第2話 ショッキングな事実
それから少しして、板倉は、夢の中で起こったことが、正夢であることを知るのだが、それが、
「予知夢」
だったとは、どうしても思えなかった、
なぜかというと、その話を聴いたのは、その時初めて聞いたわけで、リアルに遭遇したというわけではないからだった。
何しろ、ゆかりと別れてから、数年が経っていた。
その間に、誰と付き合ったというわけではないが、最初の一年くらいは、
「めちゃくちゃ、長かった」
と思ったのだ。
それは、
「あまりにもその時間が長すぎた」
ということで、
「彼女を失くした」
というショックが大きかった。
誰だって、最初はショックが続くことだろう。
最初は、
「何がショックだったのか?」
ということが分からなかったからで、その理由が分かると、
「対応のしようがある」
というものであった。
要するに、失恋のショックというのは、最初に、
「どうして自分がショックに陥っているのか?」
ということが、分かるか分からないかということが大切なのであって、
「そんな当たり前のこと」
と言えるようなことが分からないのだから、それは、問題が引っ張られるというのも分かるというものだ。
算数でもそうではないか?
「1+1=2」
という公式を、最初から受け入れられる人は、それ以降の算数のカリキュラムにおいては、比較的スムーズに入れるのだろうが、最初で、受けれられないとなると、受け入れられるまでの時間、どうしていいのか分からないということで、まったく先に進んでいないのだ。
受け入れられない人は、理屈で考えるのだろう。
この公式を真剣に考えると、説明できる理屈があったとしても、算数をまったく知らない人に説明などできるはずがない。
「頭が硬い」
と言われれば、そうなのだろうが、実際にやってみると、本当に理屈で考えてしまうことで先に進まないのだった。
算数において、最初の公式を理解できないと、次の公式が分かるわけはない。
と言って、最初の公式を理解できている人などいるのだろうか?
ほとんどの人が、
「こういう風になっているだけなんだ」
というだけのことで、別に理解できているわけではないのだった。
ここで差がついてしまうと、焦る人もいるだろうが、それよりも、理解できないことの方が頭の中で疑問に感じられることで、いずれは、
「諦めの境地」
と言えばいいのか、結果としては、
「そんな風になっているだけなんだ」
と思うのだが、本当にそうなのだろうか?
と考えるが、
「割り切る」
という形にしてしまうと、自分の考えている通りに話が進むということになるというものであった。
だから、小学生の低学年の時は、算数は、いつも0点だったりした子が、急に高学年になると、
「ほとんど満点」
を取るというような怪現象も起こるのだった。
先生ですら、当然のことながらビックリするだろう。
何しろ、一番の劣等生で、どんなに教えても、
「分からない」
というのだ。
それは、やはり、教えている方向性が違うのだろう、
本人は、
「理屈が分からない」
のである。
学校の先生は、
「途中までは分かってきているが、どこかからか、分からなくなったのだろう」
と思っているのだから、そこから先は、
「交わることのない平行線」
を描くことになるのだ。
だから、まさか、最初の公式が分かっていないなどとは夢にも思わないので、それを分かっているつもりで話せば、生徒の方も、ちんぷんかんぷんなのは当たり前というものである。
それと、意味合いは違うかも知れないが、
「最初を理解できるかどうか?」
というのが、主旨であるとすれば、
「主旨が同じ」
ということで、算数の発想と似ているのかも知れない。
しかし、この恋愛に関していうと、その発想は、
「自分一人で悩んでいる」
ということであった、
小学生の時は。
「何の役にも立たない」
ということではあったが、担任の先生などが、一応、努力のようなことをしてはくれるが、大人になっての失恋は、誰も助けてはくれない。
そもそも、本人が、
「失恋して苦しんでいるのを、表に出したくない」
と思っていればなおさらだ。
失恋の痛手は、人によっては、まわりの人にも分かってほしいと思っている人もいるだろう。
しかし、それを分かってもらおうとしても、結局、それができるわけでもなく、
「失恋というのは、一人で乗り越えるしかない」
という、共通の結論となるのだ。
特に、
「失恋の痛手というのは、人によって違う。一週間くらいで立ち直る人もいるが、一年以上も苦しむ人がいる」
ということである。
これは、同じ人でも、
「一回目と二回目で違う」
という経験上のことからなのかも知れないし、
「相手によって違う」
という、個別対応ということで考えられることなのかも知れない。
また、何度も、
「恋愛をしては、失恋を繰り返している人は、安定的に、毎回一年以上苦しむ」
という人もいるだろう。
それは人それぞれであり、考えさせられるところであった。
ただ、そのメカニズムは同じであって、
「最初に、算数における1+1=2のような公式を、理解することができるかどうかによって決まってくる」
というようなもので、
要するに、
「失恋に至ったその理由が、分かるか分からないか?」
ということに掛かっている。
どれだけ苦しんでも分からない場合は、
「どこで割り切るか?」
ということが重要にいなるということである。
「どうして失恋に至ったのか?」
それがどうしても分からない。
「1+1=2」
のように、最初に感じることができれば、そこを悩まずに行けるのだが、算数の時には、ほとんどの人が悩まずに通り過ぎたその場所を、
「どうして、大人になると、そう簡単に通り越えてくれないのだ?」
と思うのだ。
小学生だったら、きっと何でも受け入れるのだろう。それらしい知識を持っていないことで、
「素直に何でも受け入れる」
という体制ができているに違いない。
しかし、大人になったとはいえ、恋愛に関しては、ほぼ知らない人が失恋しても、すぐには受け入れられないだろう。
もちろん、
「算数と恋愛は違う」
と言われればそれまでなのだろうが、それ以上に、
「自分は今までに、恋愛以外のことで、場数を踏んできている」
という自信過剰な部分があるのかも知れない。
それに、子供というのは、まだ思春期にもなっていないことで、
「どんなことでも、素直に受け入れる」
という習性のようなものを持っていて、大人になると、その感覚がマヒしてしまっているのではないだろうか?
