第191話 風俗街

 その日の深夜、彼方は西地区の裏通りにある風俗街に向かった。

 色のついたガラスと光る石を組み合わせた街灯が通りをピンク色に染めていて、道の左右には胸元が開いた服を着た女たちが立っている。


「あら、可愛い坊やね」


 赤いドレスを着た二十代の女が白い手で彼方のアゴを撫でた。


「お姉さんと遊ばない。あなたならリル金貨一枚でいいわよ」

「すみません」


 彼方はぎこちなく笑いながら、頭を下げた。


「それなら私はどう?」


 猫の耳を頭に生やした十代の少女が彼方に体を寄せた。


「ふわふわのしっぽで、こちょこちょして、あ・げ・る」

「いや、もう決めてる相手がいるんです」

「じゃあ、私が二人目でいいでしょ? 若いんだし、二回ぐらい大丈夫だよね」

「い、いや…………僕は…………」

「サービスしてあげるから。リル金貨一枚で天国にいけるんだよ」


 彼方に胸をこすりつける少女の背後から、ピンク色の髪の女が現れた。女は金色の首輪をしていて、体のラインがわかる黒い服を着ていた。

 女は猫耳の少女の肩を軽く叩く。


「はい、どいて。その子は私に用があるの」


 女――人間に化けているサキュバスのミュリックは両手を彼方の首の後ろに回して、体をぴったりと寄せる。


 周囲にいた女たちが、ため息や舌打ちをして彼方から離れていく。


「で、どこの宿屋でする?」

「そんな用件じゃないよ」

「…………まあ、わかってたけどさ」


 ミュリックは不満げに頬を膨らませる。

「それで、今度は私に何をやらせるの?」

「少し調べてもらいたいことがあるんだ。たしか、君の客の中にゴード宰相の血縁がいるって言ってたよね」

「あーっ、クルト子爵のことね」


 ミュリックはポンと手を叩く。


「あの男はいい客よ。たっぷりとお金もくれるし」

「情報は引き出せそう?」

「もちろん。ベッドの上では男の口は軽くなるから」


 ピンク色の舌を動かして、ミュリックは妖しく微笑する。


「それで、どんな情報を知りたいの?」

「実は…………」


 薄暗い路地で、彼方はミュリックに事情を説明した。


 話を聞き終えたミュリックは胸元を寄せるようにして腕を組んだ。


「ふーん、たしかに何かありそうね」

「エルフィス王子が言ってたんだ。ゴード宰相にも話をしてるって。だから、その血縁に情報が漏れてるかもしれない」

「わかった。調べておく。でもさ」

「でも、何?」

「情報なんて気にする必要あるの? あなたなら、国王を殺して、この国を乗っ取ることだってできるでしょ?」


 ミュリックは紫色の瞳を彼方に近づける。


「災害レベルの上位モンスターを何体も召喚できるし、魔神を消滅させる呪文も使える。それに国宝レベルの武器や防具だって具現化できる。これだけの力があれば、ガリアの森どころか、ヨム国全体を手に入れることができるし」

「そんなことを僕が望んでると思ってるの?」

「思ってないから、いらつくのよ!」


 ミュリックはピンク色の眉を吊り上げて、金の首輪を指先で叩く。


「彼方は私のご主人様なんだから、もっと上を目指してよ」

「男爵になっただけで十分かな」


 彼方はふっと笑みを漏らす。


「本当は爵位なんていらないんだけどね。家が手に入るだけでよかった」

「家って、城ってこと?」

「ただの家だよ。それがあれば毎日の宿代がいらなくなるからね」

「ほんと、欲がなさすぎ。異界人って、これが普通なの?」

「元の世界にも金や権力が欲しい人はいっぱいいたよ。そのことで戦争が起きることもあったし」

「じゃあ、あなたが変わってるってこと?」

「そうなるかな」

「…………はぁ」


 ミュリックはがっくりと肩を落とした。


「せっかく、ザルドゥ様以上の存在に仕えることができたのに…………」

「仕えることが君の幸せなら、情報集め、よろしく頼むよ。それに僕が死んだら、君もマジックアイテムの首輪の効果で死んじゃうんだから」

「わかってるわよ!」


 ミュリックは短く舌打ちをした後、じっと彼方を見つめる。


「んっ、何?」

「ねぇ、部下には仕事だけじゃなくて、褒美も与えるべきじゃない?」

「お金が欲しいの?」

「お金じゃないわよ。私が欲しいのは…………最強の力を持つあなたってこと」


 上唇を舐めながら、ミュリックは彼方の左胸に手を添える。


「せっかく、風俗街に来たんだからさ。楽しんでいこうよ。私、この風俗街でトップクラスの評価レビューをもらってるの。まあ、サキュバスだから、当たり前のことだけどね」

「いや、そんな気分じゃないし」

「あなた、いつだって、そんな気分になったことないでしょ!」


 ミュリックは強い口調で彼方を批難する。


「これだけ、サキュバスの誘いを断るなんて、ありえないから」

「やることが他にもいっぱいあるからね」

「じゃあ、一区切りついたら、そういう気分にもなるの?」

「…………多分ね。君は魅力的だし」

「えっ? ほんとに?」


 ミュリックの瞳が輝いた。


「そりゃあ、僕だって男だからさ。君みたいに綺麗な女の人から迫られたら、どきどきするよ。でも、今は身の危険を感じる状況だから」

「身の危険か…………」

「だから、そういうことを考えるのは落ち着いてからかな」


 彼方はミュリックの肩に触れて、にっこりと笑う。


「君は外見だけじゃなく、頭もいいからね」

「あっ、頭がいい?」

「うん。ミュリックなら、僕の知りたい情報を手に入れてくれるはずだし」

「まっ、まかせといて」


 ミュリックは細い腰に手を当てて、ぐっと胸を張る。


「私が役に立つってところを見せてあげる」

「うん。期待してるからね」


 気合が入っているミュリックを見て、彼方の口角が吊り上がった。


 ――ミュリックって、意外と扱いやすいな。マジックアイテムの首輪で裏切ることもないし、これからも、どんどん働いてもらうか。

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