第10話 「アンハッピー・バースデー」
ゴリラの握力は成人男性の約10倍とされている。中でもグラウアーゴリラはゴリラ種最大の大きさと握力を誇る。
パイナップルですら片手で粉々にしてしまう。握力は脅威とも言えるが、繁殖期での凶暴さを除けば、彼らは比較的大人しい生物なのである。
クマには色々と優れている部分が多い。
走る速さは時速64キロメートルにもなるし、
嗅覚は人間の100倍にもなる。
熊もゴリラと近しく、自分の子供を守ろうとして人間が襲われたという例が多かったらしい。
西暦時代に、森林が人の手によって奪われ
食糧難になってしまったことも一因になっていたのかもしれない。
そんな二種類の、生息地すらも決して交わる事のない生物が、一つの禁忌となって世に誕生してしまったのは、果たして祝福すべきかはたまた嘆き悲しむべきなのか。
それは戦士達にも、ゴリラックマ自身にもわからないだろう。
「はぁっ————!」
深緑の風が音速と共に弧を描き、ゴリラックマの首筋を断ち切らんと振るわれた。
しかし、脅威的な反射能を以てゴリラックマはそれを片手で防いでみせる。
「っ————!」
イングラムのひと突きを、ルークの剣を防ぎながらありえない軌道で回避する。
そうして、宙に浮かんだゴリラックマは
イングラムを捉えて、脚を振るった。
「やるな!」
左腕の掌を地面に叩きつけ、ゴリラックマの攻撃方向にバリアを貼る。
バキッ
しかし、紫電のバリアに亀裂が入ってしまうほどの強靭な皮膚と圧倒的なパワーは全てを粉砕せんとするほどだった。
「よそ見すんな!」
ルークは左腕を突き出して強風を放出した。さすがに直撃はまずいと感じたのか、当たる直前に後方へ後退する。
「ふんっ————!」
ゴリラックマが後退した、その上空に
紫電纏う槍が振りかぶる。
ゴリラックマは獣の本能からか、両腕を交差して顔を覆うように防御姿勢を取る。
交差する両腕のその僅かな隙間に、イングラムは槍を突き伸ばす。
しかし、この怪物は意外に器用らしい
槍を待ってましたと言わんばかりに指と指の隙間を縮めて槍の進撃を食い止めた。
「……!」
ガチガチと槍を持つ手が震える。
かなりの力で押さえつけられているようだ。無理に槍を引き抜こうとすれば半分にへし折れてしまうだろう。
そして間の悪いことに
宙に浮いているイングラムの下半身が重力に倣い降下し始める。
赤い双眸はそれを見逃さない。
強烈な回し蹴りをイングラムの腹部に叩きつける。彼は素早く防御姿勢をとるものの、僅かにゴリラックマのスピードが勝った。
「がっ————!?」
蹴られたという感覚よりも先に、痛みが腹部を駆け巡る。勢いが衰えぬまま吹き飛ばされて家に激突する。
既に支えが脆かったのだろう、衝撃に耐えられずに砂塵を巻き上げて大地に崩れ落ちてしまった。
「これは少し本気を出さなきゃならないかなぁ……!」
ゴリラックマは勝ったつもりでいるようで
こちらを見ていない、ならば今が本気を出すそのチャンスだろう。
ルークは未だ弱く吹く風を撫でるように手を掲げた。
そして、一呼吸を置くと
「風よ!」
ごうっ、とまるで風全体がルークの剣を包み込んでいく。
「よし、行くぞゴリラックマ!」
とん、とマラソン選手のように勢いよく駆け出すと、ルークはゴリラックマを取り囲むような走り方を始めた。
何層にもルークの身を包む風
そしてそれを照らす太陽の光が成す秘儀
「風身、残光閃!」
その身は走るごとに増えていく無幻なり
実態と見分けのつかない、分身のような
能力は、風と太陽がなければ使用できない
技のひとつである。
超高速移動を繰り返しながらゴリラックマとの距離を徐々に詰めていく。
剣を構えながら、その隙を伺う。
「そこだっ!」
影達が躍動する中で、一人剣を振り下ろす。
が————
発達したゴリラックマの上腕二頭筋は
その一撃を軽々しく弾いた。
鉄の如き体毛が、刃の到達を防だのだ。
「ちい──っ!」
舌を打ちながらも後方へ跳躍する。
ルークはゴリラックマを睥睨しながら次の作戦を練る。
(どうすればいい、どうすればこの怪物に
攻撃が届く……?俺の“風”ではダメだった…)
かつての名残か、ドラミングをしながら突進してくるゴリラックマを迎撃せんと剣を向ける。と、そこへ一筋の雷が落ちた。
苦痛の声を上げる怪物は、直撃した左腕を押さえる。
「ちっ、寸前のところで避けたか。
初戦のくせにどれだけ戦い慣れしているというのだ、こいつは————!」
戦線復帰したイングラムは左腕で腹部を苦しそうに押さえながら右手をゴリラックマに向けて突き出していた。
彼の呼吸は酷く荒くなっている。
「イングラムくん!大丈夫!?」
騎士の横に立った剣士は
不安げに問いを投げた。
心配するのも無理はない、熾烈な一撃が内蔵を守る役割の骨を打ち砕き、それが細かく突き刺さっているのだ。
「肋がいくつか内蔵に突き刺さったが、まだやれるさ。ルーク、このままではラチがあかない。“アレ”をやるぞ!」
!
