第2話

エミリオ司教は大聖堂の祭壇前で祈りながら悩んでいました。


教皇のホノリウス5世から「大宮殿からひそかに脱け出す方法を考えてくれ」といきなり命じられたエミリオ司教は慌てふためきましたが、周囲に黙って脱け出してから無茶をされるぐらいなら、自分が内密で手配した方がまだ良いだろうと仕方なく引き受けました。


大草原に囲まれた小国であるアラペトラ国は、国境には目印の教皇旗が何箇所か立っているだけで検問なども無いので国外に出るのは難しくありません。


しかし教皇が大宮殿から抜け出して数日でも国外に遊びに行くのは難問でした。


国の中心にある『白の大宮殿』はとにかく巨大な建造物なのでその気になればこっそり出入りするのは可能です。しかし最高位の重要人物である教皇は日夜常に警備されているので流石に無理です。

おまけに教皇は日々の政務や祭儀の予定も一日中びっしり詰まっていますから、たとえ少しでも姿を見せなければすぐに不審がられるでしょう。

仮病で私室に籠っている事にしたら、医者たちが押し掛けてくるに決まっています。


まったく、以前はどうやって大宮殿を抜け出して周囲を誤魔化していたのやら……とエミリオ司教は散々心の中で愚痴を言ってから、ふとホノリウス5世の前の侍従長を思い出しました。彼ならば教皇の過去の悪だくみを良く知っているかもしれません。

年齢を理由に少し前に職を辞して、今はアラペトラ大修道院で隠居暮らしをしています。明日にでも面会予約を取って古強者の彼に相談してみようとエミリオ司教は考え、ようやく顔を上げて立ち上がると早足で大聖堂を出て行きました。


「大宮殿を脱け出してから私が訪れたいのは、コマースウィック村だ。そこまでの移動手段も手配してくれ。もうすぐ大きな市が3日間開かれるらしいので、それに合わせれば私が歩き回っても目立つまい」

その夜、ホノリウス5世とエミリオ司教は重要な祭儀の打ち合わせと称して、普段使っていない小さな執務室で2人きりで計画を練っていました。


「コマースウィック村ですか……その村ならば、私の遠縁で手広く商売をやっているロドリックという者の店があります。彼の屋敷は村の近くですし、教皇にはお忍びの貴族と称して滞在していただきましょう。市の開催予定を調べて連絡を取って準備をさせます」

「ほお、それは都合がいいな。私は村の宿でも平気だが、寝ている間のコソ泥の心配をしなくていいのは有難い。大きな市が立つと犯罪者も集まってくるからな」

うきうきとした表情のホノリウス5世とは逆に、エミリオ司教は眉間に深く皺を寄せました。

「ただし、供の者は絶対にお連れください。いいですね?」

「わかったわかった。マリヌスを連れて行こうと思う。大人しそうに見えて実は色々と特技があって、いざという時に頼りになるからな」

「マリヌスですか……まあ彼ならば口も堅いし適任でしょう。後で侍従長に盛大に叱られる事でしょうから、彼のために執り成す必要がありますが」

「勿論だ。今の侍従長も口うるさい男だからな。しかし、やはりそなたに計画を持ち掛けて正解だったな。安心して任せられる」

「ありがとうございます」

あまり嬉しくなさそうなエミリオ司教に向かって、笑顔のホノリウス5世は更に言いました。

「ついでにもう一つ頼みがあるのだがな」

「……何でしょう」

「金を貸してくれ。私室に隠していた金は使い切ったし、私の個人資産は管理されていて好きに使えぬ。だが俗世では無一文では何ひとつ出来ぬからな」


エミリオ司教は目を閉じて天を仰ぎ何やら祈りの言葉を呟きました。

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