第183話 始まり(4巻部分開始)

 ヨム国の王都ヴェストリア北地区にある病院で、彼方は魔法医のマハザと話をしていた。

 マハザは七十代の老人で白いひげを長く伸ばしていた。


「うーん、まさか、こんなに早く治療代を持ってくるとは…………」


 木製の机の上に並べられた金貨三百枚を見て、マハザは唸るような声を出した。


「どうやって貯めたんじゃ?」

「怪しいお金じゃないので安心してください」


 彼方は腰に提げていた短剣に触れる。


「上位モンスターを狩って、装備してたマジックアイテムの武器を売ったんです」

「Fランクの君が上位モンスターを?」


 マハザは驚いた顔で彼方を見つめる。


「運がよかったんです」


 にっこりと彼方は笑った。


「それで、七原さんの手術のことですが…………」

「わかっておる。すぐに必要な秘薬を集めよう」


 マハザは彼方の背後にいた香鈴に視線を向ける。


「香鈴…………だったかな?」

「は、はいっ!」


 香鈴はぺこりと頭を下げた。


「君には今日から入院してもらう」

「今日から?」

「そうじゃ。手術の前にも、いろいろやらなければならないことがあるからな」

「…………何日ぐらいですか?」

「手術前に十日、手術後に十日ってところじゃな」


 マハザは緑色のつると葉に覆われた香鈴の右手をじっと見つめる。


「時間もかかるし痛みもある。それに治すには本人の強い意志も重要じゃぞ」

「大丈夫です」


 きっぱりと香鈴は言った。


「彼方くんが集めてくれた大切なお金だから、私、絶対に元気になります!」

「…………うむ。それでいい」


 マハザは香鈴に近づき、その頭を優しく撫でた。


 ◇


 彼方が病院を出ると、獣人と人間のハーフのミケがしっぽを振りながら走り寄ってきた。


「彼方っ! 香鈴は治ったかにゃ?」

「すぐには難しいみたいだ」


 彼方は猫の耳が生えたミケの頭を撫でる。


「二十日ぐらいかかるそうだよ」

「にゃっ! それは大変にゃ」

「うん。でも、七原さんは絶対に元気になるって言ってたよ」

「さすが期待の新人冒険者にゃ。根性が違うにゃ」


 ミケは胸元で腕を組んで、うんうんとうなずく。


「でも、二十日も香鈴がいなくなるのは痛いのにゃ。回復屋さんで稼ぐこともできないのにゃ」

「まあ、冒険者ギルドに行けば、何か仕事が見つかると思うよ」


 彼方は街並みを見回す。


 ――北地区にも冒険者ギルドはあるはずだけど、いつも利用してる西地区のほうがいいか。あっちには受付のミルカさんもいるし。


 腰に提げている魔法のポーチをちらりと見る。


 ――手持ちは金貨一枚とリル金貨三枚、銀貨四枚か。日本円で考えるなら、十三万四千円か。これで宿代と食費二十日分ぐらいはある。とはいえ、これからこの世界で生きていくのなら、もっと稼いでおかないと。


 ――ヴァルネーデのデメリット効果(新たなカードを三日間使用することができない)は解消されてるけど、ネフュータスとの戦いで、だいぶカードを使ってしまったからな。軽めの依頼を受けておくのが無難か。


 その時、背後から誰かが彼方の肩を掴んだ。


 振り返ると、そこにはエルフの女騎士ティアナールが立っていた。


「捜したぞ、彼方」


 ティアナールは緑色の瞳で彼方を睨みつけた。


「どうして、勝手に王都に戻った? 私はお前をずっと捜してたんだぞ!」

「あ…………すみません」


 彼方は寝癖のついた髪の毛に触れながら、軽く頭を下げた。


「ウロナ村には戻ったんですが、ティアナールさんが見つからなくて」

「ああ。それは北の盆地で全滅していたネフュータスの軍隊の調査に行っていたんだ」


 ティアナールは金色に輝く髪を揺らして、彼方に整った顔を近づける。


「お前だな?」


「…………はい」


 彼方はこくりとうなずいた。


「やっぱり、そうか。まあ、お前ぐらいだろうからな。二万のモンスターを全滅させられる者は」


 ティアナールはふっと息を吐いた後、吸い込まれるような笑顔を見せた。


「今度は私だけではなく、ヨム国を救ったな、彼方」

「僕だけの力じゃありません」


 彼方はゆっくりと首を左右に振った。


「騎士団や冒険者の皆さんが命がけでウロナ村を守ってくれたから、僕がネフュータスを倒すチャンスが生まれたんです」

「…………そうだな。私たちは勝利したんだ。数万のモンスターの大群を倒して」


 ティアナールはこぶしを固めた。


「それで僕を捜してたってって、何か用なんですか?」

「ああ。祝勝会の誘いだ」

「祝勝会…………ですか?」

「そうだ。明後日の夜、白龍騎士団の兵舎でやるんだ。お前も来い」

「僕が行ってもいいんですか?」


 彼方の質問にティアナールがうなずく。


「ああ。ネフュータスのことは気づかれてないが、お前が軍団長のウルエルを倒したところは私の部下たちも見ていたからな。それにリューク団長からもお前を誘えと言われてる。お前がボーンドラゴンを倒したことをウル団長から聞いたようだ」

「あーっ、そうでしたね」

「そうでしたねって…………お前にとってはドラゴンを倒したことなど、たいしたことがないってことか」

「そういうわけではないんですが、あの日はたくさんモンスターを倒したから」


 彼方は人差し指で頬をかく。


「とにかく、お前は参加しろ。美味い飯も食えるぞ」


「ご飯かにゃ!」


 ミケが紫色の瞳を輝かせた。


「ミケも祝勝会に行くにゃ!」

「お前…………彼方とパーティーを組んでる猫耳か」


 ティアナールは自分より数十センチ身長が低いミケを見つめる。


「…………まあ、お前もいいだろう。彼方とパーティーを組んでるようだしな」

「にゃっ! やったにゃあああ!」


 ミケは茶色のしっぽをぶんぶんと振りながら、ティアナールの銀色の鎧に触れる。


「黒毛牛のステーキはあるかにゃ?」

「あ、ああ。多分、出ると思うぞ。コックが用意してた食材に黒毛牛もあったはずだ」

「…………じゅるり」


 ミケはよだれを垂らすような音を自分で出した。


「じゃ、じゃあ、一角マグロはあるかにゃ? 一角マグロの胡椒焼きは美味しいって評判なのにゃ。ミケは食べたことがないにゃ」

「いや、全ての食材を覚えてるわけではないからな」


 ティアナールは苦笑する。


「まあ、料理はたくさんあるから、好きなだけ食べるといい」

「やったにゃああああ!」


 ミケは頭部の耳としっぽを動かして、変なダンスを踊り始めた。

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