滅霊少女

赤衣カラス

生者か亡者か

事故物件

「実はこの部屋、事故物件なんだよ……」

 とあるアパートの一室にて、竹道たけみち一雄かずおが厳かに呟いた。テーブルに両膝を着いて手を組むその姿は、フィクションに出てくる組織のトップのようでもあり、単に怯えているのをごまかしているだけのようにも見えた。

 少し離れたソファに座って彼の様子を眺めていた門矢かどや千寿せんじゅはそれを後者に捉えた。

「ど、どうしたのよ、急に……」

 ぎょっと反応したのはキッチンの方で洗い物をしていた松木まつき琴子ことこだ。

 一雄はさっぱりとした短髪をざらりと撫で、

「そのまま意味だ。どうやら俺の前の住居者の女性が、薬を大量摂取して自殺したらしい。最近よく聞くオーバードーズってやつだな」

「そ、それって、いつの話ですか?」

 千寿の隣に腰掛けて小説を読んでいた糸魚川いといがわ恋詠こよみが恐怖半分、好奇心半分といった雰囲気で尋ねる。普段のふわふわした声音に緊張感が籠もっていた。

「俺が入居するちょうど一年前だから……四年前ってところか」

「知ってて入居したんですか?」

 千寿は首を傾げながら尋ねた。一雄は深く頷き、

「もちろん。なんでこの部屋、角部屋なのに他の部屋より家賃が安いんですかって訊いたら、不動産屋はしっかりと説明してくれたよ」

「よく借りたわね……」

 ハンカチで手を拭きながらキッチンから戻ってきた琴子が苦々しくつっこむ。作業が終わったからか、後ろで括っていたウェーブのかかった茶色い髪を解いた。

「家賃が安かったからな。俺だって最初は嫌だったけど、一人暮らしのためには背に腹は代えられなかったんだよ」

「かずくんの家近いんだから、わざわざ一人暮らしなんてしなくてもよかったのに……。だからおばさん、呆れてたんだ」

 一雄の座るテーブルの向かい側に座っていた童顔に眼鏡をかけた彼の幼なじみ、梅園うめぞの絵里緒えりおが呆れたように言う。

「大学生になったら一人暮らししたいだろ! 夢だったんだよ、ソロリビング!」

 立ち上がって高らかに宣言する一雄。琴子と絵里緒は呆れ、恋詠は苦笑していたが、気持ちがわかってしまった千寿は何もリアクションできなかった。

「一人暮らししたいなら、どうして名古屋から出なかったの?」

 絵里緒が首を傾げながら尋ねる。

「いや、そこは、ほら……いざってとき実家からの援助を最大限得られないのは、心細いっつうか……」

「中途半端なソロリビングね」

 旗色悪そうにモゴモゴと呟く一雄を琴子が煽る。彼女は彼の隣に腰掛けると足を組んだ。

 時間こそかかるものの、電車で乗り換えなしで地元に帰れる千寿も一雄と似たような考えで進学したので、これまた無反応を貫くしかなかった。

 彼ら五人は名総めいそう大学ミステリ研究サークルのフルメンバーである。一雄と琴子が三年生、絵里緒は二年生、千寿と恋詠が一年生。

 研究とは銘打っているものの、やっていることは推理小説を読み合い、勧め合うだけ。作家志望なども特におらず、基本的にただ遊んでいるだけのお気楽な集まりだ。主に大学から近くてなかなか広い一雄のこの部屋がたまり場になっている。

 恋詠は小説に栞を挟むと、背筋を伸ばして身体を一雄に向けた。いつもはマイペースでニコニコしている彼女表情がやや真面目なものになっている。

「それで、その事故物件カミングアウトにはどんな意味があるのでしょうか?」

「良い質問だ、糸魚川ちゃん。実は最近……いや、ひょっとしたら前からだったのかもしれないが。まあとにかく最近気づいたことなんだが、どうやら……出てるっぽい」

「出てるって……何がよ?」

 答えの予想などできているだろうに、琴子はやや顔を引きつらせながら尋ねる。彼女が僅かながらも怯えているのは誰の目から見ても明らかだろう。

 一雄は顔を青くしながら深刻そうに、

「幽霊だよ……」

 両手で顔を覆った。わかりきっていた回答に琴子は苦虫を噛み潰したように顔を歪めると、部屋中をジロジロと見回し始める。一方の絵里緒は不思議そうにキョロキョロしていた。

