第22話 あるバイト門番の休日
寮に戻ると、すっかり仕事着から着替えたセルドが居間のソファーで寛いでいた。
「おう、遅かったな」
「遅かったな、じゃねーよ。薄情者。お前が置いてったんだろ?」
「そりゃあ悪かったよ、でもよ、あの爺さん、特訓の後になると話が長いからなー」
確かに、思い当たる節があったので否定はしない。
だが、こいつはいつも肝心な時に居ない気がする。
「今回はそうかもしれんが、お前はコロシアムの時も一人で逃げただろ?」
「あれも、フェイにコロシアムで絡まれたくなかっただけだ逃げちゃいないさ」
「どうだか」
俺も、仕事着から普段着に着替え、居間に居るセルドにこの後の予定を尋ねる。
「なあセルド、早起きしたはいいが、歓迎会までだいぶ時間あるけど、どうする? 一回寝るか?」
「うーん、そうだなー……。一回、寝てもいいけどよー、正直、起きたばっかで全然眠くねえんだよな」
「そうか? 俺はいつでも眠れるくらいには疲れてるけどな」
特訓の後も元気なセルドとは対照的に、初めて特訓に参加した俺は、今にも瞼が閉じようとしているくらい、全身に疲れが溜まっていた。
「あ、そーだ! 良い事思いついた! カーマ町に行くぞ!」
突然、何かを思いついたセルドが勢いよく立ち上がる。
「どうした急に?」
「いいから着いて来い! 俺が男の嗜みをお前に叩きこんでやる!」
「止めろ、俺は眠たいんだ!」
「うるせえ! 寝言は寝て言え!」
「それはこっちの台詞だ」
俺の気持ちなど微塵も考慮してくれない同居人は、強引に腕を引き、部屋の外に連れ出そうとする。
「分かったよ! 行くよ、行けばいいんだろ?」
「よーし、出発だー! 流石はカーマ、話が早くて助かるぜ」
「で? 先にどこ行くかだけでも教えろよ」
「一々言わすなよ……そんなの、ストリートに決まってるだろ」
「行き先言うだけで、かっこつけんなよ」
その言葉だけを残し、勢いよく玄関を飛び出したセルドの後に続いて、渋々、時計下通りに向かう。
だんだんと、時計下通りに近づくにつれ、賑やかな声と人混みが増えていく。
半ば強引に連れて来られたが、せっかくの連休だ、存分に楽しんでやろうと密かに決意を固める。
「おーいセルド、そろそろ何するか教えてくれよ」
「そうだな。だが、その前に人生の先輩として、まだ未熟なお前には、教えておかなければならない事がある」
「急にどうした?」
「カーマよ、お前は男としての実力やセンス、器量は何処に現れると思う?」
「……うーん。でも、そんなのは、そいつの戦い方を見てみれば、すぐ分かるんじゃないのか?」
「確かに少しは分かるかもな。でもな、もっと簡単に男のレベルを計る方法があると、俺は考えている」
「そ、そんな方法があるのか?」
「ああ、俺はついに、その真理に辿り着く事が出来た」
「何だよ、勿体ぶらずに教えろよ」
「それはな、……休みの日に急に呼べる女の数と質だ!」
「何だって!? そんな所で、男としての優劣が決まるっていうのかよ。……でも、どうしたらいい! 俺にはまだ、この街に職場以外で女の知り合いは居ないぞ!」
「安心しろカーマ! 俺も一年前まではそうだった。だがな、そんな俺達にピッタリの、とっておきの方法がある!」
「頼む! 何でもするから教えてくれ!」
「良いだろう、それはずばり……ナンパだ!」
「ナンパかよ!」
セルドの熱弁に、もしかすると、本当に有益な情報を得られるのでは、と期待しすぎた俺は一転、頭を抱える。
「という訳で、今から時計台の辺りで待ち合わせをしている女の子に、片っ端からナンパを行う! 着いて来い!」
そんなこんなで、暇な時間をナンパに
時計塔は街のシンボルでありながら、街の中心に位置している為、老若男女問わず人が訪れる、待ち合わせ場所の定番とされている。
今日も午前中から多くの人達が、時計塔の周りに集まっていたのが、遠目でもよく分かる。
「よーし、まずは俺が見本を見せてやろう。上手くいきそうだったらフォロー頼むぞ」
「分かった、後ろで見守っといてやるよ。それで、どんな子に声を掛けるんだ?」
「そんなもん、簡単だ。これは俺のナンパの師匠が言っていたんだがな、一番確率が高いのは、遊び慣れて無さそうな真面目な子だ」
「そうなのか!? 何か意外だな。てっきり派手なタイプに行くと思ってたぞ」
「だろー、俺も教えて貰った時はかなり驚いたぞ」
確かに真面目そうな子を誘うという、謎のノウハウには驚かされたが、俺には、こいつにナンパの師匠がいた事の方が驚きだった。
もしや、その師匠、警備長とか言わないよな。
「よし、今こっちに向かって、一人で歩いて来ているあの子にしよう」
セルドが目を付けたのは、先程の宣言通り、大人しそうな見た目の清楚な女の子だった。
誰かと待ち合わせ中なのか、辺りをキョロキョロしながら、時計塔に向かって来ている。
確かに、師匠のノウハウ通りなら、あの子に声を掛けるのは悪くない。
すると、セルドが意を決して、あの子に向かって歩き出す。
声を掛けるかと思ったその瞬間、セルドがあの子に声を掛けず通り過ぎる。
あいつビビッて止めたのか?
散々でかい口を叩いていた同居人を罵倒しようとした所で、セルドが急に石畳の上に落ちた何かを拾い、その後、振り返ってあの子に声を掛ける。
ん、ナンパしようと思ったあの子が、何かを落としたのかな?
