第20話 ティアナールの決意

 ティアナールが目を覚ますと、そこは白龍騎士団の医務室だった。


「ここは…………」


 ベッドから上半身を起こして周囲を見回す。医務室の中に人の姿はなく、白いカーテンが穏やかな風に揺れている。

 視線を自分の体に落とすと、服が寝衣に着替えさせられ、手足の傷が手当されていることに気づいた。


「私は…………助かったのか?」


 そのつぶやきが聞こえたのか、扉が開き、ティアナールの弟のアルベールが姿を見せた。


「姉上! お目覚めになりましたか」


 アルベールはティアナールに歩み寄り、薄く整った唇を動かす。


「姉上がモンスターに攫われたと聞いた時には、二度と会えないと覚悟しておりましたが、どうやって王都まで戻って来れたのですか?」

「やはり、ここは王都なのか?」


 アルベールの質問を無視して、ティアナールがつぶやく。


「姉上、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。心配かけたようだな」


 ティアナールは、頭を押さえて立ち上がる。


「少し体が重いが、なんとか動けるようだ」

「本当によかった。このまま、意識が戻らないようだったら、父上と母上にどう報告してよいかと思案しておりました」

「そうだな。まあ、私自身も生きて戻って来れるとは思っていなかった。ザルドゥが支配するダンジョンからはな」

「そんな場所に捕らわれていたのですか?」

「ああ。正直、絶望していた。モンスターの餌になると覚悟もした。だが…………あの少年が…………あっ!」


 ティアナールは口元に白い手を寄せた。


「そうだ! 彼方っ、彼方はどこだ?」

「彼方?」

「私といっしょに行動してたんだ。ガリアの森を二人で歩いていて、そこで意識がなくなって…………」

「ああーっ、彼方とは、あの異界人のことですか?」

 

 アルベールが胸元で手を合わせた。


「んっ? お前、彼方と会ったのか?」

「はい。姉上を王都に連れて来たのはあいつです」

「そうか。彼方が…………」

「ですが、あいつ、バカなことを言ってました」

「バカなこと?」

「ええ。ザルドゥを倒したと言ったんです」


 アルベールは肩をすくめて、ふっと息を吐いた。


「きっと、頭を強く打ったのでしょうな。それとも、転移する前からバカだったのか」

「…………それで、彼方はどこに?」

「それはわかりません。あいつ、私が腹を蹴ったら、無様にしりもちをついていましたよ」

「…………蹴った? 彼方を蹴ったのか?」


 ティアナールの質問に、アルベールは笑顔で「はい」と答える。


「なんてことを…………」


 ティアナールは青ざめた表情で唇を震わせる。


「アルベール…………」

「何でしょう? 姉上」

「このバカっ!」


 ティアナールは平手でアルベールを叩いた。

 パシンと大きな音が医務室に響く。


「あ…………」


 呆然とした顔で、アルベールはティアナールを見つめる。


「…………どうして、私が叩かれるのですか?」

「叩かれるようなことをしたからだっ!」


 ティアナールは金色の眉を吊り上げて、アルベールを睨みつける。


「彼方を蹴っただと? 何故、そんなことをする?」

「それは、あいつがザルドゥを倒したと言ったからで」

「ウソと決めつけたのか?」

「ウソに決まってるじゃないですか。あいつがザルドゥを倒せるわけがありません。いや、ザルドゥを倒せる者など、いるはずがない!」


 アルベールの声が大きくなる。


「姉上、どうしたんですか? 本気であいつがザルドゥを倒したと思ってるんですか?」

「私はこの目で見たんだ。彼方が呪文でザルドゥを倒すところを」

「バカなっ! そんなこと…………」

「できたのだ」


 ティアナールは右手で顔を覆った。


「彼方はただの異界人ではない。お前も聞いたことがあるはずだ。異界人が強力な武器や防具を持っていることがあると」

「しかし、それはめったにないことです。しかも、奴は何も持ってませんでした。武器や防具どころか、麻袋さえ持ってなかったのです」

「彼方は何もないところから、剣を出すことができるんだ」

「えっ? 具現化能力があると?」


 アルベールはぱちぱちとまぶたを動かす。


「ああ。彼方は強力な呪文も使えるし、剣を何本も具現化することができる。それに召喚呪文も使えるんだ」

「はぁ? それではあいつは召喚師なのに強力な呪文が使えて剣で戦う? そんな人間がいるはずありません」

「事実だ!」


 ティアナールのこぶしが硬くなった。


「彼方は具現化した剣を使いこなし、戦闘能力のあるメイドとアンデッド、機械仕掛けの少女を召喚し、高位の呪文でザルドゥを倒した」

「そんなバカな…………」

「信じられないのは理解できる。だが、現実に私は生きてここにいるではないか。ザルドゥのダンジョンから逃げ出せた者などいなかったのに」

「それは…………」

「まあ、いい。とにかく、彼方を捜せ」

「何故ですか?」

「彼方は私を助けてくれて、どういう手段かわからないが王都まで運んでくれたんだ。その礼をせねばならん」

「それなら、安心してください」


 アルベールの声が明るくなった。


「奴には銀貨を一枚渡しておきました」

「…………銀貨だと?」

「はい。銀貨を一枚」

「…………そうか」


 ティアナールの体がわなわなと震え出した。


「お前にとって、私の命の価値は銀貨一枚なんだな」

「い、いえ。そんなことは…………」

「もういいっ! とにかく彼方を捜して、土下座して詫びてこい! それまではお前と話す気はない」

「姉上…………」

「さっさと行け!」

「は、はいっ!」


 アルベールは脱兎の如く、医務室から飛び出していった。


 扉が閉まると、ティアナールはため息をついてベッドに腰を下ろした。

 窓から吹き込む風が、ティアナールの金色の髪を揺らす。


 ――アルベールだけでは心許ない。私も彼方を捜そう。きっと、王都のどこかにはいるはずだ。


「絶対に見つけてやるからな。彼方」


 彼方の名をつぶやいた時、ティアナールの尖った耳が赤くなり、鼓動が微かに速くなった。

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