「OK、“アレ”だね!」
イングラムは血の唾を地面に吐き捨てて
ルークは友の横に立った。
そしてこつん、と小さく拳を突き合わせた。
瞬間、水面のように二つの属性がオーラとなってお互いの身体を交差する。
緑色のオーラがイングラムへと流れ、紫色のオーラがルークへと流れ、溢れ出した。
イングラムの槍には深緑の風が纏い
ルークの剣にら紫電が纏った。
これでふたりは、お互いの属性を僅かの間扱うことができる。
「マナ交換のリミットは3分だ、その間に決着をつけるぞ!」
「了解!」
ルークの手にしていた剣から静かな風が消えて、今にも焼き焦がしそうな紫色の電撃がスパークし始めていた。
「うおっ、これは凄い……!
これが“紫電”!」
剣を持つ手が震える。
それと同時に、今まで感じた事のない高揚感が全身を巡った。
「ふむ……風か、静かなのはいいな」
紫電の代わりに、イングラムの槍に現れたのは、深緑の風。
一切の音を感じさせず、心地よい風が全身を巡る。
くるりと片手で槍を回転させると、
イングラムは突貫する。
深緑の風を纏っているおかげで、ジェット噴射の如き速さで攻撃と移動を同時に行う。高速を越える神速の一撃は、風と共に
鋼鉄の剛毛ごと貫く。
ルークも負けてはいられない。
ゴリラックマの懐に即座に潜り込むと
「刃雷、絶焦斬っ!」
スパークさせた剣を地面に突き刺し
円を描くように電撃の柱が無数に立ち、それが次々にゴリラックマに向かっていく
しかし、この怪物もただではやられまいと
握り拳を作って地面を殴りつけ、隆起した
柱を身代わりにしてみせる。
「上が、ガラ空きだっ!」
ゴリラックマを照らす太陽の光を遮るように、ひとつの影が上空に現れて深緑の槍を横に薙ぎ払うように振るう。
質量を持った風が、音速を越えて刃となり
片目を斬りつける。
痛々しく、赤い筋が眼のあった箇所から
こぼれ落ちていく。苦しげに片眼を押さえながら荒々しく呼吸をし始めるゴリラックマ。大きく息を吸い上げると──
周辺一帯に轟く咆哮をあげた。
耳をつんざくほどに強烈な音がふたりの聴覚をバグらせる。
「くっ……!」
感覚器官の一部が麻痺し、言葉を発しているのかすら曖昧になるが、視覚を頼りに突き進んでいく。
「ふんっ──!」
「はあっ──!」
刃雷と風槍が双つの方向から迫りくる。
それを怪物は両手で鋒部分を抑えて致命傷を避けた。
右手にイングラムの槍を、左手にルークの剣を握っている拳の力が強まり、
戦士ふたりを交差するようにぶつけようとする。
イングラムは即座に、槍に付与されている風を自身に纏わせ、そこから暴風雨にも似た強風を体外に放出する。
あまりにも強い勢いに、ゴリラックマは
両手を離して後方へと飛ばされていく。
「ルーク!」
「おうともさ!」
イングラムはその身に溢れる風を体内へ吸収し、掌から放出された高質量の風のマナを足場にして跳躍する。
ルークはそれを足場にして、剣に奔る雷撃を放出した。
迸る電撃は、全身を覆う体毛を無視して
肉体を焦がしていく。あまりの激痛に苦悶の声をあげながらも尚も闘志を燃やす怪物に、二人は尊敬の念を抱く。
「……惜しいな、お前がもし人間であるのならば、ぜひ仲間にしたかった」
「いい修業相手になったと思うと名残惜しいけれど……!」
「「お前は、ここで倒す!」」
戦士たちの闘気は、ゴリラックマに引けを取らない。二人は頷きあいながら、大気中のマナをその身に吸収する。
全身の風が強く吹き荒れ、全身の電撃が迸り、その濃度がより高まっていく。
「イングラムくん、合体技で決めよう!」