 恋詠はやや前のめりになりながら、

「み、見たんですか? 幽霊の姿を……」

「いや、見てはいない。ただ、霊現象としか思えないようなことが何回かあったんだ」

「具体的には……どんな?」

「当然扉はしっかりと施錠していたことは前提としておくぞ? 完全に閉めたはずの寝室の扉が少し開いていたり、置いてあったものの位置が少しずれていたり、俺しかいないはずなのに部屋のどこかから物音がしたり、ずっと誰かに監視されている気がしたり……」

「ば、馬鹿馬鹿しいわね……! そんなの、幽霊じゃなくてストーカーの仕業かなんかでしょ。視線は、隠しカメラかなんかよ」

 琴子は頬杖を着いて目を逸してながら言った。……その言葉に、千寿は人知れずどきりとする。

「ストーカーだったらむしろそっちのが怖いけどな……。けど、鍵はちゃんとかけてるし、俺をストーカーする奇特な奴に心当たりなんてない」

「前の住居者の鍵を持っている方が忍び込んでいる……とかはありませんか?」

 恋詠が顎に手を添えながら尋ねた。

「ないな。入居するときに新しくしてるし。合鍵は一本実家に預けてあるけど、身に覚えがないそうだ。もちろん、合鍵を盗まれてもいなかった。ちゃんと保管してあったとよ」

 不可思議な状況下に恋詠はごくりと唾を飲んだ。それはそれとして、ミステリ好きとしてこの謎めいた事案に並々ならぬ好奇心を抱いている……のを、彼女の隣にいる千寿は読み取った。

 するとずっと部屋を見回していた絵里緒が首を傾げる。

「霊の仕業……って言うなら、かずくんは感じ取ってるの?」

「いいや全く。だからわけわからなくて怖いってのがある。絵里緒は?」

「私は……ちょっと感じる……ような? 事故物件って話を聞かなかったら、まず気づかないくらい小さな気配だけど……」

「な、なんの話、二人して……?」

 琴子が愕然とした様子で尋ねる。一雄は後ろ首を掻きながら恥ずかしそうに、

「実は俺も絵里緒も霊感があってな。俺は多少だけど、絵里緒は結構……」

 絵里緒もこくこくと頷く。琴子は視線を二人に交互に行き来させた。

「霊感って……。そ、そもそも、幽霊なんているわけないでしょ。ねぇ、恋詠ちゃん、千寿君?」

 二対一は分が悪いと判断してから、琴子は後輩二人に援護を求めてくる。

 恋詠は困ったように笑いながら人差し指で頬を掻いた。

「うーん……どうなんでしょう。幽霊を見たことも霊現象を体験したこともないので、無条件に信じはしませんけど……。ただ、否定する理由もないんですよね」

「えぇー……。せ、千寿君は信じないわよね、ね? 顔がリアリストっぽいし」

 どんな顔だよ、と千寿は心中でボヤく。彼はリビングから続く寝室への扉をちらりと見ると、

「俺は……信じてますよ、幽霊。ラップ音とかは何回も聞いたことあるんで」

「何なのよ、みんなして……。それでもミステリ研究サークルなの? 合理的な根拠を積み上げて真実を突き止めるミステリをみんなは愛しているはずでしょう!?」

 孤立した琴子は頭を抱えながら叫んだ。そんな彼女を恋詠は苦笑しながら宥める。

「ま、まあ……コナン・ドイルも心霊現象を信じていたみたいですから。信じる信じないは自由だと思いますけど……」

 最も偉大なミステリ作家の名前を出されては琴子も二の句が継げなくなった。彼女が落ち着いたのを見計らってか、恋詠は一雄に目を向ける。

「竹道先輩は幽霊に困っているんですか?」

「ああ。普通に怖い……。怖すぎる。真面目に引っ越そうかと思ってるくらいだ。んな金もねえんだけどな」

「実家に戻ればいいのに」

「それは嫌だ」

 絵里緒の提案は刹那で却下される。恋詠は目線を落として何事か考えると、改めて顔を上げた。

「実は私がバイトしている喫茶店の常連に霊感が強くて、その手のことにとても詳しい子がいるんです。お祓いもできるらしいですよ。……竹道先輩さえ良ければ、彼女を紹介しましょうか?」

「まじ? できれば部屋を見てほしいし、お祓いもしてほしいな。色々と調べたんだけど、ほら……霊媒師って微妙に信用できないし、どんくらい金がかかるかもわからないからさ」

