第89話 脱出

 彼方は壁際に倒れているモーラに近づいた。

 モーラは目を見開いたまま、死んでいた。


「止めを刺す必要はなかったか…………」


 視線を動かすと、ザックの死体の前に立っているレーネの姿が見えた。

 彼方は唇を強く結んでレーネに歩み寄る。


「レーネ…………大丈夫?」

「…………うん」


 レーネはザックを見下ろしたまま、暗い声を出した。


「ザックはバカでお調子者だったけど、いいところもあったの。仲間思いだったし、何度も戦闘で助けられた」


 レーネの視線が十数メートル先で息絶えているムルに移動する。


「ムルは無口で優しかったよ。恋人に指輪をあげるために、お金を貯めてた」

「長くパーティーを組んでたの?」

「一年ちょっとだよ。新人の私をザックが誘ってくれたの」

「…………そっか」

「冒険者やってたら、仲間が死ぬことは覚悟しておかないとね。でも、今日が、その日とは思わなかったな。しかも二人ともなんて…………ね」


 レーネの瞳が潤み、涙が頬を伝う。

 小刻みに体を震わせているレーネの隣で、彼方はまぶたを閉じた。


 ――ザックさん、ムルさん。助けられなくてごめんなさい。僕がもっと早く、最下層に戻ってこれてたら…………。


 彼方の手のひらに爪が食い込み、痺れるような痛みを感じた。


 ――アルクさんも、他の冒険者たちも助けることができなかった。モーラが裏切り者だと早くから気づいていれば、こんな結果にはならなかったかもしれない。


 黒焦げになった多くの死体を見て、彼方の表情が歪む。


 ――落ち込んでる場合じゃない。ダンジョンの中には、蜘蛛たちがいるし、ネフュータスが戻って来る可能性もある。早めに脱出しないと。


「ピュート」

「は、はい」


 ピュートが彼方に駆け寄ってくる。


「君はケガしてない?」

「少し左手を火傷しました。でも、問題ないです。ちゃんと動くです」

「じゃあ、みんなのプレートを集めてくれるかな。レーネとミケは休ませてあげたいから」

「わかったです」


 彼方とピュートは死んだ冒険者たちのプレートを集め始めた。


 ◇


 四時間後――。


 長く細い階段を上ると、そこには、今までと違う金色の扉があった。


「ここが出口かにゃ?」


 ミケが前にいた彼方に質問する。


「多分ね。イリュートがそう言ってたし、罠の可能性は低いと思う」


 彼方は警戒しながら扉を開く。

 冷たい風が彼方の頬に当たり、瞳に巨大な月が映る。


「外だ…………」


 周囲を見回すと、そこは森の中だった。

 月の光を反射した森クラゲが、ふわふわと周囲に浮いている。


「出られたんですね」


 ピュートがウサギの耳を動かして、深く息を吸い込む。


「でも、ここはどこなんでしょうか?」

「ダンジョンの近くの森のはずだよ」


 彼方は数十メートル先に見える崖を指差す。

「あの崖は見覚えがある。あの下にバーゼルたちがテントを張ってたはずだから」

「どうするですか?」


「殺すに決まってるでしょ」


 彼方の代わりにレーネが答えた。


「あいつらはザックとムルを殺した。絶対に許さないから」


 レーネはぎりぎりと歯を鳴らす。

 怒りで体を震わせているレーネの肩を彼方が掴む。


「レーネ…………落ち着いて」

「落ち着けないよ! あいつらはザックとムルの仇なんだよ。それだけじゃない。アルクだって、他の冒険者だって」

「わかってる。でも、カーリュス教の信者たちは、まだ二十人以上は残ってるはずだ。それにネフュータスが戻ってくるかもしれない」

「このまま、あいつらを見逃すってこと?」

「無理に戦う状況じゃないからね」


 彼方はテントのある方向に視線を向けた。


「ピュートもケガをしてるし、僕の回復呪文も当分は使えない。危険は避けるべきだよ。バーゼルは、もう終わりなんだし」

「終わりって、どういう意味?」

「僕たちが冒険者ギルドに報告すれば、バーゼルは犯罪者になるからね。二度と王都には戻れない。それに…………」

「それに、何?」

「僕たちが殺さなくても、多分…………」


 彼方は深く息を吐いた。

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