教皇と生首博士

高橋志歩

第1話

朝の日光が差し込む明るい教皇専用の食堂で、教皇ホノリウス5世はゆっくりと朝食を食べていました。


いつものように焼きたてのパンを味わいますが、その表情はいささかつまらなさそうでした。

なぜなら、ホノリウス5世の大好物である蜂蜜が無いからです。


教皇を頂点とした教皇のための国家、アラペトラ国では比較的穏やかな日々が続いていました。


国同士の揉め事もおさまり、教皇領の境界で小競り合いがあるぐらいです。

ホノリウス5世は「天の祝福と天使の癒し」を受けた教皇として天下に広く知られ、熱烈な支持者も増え、政治的な反対勢力も息を潜めています。また健康状態も良く、信頼できる配下も増えたので政務も順調でした。


けれどもホノリウス5世は少しばかり鬱屈がたまっていました。

なぜなら、ひそかな楽しみだった大宮殿からこっそり抜け出して貴族の服装で1人で気ままに俗世を歩き回る事が出来なくなってしまったからです。


以前ホノリウス5世は魔術の知識を駆使して、誰にも見えない不思議な抜け道を大宮殿内に作り出して時々外と行き来し、国外の村や街に好奇心の赴くままに出歩いていました。しかし今はもう出来ません。「天使の癒し」を受けたせいかホノリウス5世の魔術の技術が封じられたようになってしまったからです。

魔術が使えなくなった事自体はさほど残念に思いませんでしたが、苦労して作り上げた抜け道が消滅したのには落胆しました(この件に関してだけは、教皇は天使の嫌がらせを疑っていました)。


大宮殿には教皇や高位の聖職者のみが使える、いざという時のための国外への脱出用の隠し通路はもちろんあります。しかしこちらは選りすぐりの警備員が厳重に見張っていて、たとえ教皇といえども勝手に使う事は出来ません。


大好物の蜂蜜も食べられない上に、気楽な外歩きも出来ない。

ホノリウス5世が小さな溜息をつきつつ食後のお茶を飲んでいると、専属の料理人が食堂にやってきました。


「教皇、本日も蜂蜜がご用意できず申し訳ありません」

「そなたが謝る必要は無い。不作ならば仕方のない事だろう」

「そう言っていただけると……しかしここまで手を尽くしても蜂蜜が入手出来ないのは私も初めてです。ですがコマースウィック村で数日後に大きな市が開かれるので、その時に商人達に声をかけて何とか調達したいと考えております」

「ほう、コマースウィック村で……」

ホノリウス5世の目が興味深そうに光りました。


その日の午後。

ホノリウス5世は執務室で担当者と打ち合わせをしていました。

とある王国の国王が崩御し、世継ぎの王子が新しい国王となりました。その新国王が教皇を表敬訪問するためにやって来るのです。

まだ若い国王とはいえ、アラペトラ国としても大事に迎え入れなければならない訪問団です。

大規模な行事や祭儀が続くので入念な準備が必要です。詳細な報告を聞いたホノリウス5世は、担当者が下がった後も執務机の上の日程表を眺めながらしばらく考え込んでいました。

教皇として忙しいのは一向に構いませんが、しかしそろそろこの辺で気分転換をしないと精神状態には良くないでしょう。ホノリウス5世は、よし決めた、と決意して従者に命じました。

「エミリオ司教を呼んでくれ」


しばらくしてエミリオ司教が執務室にやってきて、恭しく挨拶をしました。

彼は以前、ホノリウス5世に反抗して国外に追放され、挙句に騒ぎを起こしたりもしました。しかしその後改心し逆に教皇に最も忠誠を誓う配下となっていました。元々有能な人物だったので、ホノリウス5世も過去は気にせずさっさと元の役職に取り立て、存分に働かせています。


「エミリオ司教、近々やって来る新国王の訪問団だが大人数だな」

「異例の規模です。まだお若い王ですから華やかな事がお好みのようですな。さぞかし煌びやかな大行列で我が国の国境を越えてくるでしょう」

「ふむ。まあこちらも負けずに厳かに迎えてやろう。前の国王は何かと反抗的だったが、新国王が従順ならば今後色々とやりやすい。ところで」

ホノリウス5世は重要な話だからと従者たちを下がらせ、エミリオ司教を自分の近くに招き寄せると少し小声になりました。

「実はそなたにしか頼めない事があるのだが。私のたっての願いを聞いてくれるか?」

エミリオ司教は厳粛な表情でうなずきました。

「私は教皇の最も忠実な手足です。何なりとお申し付けください」


ホノリウス5世も同じくらい厳粛な顔で言いました。

「私が大宮殿からひそかに脱け出す方法を考えてくれ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る