第108話 危険な遭遇
翌日、彼方は街外れにある宿屋のベッドに体を投げ出していた。
既に昼を過ぎていて、窓の外からは通りを歩く人々の喧噪が聞こえてくる。
――本当に、朝まで模擬戦をやることになるとは…………。
彼方はまぶたを半分閉じた目で、あざができた左腕を見つめる。
――それにしても、さすがAランクのユリナさんだ。訓練を見てたから、戦いの癖は掴んでたけど、何度か戦ってるうちに修正かけてきたし。才能ある人間が長い時間、訓練を積めば、あそこまで強くなれるってことか。
「Sランクのユリエスさんは、もう一ランク強いんだろうな」
そうつぶやきながら、大きくあくびをする。
――とはいえ、魔神ザルドゥのほうが、はるかに強かった。あいつに勝てたのは運がよかったのもあるな。
彼方はぎゅっと両手のこぶしを握り締める。
――前の世界じゃ、本気で何かを学ぼうなんて考えてなかった。でも、この世界じゃ、生きるために、自分の大切な仲間を守るために、もっと強くならないとな。
その時、簡易な扉のカギがかちゃりと開き、踊り子風の白い服を着た女が部屋に入ってきた。
女はピンク色の髪を揺らして、彼方に歩み寄る。
そして、躊躇なく彼方のベッドに潜り込んだ。
「何やってるの? ミュリック」
彼方は女の名前を口にした。
女――ミュリックは彼方に体を寄せて、ピンク色の舌を動かす。
「いや、報告があったから…………」
「報告なら、ベッドに入らなくてもいいだろ?」
「でも、せっかくだし、ご主人様と仲良くなっておこうと思ってさ」
ミュリックが彼方の耳元に唇を寄せる。
「マジックアイテムの首輪のこともあるし、私も覚悟を決めたの。あなたといっしょに、この世界を手に入れるって」
「世界を手に入れる?」
「ええ。ザルドゥ様を倒したあなたなら、ジウス大陸を支配することができるでしょ? とんでもなく強いモンスターを召喚してたし、あの魔法陣の呪文もあるし」
「できるかどうかは別にして、そんな気はないよ」
彼方は横たわったまま、右手でミュリックの体を押しのける。
「生きていくためにお金は欲しいし、住む家も手に入れたいけど、大陸の支配者になるつもりはないな」
「えっ? どうして?」
不思議そうな顔をして、ミュリックは彼方に質問する。
「ジウス大陸の支配者になれば、一生お金に困らないし、豪華な城にだって住める。食べ物も女も山のように手に入るんだよ」
「その代わり、敵も増えるし、苦労も多くなるよ。目立つのは苦手だし、僕はほどほどで十分かな」
「…………ほんと、変わってるわね。これだけ強いのに欲がないし」
「僕だって、欲はあるよ。美味しいものを食べたいし、安定した生活も送りたいかな」
「女はどうなの? ハーレムを作りたいなんて思わないの?」
「うーん…………」
彼方はミュリックの顔をじっと見つめる。
「女の子に好かれたいって気持ちはあるよ。でも、ハーレムはいいかな。特に立場を利用して、もてても意味ないし」
「…………ふーん。やっぱり、あなた、面白い」
「そんなことより、報告って、七原さんのことがわかったの?」
「クヨムカ村に、黒髪の女の子の異界人がいたって情報があったの」
「クヨムカ村?」
「ガリアの森の中にある村だよ。カカドワ山のふもとにある小さな村ね。王都がここだと…………このへんかな」
ミュリックは彼方の胸元に指先で地図を描く。
「あくまでも情報だし、その子が七原香鈴かどうかはわからないけどね」
「クヨムカ村か…………」
彼方は口元に親指の爪を寄せる。
――自分の目で確認しておきたいな。カカドワ村は、多分、クリスタルドラゴンに乗った時に見た山だろうから、そこまで遠くはないし。
「ねぇ…………」
ミュリックは体をくねらせて、彼方の足に自らの足をからめる。
「私、あなたのことが気に入ったの。だから、仲良くならない?」
「仲良く?」
「意味わかるでしょ? こんな首輪じゃなくて、あなたと繋がっていたいの。心も体も」
ミュリックの紫色の瞳が揺らめき、半開きの唇から甘い息が漏れる。
「大丈夫…………私にすべてまかせて」
その時、コンコンとノックの音がして、部屋の扉が開いた。
「あ…………」
彼方の瞳に、怒りに体を震わせているエルフの女騎士ティアナールの姿が映った。
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