「あぁ!」
再び拳を突き合わせて、イングラムが先行
ルークが遅れて突貫する。
「疾風!」
秒間隔で繰り出される槍の乱舞を
ゴリラックマの両腕は受け止めて続ける。
しかし、イングラムの攻めの手は揺るがない。ゴリラックマが僅かに後退するのを確認すると、その上空から————
「迅雷!」
急降下で振り下ろされる雷の剣が
頭部に直撃した。
防ぎきれなかったことを理解したように
ゴリラックマの防御姿勢は崩れ、その場に膝を着いた。
ルークがイングラムの隣に着地したことと同時に、纏っていたオーラが消失した。
お互いの身体に、本来のマナが返っていったのだ。
「はぁ、はぁ……」
「まだ、倒れない……!?」
ザッ、と槍を地面に刺して膝をつくイングラムは、血反吐を吐いた。
彼は今朝方、モンゴリアン・デスワームと戦ったばかりだ。それに加え、休まずにここまできたこと、内側の負傷もあって彼の肉体は既に戦闘続行が困難だということを伝えていた。
ルークはまだ立ってはいるものの、
周囲の風は吹き止み、また体内のマナも枯渇寸前のため、これ以上の行動は危険であると理解しているため動くことができない。これ以上動けば、その場に倒れ込んでしまう。
「くそ……キメラは伊達じゃないってことか」
ゴリラックマは神経を研ぎ澄まし、
油断せず、しかし躊躇せずにその逞しいゴリラの両腕を肥大化させ、二人の首を落とさんと立ち上がる。
「……くそ、ここまでなのか」
突貫してくる黒い影は
時を刻むごとに迫りゆく
死による恐怖を、与えんがために。
小さな洞窟で彼は生を受けた。
五頭の兄弟の長男で、ひと回り大きくて
強くて、優しいクマだった。
父はたくましく、母は慈悲深く
弟や妹たちもすくすくと成長している。
こんな当たり前の日常が、ずっと続けばいいのにと、そう思っていた。
でも、それはすぐに壊れた。
“貴族”とかいう人間たちが凄まじい熱量を持つ“何か”で洞窟を焼いていたんだ。
父も母も、弟や妹たちも、そこで死んだ。
ただ一匹、獲物を取りに外に出ていたおかげで生き残ってしまった熊は
嘆き悲しんだ。
でもそれと同時に、人間に対して“怒り”
を感じるようにもなっていた。
人里には降りないと決めていた彼は、今日その日に、その誓いを、懐かしく楽しい記憶とともに棄てた。そして熊は思った。
復讐してやると————
彼はジャングルの長だった。
ゴリラたちの中でも特に力が強くて、繊細な彼は今日も仲間たちとバナナを取りに行こうか、それとも恋人とロープ飛びデートでもしようか、そんなことを考えていた時
に、森が焼かれた。熱い、熱い、熱い
気がついた時にはもう、意識が朦朧としていた。ただ一つ、絶対に忘れないのは
最期に見た“人間達”の勝ち誇ったような表情だ。奴らは別の進化を辿り、知恵という狂気を孕んだもので、技術という怪物を作り出した。
それで多くの仲間が殺された、大切な恋人が殺された。
許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない。
人間が許せない。
テリトリーに侵入しただけではなく、娯楽目的で森を焼くなんて。
人間達を睥睨しながら、生き絶えたゴリラの最期の感情は“憤り”であった。
次があるのならどうか————
復讐の機会があらんことを————
互いに生息地の違う生き物が
同じ人間という種族に蹂躙された。
決して交わることのないクマとゴリラは
死した後、偶然に横に並んだ。
“怒り”と“憤り”を孕んだ二匹は
やがて人間達にキメラとして再生させられた。
