は。あの人たちが。
あんなふうになりたいのか。彼と。
気づいてしまって、分かってしまって、途方に暮れる。
(トマト……トマト買いに行かなきゃ……)
頭を振り、とぼとぼと歩を進める。
食品売り場があるのはどっちの方向だっただろうか。というかここはどこ。
絃那はポケットからスマホを取り出す。画面にフロアマップを表示させて、近くにある店の看板と照らし合わせようとしたその時。
「――動くな」
背後から伸びてきた手に口元を覆われ、首に冷たいものを突き付けられる。
刃物――頭が理解した途端、ひゅっと喉が鳴る。そして次の瞬間、絃那は信じられないものを目にした。
自分の身体が透けていく。
ついに何も、自分を押さえつける何者かの腕すらも、まったく見えなくなり、
「死にたくなかったら大人しく従え。いいな」
いったい自分の身に何が起こっているのか。
何も分からないまま、絃那は首の後ろに強い衝撃を受けて。そのまま、気を失った。
***
(だるい……)
宿泊先のホテルに戻った弥紘は、げんなりしながらジャケットを脱ぎ捨て、ソファに身を沈める。
疲れた。何もしてないけれど疲れた。
時刻は21時を回っている。
弥紘は先ほどまでパーティーに参加していた。無駄に金をかけた豪勢な、ヒトとオオカミとの関係が良好であることを世間にアピールするためだけの、最高にくだらない催しだった。
共に参加した隆成には『いるだけでいい』と言われていたし、内容自体はよくある大企業の創立記念パーティーみたいなものだったが。
甘ったるい声を発しながら近づいてくる御令嬢たちの姿を思い出し、弥紘の眉間に皺が寄る。
最近若い世代でオオカミ信者が増えていると聞いたが、どうやら本当らしい。
今日は特にひどかった。できるだけ関わりたくないこちらとしては、いい迷惑だ。
(絃那……)
絃那はどうしているだろう。ふと考えて、すぐに頭の隅に追いやる。
最近の自分は本当にどうかしている。
はっきりいって絃那に依存し過ぎだ。お飾りの婚約者に必要以上を求めすぎている。
少し冷静になった方がいい。
想いがとまらなくなる前に。絃那のすべてを手に入れないと気が済まなくなる前に。
嫉妬に狂わず寛大でいる。そのためには一歩引いたところから眺めるくらいが丁度いい。
そうしていれば……そうしていれば……
(いつか好きになってもらえるかもしれない、か?)
浅はかな考えに弥紘は苦笑する。
気をつけろよ、と冷静な自分が頭の中で囁く。恐ろしい化け物オオカミだとバレたら終わるぞ。
ため息を吐いていると、部屋のドアがノックされる。
誰だ? 億劫な顔を前面に出して立ち上がり、ドアを開ける。
「お休みのところ失礼致します。隆成様がお呼びです。お話がある、と」
立っていたスーツ姿の男が言う。彼は門廻家が傘下に置いている家のオオカミで、今回のパーティーにも付き人として同行している。
今度はなんだ。うんざりしながら弥紘は部屋を出る。
「なんの用だ」
同じフロアにある最上級の部屋でワイングラスを傾けていた隆成は、弥紘を招き入れるなり笑顔で言った。
「まあ、座ってよ。あ、お前も飲む?」
飲む、と言って、くれた試しがない。弥紘は隆成を睨みつける。
「要件は」
つれないなあ、と隆成は笑う。
(……?)
覚えた違和感は正しかった。
ガジェットを使いオオカミ化して、すっと目を細めると、
(…………『防音』、か?)
高位のオオカミになると、誰かが異能を使った痕跡や、それがどんな種類の異能かを、大雑把にだが見て判別できるようになる。
この部屋には防音処置が施されている。いや、おそらくたった今、弥紘が入室した瞬間に施された。
「聞きたいことがあってさ」
その異能を使ったであろう張本人は、ソファに座り優雅に足を組んで弥紘を見上げる。
「弥紘、お前なんであのお嬢さんを選んだ?」
また絃那のことか。
面倒くさい。弥紘は適当に答えておく。
「顔。顔が好みだった」
隆成は微笑みを湛えたまま、弥紘から目を逸らさない。
弥紘が眉根を寄せると、
「質問を変えるね」
青い瞳を僅かに細め、隆成は言った。
「十六原絃那についてどこまで知ってる?」
「……は?」
弥紘が隆成を見つめ返すと。
その反応で答えは十分だとでもいうように、隆成は目を伏せる。
「何も――知らないんだね。まあ、僕もついさっき知ったところなんだけど」
そうして隆成が語りだした話は、弥紘の思いもよらぬ内容だった。
カチャリ。背後でドアが閉まる。
隆成と別れ、自分の部屋に戻ってきた弥紘は、束の間そこで立ち尽くす。
と、視線の先、床に脱ぎ捨てたジャケットのポケットからスマホがこぼれ落ちていて。その画面が点灯し、着信を知らせていた。
誰だ。弥紘は重い足を動かし、スマホに手を伸ばす。
相手は――飛鳥だ。弥紘は応答ボタンを押す。
『ああ、弥紘ー! やっとつながった……』
「なんか用か」
ぶっきらぼうに返すと、信じられない言葉が返ってくる。
『絃那ちゃんがいなくなった』
「……は?」
『なんかね、今日の夕食に寮の友達と鍋パする予定だったらしいんだけど。絃那ちゃん、急にキャンセルしたんだって。【門廻家に泊まりに行くことになった。ごめんね】ってメモ書きが友達の……えっと、乙木麻由里さん? って子の部屋のドアに挟まってたらしくて。でもメッセ送れば済むのにわざわざメモ書き残す意味が分からないし、電話かけても一向に繋がらないから乙木さん不審に思ったらしくて。〈うちの絃那を返せー!!!〉て怒って門廻の代表電話にかけてきたんだわ。セトさんが珍しく狼狽えてると思ったらさあー…………て、弥紘ー? おーい、聞いてるー?」
弥紘は通話を切った。
踵を返し、部屋を飛び出す。
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