シンデレラにはなれない(2)
「あっ。おっはよー、成海くん!」
「おはよー」
「おはよう菊池さん、谷垣さん」
教室に入って早々、千聖くんは扉の近くで会話していた女子たちに声をかけられた。
そのまま捕まってしまった千聖くんの横を通り過ぎ、窓際の自分の席に座る。
「おはよう、愛理ちゃん」
ランドセルから教科書を取り出していると、友達の
ゆるめに縛られた二つのお下げに、くりっとした瞳。私よりも小さな身体。
一見するとおとなしそうだけど、菜摘ちゃんは意外とハッキリ自分の意思を言うタイプだ。
「おはよう」
朝の挨拶を交わしてから、流行りの動画の話で盛り上がる。
その最中、教室の隅っこで会話しているクラスメイトの声が耳に届いた。
「知ってる? 今朝、三丁目の交差点で事故があったらしいよ。わき見運転してた車が角のメロンパン屋さんに突っ込んだんだって」
「えー、わき見運転とか、百パーセント運転手が悪いじゃん。どーせスマホ見てたんでしょ。いるよね、スマホ見ながら自転車漕いでる奴とかさ。ほんと迷惑」
「ねえ、もしかしてさ……その運転手、死んだりしたの?」
「ううん、無事みたい。事故に巻き込まれた人もいないって。奇跡的に怪我人ゼロだってさ」
「そうなんだ、良かったね」
クラスメイトたちの声を聞いて、私はちょっと誇らしい気持ちになった。
本来なら園田さんが事故に巻き込まれるところだった。
その未来を変えたのは私と千聖くんだ。
心の中でくらい、自慢したっていいよね。
菜摘ちゃんと会話しながら、私は教室の斜め前方、廊下側の席に座る千聖くんを見た。
学校では『爽やか王子様』として愛想よく振る舞っている千聖くんはクラスの人気者。
今朝も彼の周りには数人の男女がいて、楽しそうに笑っていた。
いま千聖くんと喋っているのは、千聖くんの前の席の女子。
クラスで一番可愛い、クラス委員の
腰まで届く濡れ羽色のまっすぐな髪。
黒髪に映える真っ白なカチューシャ。
アーモンド形の目を縁取る長いまつ毛。
今日の服装はリボンのついたニットのセーターに、控えめなフリルのついたスカート。
美男美女同士、談笑する二人の姿は実にお似合いだった。
春川さんの愛らしい笑顔を見ていると、なんだか胸の奥がズン……と重くなる。
そんなふうに、彼女のことがなんとなく苦手に感じてしまうのは、小学三年生のときに行われた学芸会のせいかもしれない。
小学三年生のとき、私は春川さんと同じ一組だった。
話し合いの末、一組では学芸会で創作シンデレラをやることになった。
当時、流行っていたアニメの影響もあって、お姫様に憧れていた私は思い切ってシンデレラに立候補した。
希望者が多かったから、誰がシンデレラをやるかはジャンケンで決めることになった。
ジャンケンで勝ったのは春川さん。
それで終わりなら良かったんだけど、問題はここからだ。
その後、私は教室の端っこで行われたクラスメイトたちの会話を聞いてしまった。
「シンデレラが春川に決まって良かったよ」
「やっぱりお姫様に相応しいのは春川しかいないよなあ。可愛いし」
「ブスなお姫様とかあり得ないよねえ。加藤さんとか藤原さんとかじゃ、駄目とはいわないけど、やっぱりさあ……ねえ?」
「春川さんに比べると……ねえ?」
ふふっ、と、嘲るような女子の笑い声。
「来見さんとか、よく立候補したよね。あんな鳥の巣みたいな髪したシンデレラ、やだよ。ギャグマンガの爆発後ですか? っていう」
あはははは。
その笑い声は、三年経ったいまでも棘のように私の心に突き刺さって、抜けないまま。
私はお姫様にはなれない。相応しくない。
そう痛感させられた出来事だった。
春川さんは千聖くんのことが好きだ。
それは雰囲気でわかる。
春川さんがクラス委員になったのも、千聖くんが先にクラス委員に立候補したからだろう。
春川さんと千聖くんと同じ班で、春川さんの友達の吉田さんと木下さんは二人をくっつけようとしている。
この前の班行動のときも、千聖くんは不自然に春川さんと二人きりにされたらしい。
千聖くんは春川さんのことは特になんとも思ってないみたいだけど、ずっとそうだとは限らない。
もし春川さんに猛アプローチにされて、告白されたら、千聖くんは何て答えるんだろう。
……いや、まあ、私が気にすることじゃないんだけど。
私たちはただの幼馴染なんだし。
千聖くんだって、春川さんに私との関係を聞かれたときはただの幼馴染だって言ってたもんね。
「愛理ちゃん、春川さんと成海くんのこと、気になる?」
「えっ」
私の視線に気づいたらしく、菜摘ちゃんが聞いてきた。
「う、ううんっ、別に。仲が良さそうだなあって思っただけだよ」
「……本当に思ったのはそれだけ?」
私の心の奥底まで見通そうとするかのように、菜摘ちゃんは、じいっと私を見つめた。
「前から気になってんだけど、愛理ちゃんって成海くんのこと好きなんじゃないの?」
「そりゃもちろん、好きだよ。幼馴染だし。幼稚園からずっと一緒だったし」
「そうじゃなくて、一人の男の子として」
「まさか、そんなことないよっ」
私は大慌てで手を振った。
「あっ、春川さんが成海くんの肩に触った」
「えっ」
菜摘ちゃんの言葉を聞いて、私はまた千聖くんたちのほうを見た。
春川さんに肩に触られても、千聖くんは嫌な顔一つせずに微笑んでいる。
「二人とも、あんなに楽しそうに、なんの話をしてるんだろうね。愛理ちゃんはあの二人を見て、胸がモヤモヤしたりしないの?」
……実はすごくモヤモヤしてる。
でも、それはきっと、大事な幼馴染を取られちゃ嫌だっていう、自分勝手な独占欲のせい。
さすがにその感情を表に出すほど、私は幼稚でも恥知らずでもない。
もし千聖くんが春川さんのことを好きになって、付き合うっていうなら、私は幼馴染として笑顔で祝福しなきゃ。
シンデレラになれなかった『村人C』は、お姫様と王子様の幸せを願わなきゃ、だよね。
「そんなことないよ。それより運動会のことだけどさ――」
菜摘ちゃんはまだ何か言いたそうだったけれど、私は無理やり話題を変えた。
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