熊は己の肉体、力となるゴリラの
記憶を見た
ゴリラは己の知恵、思考するクマの
記憶を見た。
あぁ、自分だけではないのだと
同じ思いをしている“同志”がいるのだと
彼らの交差するその想いが、感情が
憤怒が、ゴリラックマを兵器として成り立たせたのだった。
ゴリラックマは捉えた。
眼の前にいるその憎き標的たちを──
ゴリラックマは打ち震えた。
殺すことができると──
ただ一つの信念を持ち、殺す。
それが、仲間を、家族を殺された
もはやクマでもゴリラでもなくなった己に出来る、最期の————
その一撃が首を飛ばさんと目前に迫った
その刹那、ゴリラックマの身体は時が止まったように動かなくなった。
「!?」
「な、なんだ……!?」
ゴリラックマの遥か頭上
太陽を背に浮かぶ黒い影が、手を伸ばしている。
「……おやすみ、みんなの元へ逝きなさい」
全てを慈しむような優しい声色が響く。
それを合図に、ゴリラックマは地に伏した。その正体は不明ではあるが、敵意は感じられなかった。
「貴方たちは、生きて————」
その言葉は不思議な力があった。
ボロボロだった身体、ゴリラックマとの戦いで負った痛みが引いていたのだ。
「──これは?」
「痛みが引いてる!すごい!」
その影は、ふたりの反応を見ると、遥か上空に消えていった。その速度ゆえに後を追えず、二人はあの小さな町へと帰っていく
「騎士イングラム様、剣士ルーク様。
御依頼の達成と無事の生還、まずは
感謝の意を表させてください」
謎の黒いフードに身を包んだ男は紳士的に言う。
「あれ、さっきのお婆ちゃんは?」
「————では、これが今回の報酬であります。どうぞお受け取りくださいませ」
その質問に、男は返答せず
機械的に物事を進めていく。
「これは、薬か……」
渡された黄色い粉状の薬は
黄金色に輝いている。
「それをお飲みください。あなたの受けた内傷は、これで全て元に戻ります」
ルークは飲むのかと視線で促すが、彼は否と返答する。確かにイングラムに比べれば傷は浅いしマナも枯渇していない。
「では、いただこうか──」
水を用意して、粉を入れる。
するとそれは無色透明になっていった。
「?????」
疑問符を浮かべつつも、飲んでみる。
みちみちと内側から聞きたくもない音が両耳に劈く。
「どしたん?」
「……恐ろしい体験をしている最中だ」
はい?という表情でイングラムを見回すルーク。しばらくすると、表情を変えた。
「うわ、凄い。
傷が治っていくよ!」
「あ、あぁ、呼吸しても臓器が痛むような感覚がしなくなった。あの、これは一体?」
なんなのか、と男に聞こうとしたが
既にその姿はなかった。
まるで最初からその場にいなかったかのように
「ひぇ……」
「……ん?テーブルの上に何かあるな」
メモらしきものが置かれてある。
イングラムはそれを手に取ってみた。
「主らの旅に大いなる加護と祝福があらんことを……。追伸、実はワシはずっと昔に死んでおりました!」
今になってこんなものを置いて逝くとは
実に愉快犯な老婆だ、わかっていれば問いただしたものを、実に惜しいことをしたと
イングラムは深くため息をついた。
「ね、ねぇ?なんて書いてあったの?」
「依頼主は既に他界していたそうだぞ」
「えっ、他界他界ですか?」
「あぁ、他界他界だ」
「えぇ、怖ッ……ねぇ、今日一緒に寝てよ」
「嫌ですけど」
ルークはその後、まともに昼食を
食べれなかったとかなんとか……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます