ストーカー

『あー……この家、事故物件です』

 電話越しに不動産屋の気まずそうな声が聞こえてきた。

 大学進学が決まり、千寿が両親や妹とともに一人暮らしをするための下宿先を探していたところ、大学からはやや距離があるものの信じられないほど格安の家賃の物件を見つけたら、これであった。家族全員、そんな気はしていたとばかりの空気に包まれる。

 二階建ての一軒家。概要を読むに一人暮らしではどう考えても持て余すほど広い。それでいて家賃は一ルームの部屋の相場より安いという、わけありとしか思えない物件だったのだ。

「えっと……どういった類の事故物件なんでしょうか?」

 千寿は一応尋ねておいた。

『人が四人亡くなられてるんです。それも一度に四人ではなく、二人、一人、一人……という風にバラけて……。前に住んでいた男性が去年の九月に亡くなられたばかりです』

「やめとこう。絶対やばい」

 妹が青い顔で断言する。父親もややビビりながらこくこくと頷いていた。

 本来、客に部屋を勧める立場にあるはずの不動産屋の男性も、露骨に脅かしにかかってしており、本気でやめておいた方がいいと暗に告げているのは明白だった。

「どうする、千寿?」

 母親が困ったように聞いてくる。……千寿は顎に手を添えて考え込んだ。バイクの免許は取った。従兄弟からバイクをもらったので立地はさほど問題ではない。広すぎるという気もするが、それはそれでワクワクもする。何より家賃が尋常ではなく安い。我が家は別に裕福と言えるほど経済的余裕があるわけではないのだ。安いに越したことはないだろう。……その家賃の安さが事態の危険性を物語っているのだが。

 単純に人が四人も亡くなった場所に一人で寝泊まりするのは精神衛生上よくない気もしてきた。しかし……、

「すみません。とりあえず、内見だけしていいですか?」

 正気かこいつ、という目を父と妹から向けられ、電話の向こう側にいる不動産屋も驚いているようだった。

 一つ考えがあったのだ。彼は霊感が研ぎ澄まされている。弱い霊、強い霊、人に害意を与えてくるような悪霊、全て気配を感じ取れる自信があった。内見して、人を何人も殺すようなとてつもない悪霊の気配を察知したらやめる。

 そして実際に内見した千寿は──


「やっぱり、霊いないんだよな……」

 盗撮写真を庭で燃やし、エアコンの点いた居間に寝転がりながら千寿は呟いた。この家には霊の気配を全く感じない。それどころか、あちこち歩き回ってもここら一帯に霊の存在を知覚できなかった。こんな澄み渡った場所には遭遇したことがない。地元の田舎でも、浮遊霊の気配を感じることはそれなりにあったのだが、それすらも感じない。四人の人間が命を落としたとは思えないほど、霊感持ちからしたら心地よい空間である。しかしそれだけに、

「一雄さんじゃないけど、俺をストーカーするなんてどんな暇人だよ」

 五月頃からだったろうか。大学の構内で視線を感じるようになった。サークルメンバーに軽く相談すると、「女の子からの熱い視線だろ」と一雄がニヤリと笑っていたか。

 それにしてはねっとりした嫌な視線だったのが気になったが、構内だけのことだったのでさして気にはしていなかった。しかし日が経つに連れて街を歩いているときにも視線を感じるようになり、すぐ後ろを歩かれているような気配、足音ときて、この家にまで出没するようになった。

 郵便受けに盗撮写真を投函されるのは今日が初めてだったが、居間のガラス戸に手形が残されていたり、玄関前に見知らぬ靴の足跡ができていたり、手入れもせずに生えっぱなしになっていた夏草が踏まれたように倒れていることもあった。

(手形や足跡の大きさからして、たぶん犯人は成人男性……あるいは四肢の大きい女、か)

 思い当たる人物に心当たりはない。そもそも成人男性という条件はあまりにも範囲が広すぎる。とはいえ四肢の大きい女性というと、

(恋詠は背高いけどな……)

 彼女は平均身長くらいの千寿と比較して同じくらいの背丈だが、流石に手足の大きさを観察したことはない。足の大きさは靴のサイズから推し量れるが、玄関前に残っていた靴よりかは小さかったはずだ。尤も、靴のサイズはいくらでも偽装できるのだが。

「手の大きさは観察しただけじゃわからん」

 自分と手比べしてくれと頼むのも変な話だ。それに恋詠が背の高さとやや広い肩幅を気にしている。無駄に傷つけるだけになるかもしれない。彼女がこんなことをするなんて、そもそも疑ってはいないがを

 知り合いに犯人がいるとは限らない。犯人が一方的に千寿のことを知っている可能性もゼロではないのだ。むしろそちらの方が納得できる。

 あることを思い立った千寿は上体を起こすと、クーラーを止めてヘルメット片手に外に出た。バイクに跨って、街灯の足りない薄暗い道路へ出る。蒸し暑い空気を切り裂きながら街へと繰り出していくのだった。

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