第294話 新しい村

 十日後、彼方とミケはキルハ城から北西にある平地にいた。草が刈り取ってあり、数軒の木製の家が建っている。


「ここが新しくできる村か…………」


 彼方は額に右手を当てて、周囲を見回す。


 ――この場所なら、近くに川もあって、キルハ城からも近い。畑を作れる場所もあるし、悪くないな。


「彼方っ! 子供の黒毛牛さんがいるにゃ!」


 ミケが野草を食べている小さな黒毛牛を指さした。


「なかなかいい毛並みにゃ。大きくなったら、美味しいステーキになるにゃ。じゅるり」

「じゅるりって口で言うんだ?」

「うむにゃ。最大級の褒め言葉なのにゃ」

「黒毛牛からすれば、嬉しくない褒め言葉だろうけどね」


 彼方は頬を緩めて、ミケの頭を撫でた。


「あ…………あなたは?」


 白いひげを生やした老人が彼方に近づいてきた。老人は見た目が七十代で頭に猫のような耳が生えていた。


「氷室男爵…………彼方様ですよね?」

「はい。もしかして、この村の」

「村長のベガルです」


 老人――ベガル村長は深々と頭を下げた。


「この度は彼方様の領地に村を作らせていただくことになりました。地代のことなど、いろいろとお話したいこともありますので、集会場にお越しいただけますか」

「わかりました。僕も村の情報を知っておきたいので」

「では、こちらにどうぞ」


 彼方とミケはベガル村長といっしょに作られたばかりの集会場に向かった。


 ◇


「本当に地代は、その金額でよろしいのですか?」


 ベガル村長がイスから身を乗り出した。


「ここまで安くしてもらえるとは…………」

「問題ありませんよ」


 彼方は笑顔で言った。


「リセラ王女から教えてもらったんです。このぐらいの金額でも問題ないって」

「リセラ王女とお知り合いなのですか?」

「はい。前に牢屋に入れられた時に助けてもらったんです」

「牢屋? 英雄のあなたを牢屋に?」


 ベガル村長はまぶたをぱちぱちと動かす。


「その時は、ただのFランク冒険者でしたから」

「…………はぁ。そんなこともあるんですねぇ」


 白いひげに触れながら、ベガル村長は息を吐いた。


「ところで、ベガル村長。この村の警備はどうなってますか?」

「警備…………ですか?」

「はい。南のサダル国もですが、西側には四天王のデスアリス、ゲルガの軍隊がいます。彼らがこの村を襲う可能性があると思います」

「そうですな。自警団の数を増やして、早めに壁を作るようにしましょう」


その時、扉が開いて、エプロン姿の少女が部屋に入ってきた。両手には銀の盆を持っていて、その上に白い陶器のカップが載っている。

 はちみつの香りが彼方の鼻腔に届いた。


 少女は彼方、ミケ、ベガル村長の前に、はちみつ茶の入ったカップを置いた。


「あ、すみません」


 彼方は少女に声をかけた。


「あなたも新しい村に住むんですか?」

「え? わっ、私ですか?」


 少女はぱちぱちとまぶたを動かす。


「両親がモンスターに殺されてしまって…………」

「じゃあ、家族はいないんですね?」

「はい。ひとりですけど、それが何か?」

「確認のためです」


 彼方はカップに手を伸ばしたミケの手を掴んだ。


「ミケ、飲むのは止めて。毒が入ってるから」


 その言葉にミケの紫色の目が大きく開いた。


「にゃーっ! 毒かにゃ!」

「毒が入ってるのは僕のだけだと思うけど、念のためにね」


「彼方様っ!」


 ベガル村長が驚いた顔でイスから立ち上がった。


「このお茶に毒が入ってるのですか?」

「ええ。その子の行動に気になることがあったので、鎌をかけてみたんです。どうやら、間違いなさそうですね」


 彼方は顔を強張らせている少女を見つめる。


「…………まっ、待ってください」


 少女は後ずさりしながら、色を失った唇を動かした。


「誤解です! 私は毒なんて入れてません!」

「じゃあ、飲んでみる?」


 彼方ははちみつ茶が入ったカップを指さす。


「あ…………」


 少女の白い頬がぴくぴくと動いた。


「君、ターゲットの僕と視線を合わせないようにしてたよね? それにカップを置く時、不自然に長く呼吸を止めてた。視線も、ずっとカップに向いてたし」

「それは…………英雄の彼方さんに出会えて緊張してたから」

「たしかに緊張感はあったかな。でも、質が違うように思えたよ。自分の仕事が上手くいくのかどうかを気にしてる感じだった」


 彼方は僅かに首を傾けて、テーブルの向こう側にいる少女を見つめる。


「バレた時のことは考えてなかったのかな? その表情と言い訳だと、反論しにくいと思うよ。家族役も用意してなかったみたいだし」

「…………違います! 私は」


 少女は胸元に両手を当てて、深呼吸をした。


「ミケっ! 離れてて。服に暗器を隠してる!」

「死ねっ! 氷室彼方っ!」


 少女は釘のような形をした暗器を彼方に投げつけた。

 彼方はネーデの腕輪でそれを受けて、テーブルの上にあったカップを少女に投げつける。

 熱いはちみつ茶が少女の顔にかかる。


「くうっ!」


 少女は顔を歪めながら、スカートから短剣を取り出す。

 彼方はテーブルを飛び越え、手刀で少女の手首を叩いた。短剣が床に落ち、少女の体が傾く。

 少女は床に落ちた短剣を拾おうとしたが、その前に彼方が短剣を蹴った。


「もう、諦めたほうがいいよ。もともと、毒殺予定だったんだろ?」

「おのれっ! 氷室彼方めっ!」


 手首を押さえながら、少女は彼方を睨みつける。


「これで勝ったと思うなよっ! 私たちは必ずお前を殺す! 邪神カーリュスに誓って!」

「カーリュス教の信者か…………」


 彼方の眉間に深いしわができた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る