「その子が無償でやってくれるかはわからないでしょ。そもそも話に乗ってくれるかもね。普通に迷惑って言われるかもしれないわ」

 美味しそうな話に食いつく男に、琴子は冷たい目を向けながらつっこんだ。

「無償でやってくれると思いますし、迷惑とも言ってこないはずですよ。心霊の噂を聞いたら是非教えてほしいって、その子から言ってきましたから」

 その言葉で完全に乗り気になった一雄は、その人物に約束を取り付けてほしいと恋詠に頼み、彼女はそれを承諾した。琴子は面白くなさそうだったが。

 午後七時が近づき、大学の駐車場にバイクを停めてある千寿が帰宅の準備を始めると、他のみんなもそれに倣った。

「あたしはちょっとトイレを借りるわ。みんな先に帰ってていいわよ」

 そう言ってトイレに引っ込んだ琴子を置いて三人は玄関に密集する。家主の一雄も見送りに寄ってきた。帰り際、千寿はずっと気になっていたことを訊くことにした。

「一雄さん。前の住居者が亡くなっていたのって、どこなんですか?」

「あー……寝室だよ。それ知ってたから、最初から寝るときはリビングのソファにしてるんだわ」

 その答えに千寿は、やっぱりか、と一人で納得した。初めてこの部屋にお邪魔したときから……何なら、アパートに近づいたときから、この部屋の寝室の中に霊を気配を感じていたのだ。

 門矢千寿もまた霊感を持っていた。それも、とびきり強力なものを……。


       ◇◆◇


 千寿、恋詠、絵里緒の三人はぞろぞろとアパートの外に出る。駅へ向かう女性陣と別れた千寿は一人で名総大学へと向かった。この辺りは住宅街であり、背の高い建物は一雄の住まうアパートと大学くらいだ。大学周辺に集合住宅は多いのだが、殆どが反対側に密集していた。

 七月だけあって七時も近いのにまだ明るい。千寿はヘルメットを弄びながら暑さに辟易した。

 肉眼で見える距離にある大学を目指してとぼとぼと進んでいく。住宅街なのに、あるいはだからか、やけに人とすれ違わないのが気になってきた。額から頬にかけて汗が垂れてきて、千寿からため息が漏れる。

(後ろ、……よな?)

 これが暑さから発汗したものではなく冷や汗なのを自覚する。背後に耳を澄ますと、僅かに足音が聞こえてくるのだ。こちらの歩調に合わせるように、トツトツ、トツトツ……と確かに誰かがついてきていた。不意に立ち止まると、足音も止まる。

 千寿は苦々しく顔をしかめると、T字路を曲がった。そして、しばらく歩いたところで勢いよく振り向く。

 白いセーラー服を着た女子高生が立っていた。紫色の竹刀袋を左肩にかけ、生暖かい風に長い黒髪を靡かせている。前髪は綺麗に切り揃えられており、頬にかかる髪も同じようになっていた。いわゆる姫カットと呼ばれる髪型だ。

 彼女は千寿のことを見てはいなかった。T字路の中央に立ち尽くし、二本のカーブミラーを見つめているようだ。

 千寿はどこか浮世絵離れした雰囲気を持つ彼女を、怪しむ意味も込めてじっと観察してしまっていた。

 不意に、こちらを向いてきた彼女と目が合う。にこりと笑みを向けられた。口は弓なりに曲がっていたが、目が笑っていない。

 ぞくりと、背筋が凍るような不気味さを感じた千寿は慌てて前を向き直って、逃げるように足早で大学へ向かう。

 足音はもう、聞こえてこなかった。


 バイクで二十分ほど交通量の少ない道を走り、発展している街から田んぼや畑が見受けられる郊外までやってきた。下宿している賃貸住宅から伸びる通路を曲がって、トタン屋根のある駐車スペースにバイクを停める。

 ヘルメットを抱えて家を見上げた。木々と茂み囲まれた二階建ての木造建築。白い壁はやや黒ずみ、年季こそ感じるものの家の面積は広い。伸びた蔦が家を蝕むように壁の一部を這っており、まるで植物に侵食されかかっているかのようだった。一人暮らしをするにはあまりにも大きい家である。

 千寿は肩をすくめると、びくびくしながら郵便受けを開けた。白い長方形の紙が一枚入っている。恐る恐る裏を見た。

「……!?」

 思わず手放したそれが地面に落ちる。一雄の部屋から出ているときの写真が載っているのだ。部屋の真正面から遠巻きに撮られていた。服装的に昨日のものだろうか。

 写真を拾い上げた千寿は写真を破り、

「幽霊より、人の方が怖いっつの……」

 吐き捨てるように呟くのだった。

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