「お姉さん、今、何か落としましたよ」
「えっ、私、ですか? 別に何も落として無いですけど……」
「たった今、僕との運命の出会い、落としましたよ」
「……け、結構です!」
あの子は、逃げる様に走り出した。
「全っ然駄目じゃねーか!」
「くっそー、何でなんだ! 俺の何が足りなかったんだ!」
「単純にキモくて、怖いからだろ」
「うるせぇ! まだ一人目だ。次だ次! 師匠も数撃てば、だいたい何とかなるって言ってたからな」
「その師匠、大丈夫なのかよ?」
あの子が住宅街に走っていく後ろ姿を眺めながら、セルドはリベンジに燃えていた。
「よし、さっきの失敗を活かして、逆を攻めよう!」
「逆っていうと、もっと派手な感じの子か?」
「そういう事ではない。師匠はこうも言っていた。高嶺の花タイプは意外にチョロいと」
「本当かよ?」
「まあお前は指でも咥えて見てるがいい。今度は、時計塔にもたれ掛かっている、いかにもいい女って感じの、あの子に声を掛けてみる」
セルドが目を付けたのは、間違いなく誰かと待ち合わせをしていると思われる、時計塔にもたれ掛かった、頭にターバンを巻いたスタイル抜群の美女であった。
ターバンを巻いたあの人、どっかで見たような。
「あっ、思い出した! セルド気を付けろ。あの人は、コロシアムのメインに出てたカッタル・イシスだぞ。お前の敵う相手じゃない」
「おいおい、本当に高値の花じゃないか。あれを横に連れていたら、俺の男の格もだいぶ上がっちまうな」
「ちょっと待てよセルド。冷静に考えろ! あんな美人が、お前に
「失礼な奴だな。失敗する時の事を考えて戦場に立つ奴が何処にいる。俺に任せとけ!」
人の忠告を無視する勇敢な男は、時計塔で周りの視線を釘ずけにしているカッタルの元へと向かった。
「お姉さん、突然すいません。道をお聞きしたいのですが……」
「……どこまで行きたいの?」
「僕らの結婚までの道のりを、最短距離で案内してもらえますか?」
「…………」
「何なら僕が、式場までご案内しましょうか?」
「…………」
親切に道を教えようとしていたカッタルさんは、目の前の男に失望したのか、ターバンの位置を目が隠れる程に下げ始めた。
明らかに拒絶されている様に見えるが、感の悪い男は、諦めない。
「あのー……好きです」
「…………」
「どうやら耳の調子が悪いみたいですね。そのターバン外して下さい。僕が耳元で愛を囁いて治してあげます」
「…………」
依然、反応の無いカッタルさんに、とうとうセルドが痺れを切らす。
「どーして無視すんだよ! こっちはずっと好きだって言ってんだろうが!!」
「こっちはずっと嫌だって言ってるだろうが!!」
カッタルさんの回し蹴りがセルドの右側頭部を完璧に捉える。
「ゴフっ」
メルテは鈍い音と共に、何度か地面を転がり、倒れ込む。
突然の出来事に、多くの通行人が足を止め、騒動の顛末を見守るが、この場でカッタルさんの制裁に異議を唱える者は、誰一人としていなかった。
むしろ拍手が聞こえてきた程だ。
「ねえ君、さっきこいつと喋ってたけどさ、こいつの知り合い?」
勘の良いカッタルさんは、近くに居た俺に共犯の疑いを掛ける。
「いいえ、知らない男です」
「そう、なら良かった」
カッタルさんは、俺に不敵な笑みを浮かべると、颯爽とコロシアムの方に消えていった。
「ふうー、助かった。おーい、派手にやられたけど大丈夫か?」
「イテテテテ、なんだよあの女! いきなり蹴りやがって!」
「ずっと無視されてたんだから、いきなりでは無かったと思うぞ」
「くっそー。やっぱ難しいな、女心って奴は」
「確かになー。ほんとにナンパなんて成功すんのかな?」
「するさ。見とけよカーマ、次こそは本気で行く。」
「まだやる気かよ。もういいだろ、帰ろうぜ」
「うるせえ、何の成果も無いのに帰れるか! 最終奥義、具現出力、【
セルドは魔力の込め右手を自らの顔に向けたまま、特訓の後にも飲み水として活躍した魔法を唱える。
右手から勢いよく放たれた飲み水達は、セルドの全身を満遍なく濡らしていった。
「つめたっ! 急にどうしたんだよ……って、お前本当にセルドなのか?」
俺は、派手に飛び散った水に驚いた後に、メルテの姿を見て、もう一度驚く事になる。
そこには、何故か色気の漂う高身長の男が、びっちゃびちゃになりながら立ち尽くしていたからである。
いつもの見慣れたモジャモジャが大量の水分を吸った事で、急激にボリュームダウンし、程よくウェーブの掛かった長髪に変貌を遂げていた。
「ああ、水も滴るいい漢とは俺の事だ」
「か、かっこいい!」
自己紹介を口にしながら前髪を豪快に掻き揚げる男は、いつものセルドとは似ても似つかない程、輝いて見えた。
心なしか声色も渋くなっている気がする。
「驚くのも無理はない、これが俺の本来の姿だ」
「そう、だったのか。今まで悪かったな。俺は正直、お前の事、ずっとキモい奴だと思ってた」
「そうか、正直に言ってくれてありがとな。今すぐ殺してやりたい所だが、時間がない。今はナンパを続ける方が先決だ」
「そうだな、行こう」
心にまで余裕を持った別人の様なセルドと共に、次なるターゲットを探すと、またも一人で時計塔にもたれ掛かっている女の子が、暇そうに俯いているのが確認出来た。
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