第142話 単独行動
ウロナ村の南西にある森の中を彼方はひとりで歩いていた。
幹回りが十メートル近くある木の横を通り抜け、きょろきょろと周囲を見回す。
木の枝の上にいたピンク色の毛のリスがつぶらな目で彼方を見つめている。そのしっぽは長く二つに分かれていた。
――初めて見る生物だな。リス…………でいいのかな。危険はなさそうだけど、一応、離れておくか。
彼方はそっとリスのいる木から離れた。
数十メートル程進むと、斜面の下方で何かが動いた。
彼方は素早く頭を下げて、ゆっくりと前に進んだ。
そっと目の前の野草をかき分けると、三匹のオークの姿が見えた。中央にいるオークは他の二匹より大きく、背丈は二メートル以上あった。赤茶色の鎧を着ていて、その手には刃が青白く輝く斧が握られていた。
そのオークがキバの生えた口を開く。
「どこだ? どこに逃げた? 出てこい!」
オークは片手で斧を振り回す。周囲の木々が切り倒され、枝の上にいたピンク色のリスたちが逃げ去っていく。
――誰かを捜しているのか?
その時、茂みの奥から幼い子供の悲鳴が聞こえた。
「そこかっ!」
オークは茂みの中に隠れていた五歳ぐらいの女の子を片手で持ち上げた。
「やっ、やあっ!」
女の子は手足をばたばたと動かすが、オークから逃れることはできない。
「まっ、待ってください!」
木の陰から四十代の痩せた男が現れた。男は女の子を持ち上げているオークの前でひざまずいた。
「娘…………マユにひどいことしないでください」
「おっ、男のほうも出てきてくれたか。これは楽でいいな」
オークはにやりと笑った。
「安心しろ。今はお前らを殺さない」
「い、今は?」
「ああ。ウロナ村の情報も聞きたいし、喰うのは夜にしてやる」
「あ…………」
男の顔が一瞬で青ざめた。
――ネフュータスの部下のようだな。ウロナ村の情報を知りたがってるし。
――で、あのリーダーが上位モンスターか。マジックアイテムの武器を持ってるし、他のオークより、だいぶ強そうだ。
「とりあえず、あの親子を助けるか」
彼方は意識を集中させて、呪文カードを選択する。
◇◇◇
【呪文カード:六属性の矢】
【レア度:★★★(3) 六属性の矢で対象を攻撃する。再使用時間:10日】
◇◇◇
彼方の上部に六本の輝く矢が出現した。矢は、赤色、青色、緑色、黄土色、黄白色、黒色で周囲がぼんやりと輝いていた。
彼方は視線を三匹のオークたちに向ける。宙に浮かんでいた六本の矢がひゅんと音を立てて、オークたちの背中に突き刺さった。
一体のオークは上半身が燃え上がり、下半身が白く凍り付いた。もう一体は緑色の矢が背中から心臓を貫き、無言で倒れた。
――残りはリーダーだけか。
彼方は短剣を引き抜き、オーク――リーダーに走り寄る。
「おっ、お前っ!」
リーダーは女の子から手を離し、彼方に向き直った。その背中には数本の矢が突き刺さっている。
「ウロナ村が雇った冒険者かっ!」
「違うよ!」
彼方はそう返事をしながら、低い姿勢からリーダーの右足を狙って短剣を振る。
シュッと音がしてリーダーの茶色の毛が赤く染まった。
「つっ! 舐めるな!」
リーダーはマジックアイテムの斧を斜めに振り下ろした。
彼方は上半身を捻って、その攻撃をかわす。
――なかなか耐久力があるな。属性つきの矢が突き刺さっているのに。さすが、上位モンスターってところか。
――だけど、この程度じゃ僕には勝てない。
リーダーが斧を振ると同時に、彼方は意識を集中させる。青白く輝く刃を避けながら、リーダーの背後に回り込む。同時に新たな呪文カードを選択した。
◇◇◇
【呪文カード:ダークボム】
【レア度:★(1) 属性:闇 対象に闇属性のダメージを与える。再使用時間:1時間】
◇◇◇
黒い球体が斧を持つリーダーの手に当たった。
「がああああああっ!」
リーダーは悲鳴をあげて、斧を落とす。
その斧を彼方が拾おうとする動きをする。
「ぐっ…………させるか!」
リーダーはダメージを受けてない手で斧に触れる。
――ぬるいな。こんな手に引っかかるなんて。
彼方は頭を下げているリーダーのノドに短剣を突き刺した。
「あがっ…………がっ…………」
リーダーはノドから血を噴き出しながら、ゆらゆらと上半身を揺らす。
「お…………お前は…………ごっ…………」
彼方を睨みつけたまま、リーダーは前のめりに地面に倒れた。
リーダーの死を確認して、彼方は呆然と地面に座り込んでいる親子に近づいた。
「大丈夫ですか?」
「あ…………は、はい」
痩せた男が何度も首を縦に振る。
「ありがとうございます。私はエタン。香草を採ってたらモンスターに出くわしてしまって」
「香草ですか?」
「はい。私はウロナ村でパン屋を営んでいるんです。この辺りにモンスターはいないと思ったんですが」
「今は気をつけたほうがいいですよ。ネフュータスの軍の別働隊が動いてるみたいですから」
「そうですね。これからは気をつけます」
「お兄ちゃん、ありがとう」
女の子が舌足らずな声で彼方に礼を言った。
「マユは五歳なの」
「マユちゃんか。僕は彼方。氷室彼方だよ」
彼方は笑顔で女の子の頭を撫でる。
「あっ、あのぉ、彼方さんはどうしてこんなところに? イラヒ村長が雇った冒険者じゃないんですよね?」
「はい。僕はモンスター狩りをしてただけです」
「モンスター狩りを?」
エタンは彼方のベルトにはめ込まれた茶色のプレートを見る。
「Fランクなのに単独でモンスター狩りとは…………」
「お金が必要なんです」
彼方は笑いながら、落ちていたマジックアイテムの斧を拾い上げる。
――マジックアイテムの武器なら、いい値段で買い取ってもらえるからな。この調子で、稼いでいくか。
「彼方さん」
エタンが彼方の上着を掴んだ。
「今夜はどこに泊まられるんですか?」
「森の中で野宿しようと思ってます」
「それなら、うちに来てください!」
エタンは真剣な表情で彼方に顔を近づける。
「たいした金額ではありませんが、お礼もお渡ししますから」
「いえ、気にしないでください。護衛の依頼を受けてたわけじゃないから、ただの人助けですよ」
「いえ。せめて、それぐらいはさせてください。あなたは命の恩人なのですから」
「…………うーん」
彼方は困惑した顔で頭をかいた。
「彼方お兄ちゃん」
マユが小さな手で彼方を握る。
「マユのお家に泊まろうよ。夜のお外は寒いんだよ」
「…………寒いかぁ」
彼方は、ぱっちりとした目で自分を見上げているマユを見つめる。
――ウロナ村の状況を確認しておくのも悪くないか。
「じゃあ、マユちゃんのお家に泊まらせてもらおうかな」
彼方の言葉に、マユは笑顔で飛び跳ねた。
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