第236話 彼方とキリーネ
「氷室彼方…………どうして、お前がここに?」
キリーネは驚いた顔で彼方に歩み寄った。
「ちょっとサダル国と揉めててね。仲間といっしょに避難してたんだ」
「…………そうか。お前も苦労してるんだな」
「そっちはデスアリスと揉めてるの?」
「ああ。ガラドス様がお前に…………負けたことが知られてな。多くの部下たちが去ってしまった」
「そっか…………。悪いことしちゃったかな」
彼方の言葉に、キリーネは首を左右に動かす。
「いや、この程度のことで離れる奴らが間違っているのだ。ガラドス様の偉大さがわからぬ無能どもめ」
キリーネは白い牙をぎりりと鳴らした。
――相変わらず、キリーネはガラドスを崇拝してるな。
「で、ガラドスは元気なの?」
「もちろんだ。あの方を倒せる者などいない…………とは言わんが」
キリーネは不満げな表情で彼方を見る。
「まあ、デスアリスの部下ごときにガラドス様がやられるわけがない」
「デスアリス本人なら?」
「…………正直、それはわからん」
キリーネの声が重くなった。
「デスアリスはガラドス様が四天王になる前から、ザルドゥ様に仕えていた。何度か会ったことはあるが、底がしれぬ不気味な女だ。そして、お前にとってはガラドス様より、危険な相手になる」
「どうして?」
「あの女は一騎打ちなどしないからな。五万以上の部下を使って、お前を殺そうとするだろう」
「それは困ったな」
彼方はため息をついて、頭をかく。
「敵は増やしたくないんだけどなぁ」
「無理だな。さっきのダズルのようにお前を殺して、名を上げようと考えているモンスターは星の数ほどいる」
キリーネは絶命したダズルをちらりと見る。
「しかも、お前は人間だからな。楽な相手と思われているんだ。本当は常識を越えた存在なのに」
「常識を越えた存在…………か」
「ああ。この世界の理を越えた能力を持っているからな。お前は」
キリーネの眉間にしわが刻まれる。
「…………まあ、そのおかげで助かったが」
「ケガは大丈夫?」
「この程度なら、問題ない。回復呪文が使える部下もいるからな」
キリーネは青紫色の血がついた腕に指先で触れる。
「で、お前たちは、どの辺りにいる。一応、ガラドス様に伝えておかねばならぬからな」
「この近くの湖の側だよ。後、七日ぐらいはいると思う」
「そうか。今更、お前がガラドス様に危害を加えようとするはずもないか」
「うん。そのつもりはないよ」
彼方は胸元まで両手をあげる。
「ガラドスと戦うのは三年後って約束したからね」
「ならば、死ぬなよ。お前を殺すのは我が主、ガラドス様なのだから」
そう言って、キリーネは不機嫌そうに舌打ちをした。
◇
六日後の夜、サキュバスのミュリックが偵察から戻ってきた。
彼方たちは湖に浮かんだ飛行船の甲板で彼女を出迎える。
ミュリックは彼方の顔を見て、ふっとため息をつく。
「んっ? どうしたの?」
「あなたがこれからどうするか、わかってるだけよ」
ミュリックはピンク色の髪をかき上げながら、ぷっくりとした唇を動かす。
「とりあえず、こっちにサダル国の追っ手は来てないわ。南の渓谷に兵士が集まってたから、そこからウロナ村を狙うんでしょうね。橋もしっかりかかってたし」
「一気にウロナ村まで攻める気か」
彼方の脳内にガリアの森の地図が浮かび上がる。
――ウロナ村からヨム国の王都ヴェストリアまで数日の距離だ。そこが落とされたら、ヨム国は厳しい状況になる。
「キルハ城のほうは?」
「五百人ぐらいの兵士たちがいたかな。城の跡地を砦にするつもりみたい」
「五百人か…………」
彼方は親指の爪を口に寄せる。
――カードの力を使えば、なんとかなる数だな。ただ…………。
「ミュリック、他にも報告することがあるんだろ?」
「相変わらず、鋭いわね」
ミュリックが肩をすくめる。
「リシウス山の城で、見覚えのある女を見かけたの」
「…………誰?」
「あなたと仲良しのエルフの女騎士よ」
「ティアナールさんがっ!?」
彼方の声が大きくなった。
「どうして…………あ…………」
「そう。あなたの知り合いだからよ」
ミュリックは彼方に顔を近づける。
「どうやら、ナグチ将軍はティアナールを人質にして、あなたに言うことを聞かせようって考えてるみたい」
「ヨム国の情報屋が、僕とティアナールさんが知り合いってことを漏らしたのか」
「しかも、親密な知り合いってね」
「でも、どうやって、ティアナールさんをさらったんだ?」
「それはわからない。でも、方法はいくらでもありそうだけどね」
「…………」
彼方は唇を強く噛み、両手をこぶしの形に変えた。
――そういう手を使ってくる可能性は考えてた。でも、ティアナールさんを狙ってくるのは予想外だったな。
淡い金髪をなびかせて微笑むティアナールの姿が彼方の脳裏に浮かぶ。
「…………ミュリック」
「わかってる。リシウス城の内部の情報も調べてきたから。牢屋の位置もね」
「僕がティアナールさんを助けに行くと思ってたんだ?」
「もちろん。あなたが仲間を大切にすることは、よーく、わかってるから」
そう言って、ミュリックは、もう一度、ため息をついた。
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