世界が消えた

@zitsuzai

2009年10月01日

世界が消えた



 気がついたころには、もう遅かった。俺の世界は消えていた。とっくの昔に。

 この感覚を俺はうまく言葉で伝えられるだろうか。

 ただわかるのはきっとほとんどの大人たちは気付くこともなくすでに世界を失ってしまっているということだ。逆にすべての子供は世界を持っている。失う時期は人それぞれだが、だいたい思春期の、性に本格的に目覚めるころから、世界は急速に消滅していく。僕が世界を失ったのも、そのころだった。中学二年のある夏の日、夕方に目を覚ました俺はそのどうしようもない違和感に気が付いてしまった。それから俺はもうずっと世界を喪失したままである。おそらくどこを探しても俺が失ってしまった世界は見つからないだろう。


  単純に言えば、俺は友達がほしかった。いくら論理的にねちねちと理由づけしてごまかしたところで、結局は孤独をどうにかしたかったのだろう。俺はいつも孤独にとらわれていた。その日も孤独に両肩を圧迫され、凝り固まった頭をもてあましながら、渋谷の街を一人でさまよっていた。学校帰りで暗くなり始めていた。

 もしかしたらこの今の空っぽな世界を埋めてくれるものに出会えるかもしれないという、冷静に考えればかなうはずもない希望を捨て切れなかった。

 俺は一人だった。

 すれ違う駅前のホームレスの集団でさえ、うらやましく目に映った。それはまるで段ボールの集落だった。一列に細ながい、どれも一階建ての住宅地。そこには色黒な肌のホームレスたちが横たわっていた。なんだか彼らが親密な家族たちのように目に映った。俺は寝ているのか、起きているのかわからない彼らに半ば媚びるようにして一礼しつつ通り過ぎた。

 モヤイ像広場は近くにあるはずなのに、なかなか見つからなかった。俺はモヤイ像広場を目指していた。そこのオフ会に参加するつもりだった。携帯のGPSを何度も確認してやっとたどり着くと、すぐにそれらしい集団を見つけた。すでに俺は緊張していた。それでは負けてしまうのに。

 そこにはすでに男2人、女1人が集まっていた。

 「〇〇さんですか?」

 中年の太ったメガネのOL風の女性が俺に確かめた。〇〇というのはネット中の使い捨ての便宜上の名前で、俺はうなづくと、挨拶もせずに第一声でトイレの場所を聞き、トイレに向かった。緊張していた。トイレでは見知らぬ人に「お前は手をあらわないのか」と注意しているおやじに驚いた。

 戻ると彼らの横にちょこんと腰かけた。1分もしないうちに俺にはここに居場所がないと感じた。初めて来たのだからあたりまえだと思うかもしれないが、何か悟るようなあきらめの感覚があった。

「特撮っていいですよね」

横の二人、さっきのOLと中年の男が親しそうに特撮ヒーローものについて話していた。

少しだけ話を振られたが、俺は興味もあまりなく、受け答えもたじたじだったので、すぐに触れられなくなった。

 俺たち三人の前にはもう一人、ギターを横に置いたバンドマン風の男がいて、彼はひたすら携帯ゲーム機に打ち込んでいた。俺もカバンから本を取り出して、頭には入らなかったが、読んでいるポーズをとった。

「こんな話、会社ではできないんですよ」OLが男に笑って言うと

「そうだろうね」と中年男も笑って相槌を打っていた。どうやらこの二人は顔見知りのようだった。

 少しして、他にもメンバーが集まった。リリー・フランキーを彷彿させる長髪に帽子の男、常にニタニタした下品な背の低いサラリーマン、おしゃれなイケメン・・。すぐに彼らはみんなすでに顔見知りであることが分かった。居心地は良くなかった。俺は一人影の後ろにいるみたいだった。そのほとんどが喫煙者で、俺はタバコの煙に包まれて、身動きがとれず、息苦しさをこらえていた。

 低身長のサラリーマンが主に話していた。高めの大きな声で、下品なギャグを連発していた。きっと俺だけが、うまく笑えていなかった。

 そこにはすでに世界が出来上がっていた。俺の考える、もともとの意味での世界とはもちろん全く比較にならないほど価値のないものだけれど、確かにそこには一種の共有空間ができていた。俺はその外側で、うしろめたくただ座っていた。

 長髪の男が映画を作っているとわかった。俺も映画を製作するサークルに所属していたので、少し興味がわいた。長髪を特に観察するようにした。彼が特にその集団の中で、自信ありげな印象だった。

 一方で、俺はあまりにもみじめだった。


 ひとり、また一人と抜けていく中で、俺もその集団と別れた。孤独はさらに深まっていた。まるで自分の無力感を再認識させられたかのような絶望感に襲われた。無性に苛立って、駅の柱を蹴りたい衝動に駆られた。でも、そんなことはできず、ただ目的があるように外には見せかけて歩くしかなかった。平凡に生きる自分を意識してぞっとした。逃げたい。世界へ。世界のある場所へ。世界は本当に消えてしまったのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界が消えた @zitsuzai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る