その分け目となるのが、思春期という時期であり、
「素直に受け入れる」
ということができなくなっているのかも知れない。
確かに、いろいろな経験や、口伝などから、勉強や体験したことは、子供の頃とはまったく違う。しかも、経験においては、圧倒的に違っているのだから、
「それが大人なんだ」
ということになればそれも当たり前のことである。
特に、大人になってからというのは、自分の中で、
「許せない壁」
というような、結界を誰もが持っているのではないかと思うのだ。
それは、誰にも侵すことのできないもので、
「その結界をいかに自分だけで突破できるか?」
ということが問題となるのだ。
特に、
「恋愛」
というものは、子供の頃には基本的には存在しない。
思春期を経てからでしかありえないことなのだ。
「恋愛」
というものを、そもそも知っているのかどうか?
ということが問題なのではないだろうか?
恋愛というのは、その言葉を切り離して、
「恋」と「愛」という言葉に分けることができる。
確かに違うものではあるが、この二つは、
「似て非なるもの」
といってもいいくらいに、しかも、
「相対しているものだ」
と言ってもいいのではないだろうか?
よく言われることとして、最初に人を好きになってから陥るのが、
「恋」
というものであり、それが、
「愛」
というものに変化していくと、恋というものは、お役御免ということになり、消え去るというような話であった。
だから、
「恋の発展形が愛だ」
と言っても過言ではないだろう。
そういって、反対意見をいう人は、たぶん、そんなにはいないだろうが、
「なぜ、そうなるのか?」
ということを聴かれると、何も言えなくなるのではないだろうか?
恋愛が失敗に終わり、どんな形であれ、
「失恋してしまった」
ということになると、絶対に、必ず一度は、自分を責めるものである。
それは、
「相手がこちらを振った場合」
「こちらが相手を振った場合」
「自然消滅する場合」
という、大きく分けるとこの3つになるだろう、
もう一つとして、
「最初から、どうすることもできないほどの、難しい状況での恋愛だったのだ」
というものであれば、失恋に対しての、苦しみは他に比べてないのかも知れない。
反省点があるとすれば、
「最初から恋愛などしなければよかった。相手が悪かったんだ」
ということになるのだろうが、それにしても、最初の段階は通りすぎるだろう。
しかし、この場合は、結果は一つしかない。
「最初の段階では、それほど悩むことはない」
ということだ。
逆にいえば、
「最初の段階をまったく無傷で乗り越えられるとすれば、このパターンの時しかありえない」
と言えるだろう。
だが、このパターンの時は、最初から、
「恋愛というものをしていたわけではない」
ということで、
「恋愛」
という発想から、先に進んだわけではないということになる。
それを考えると、
「恋愛というものは、苦悩というものから逃れられないものだ」
ということになるのだ。
「1+1=2」
というものを、簡単に乗り越えてきたくせに、大人になるとそれができない。
「大人になると、子供に劣るのではないか?」
とも思えてくるが、それ以上に。
「大人になるということは、理屈を求める動物になってしまうということだ」
なのである。
それが、
「人間の進化」
ということであり、
「人間は、考える葦である」
といった人がいたが、
「悩むというのは、考えることで生まれてくるものだ」
ともいえるだろう。
それを考えると、
「悩みというのが、どういうものなのか?」
ということを考えてみると、
「考えることから始まってしまっているというのが、そもそもの苦悩の出発点なのではないだろうか?」
と考えるのであった。
確かに、
「苦悩というのが、どういうことになるのか?」
ということを考えると、
「考えることの、延長線上なのではないだろうか?」
ということが考えられるのである。
それを思うと、
「人が考え、苦悩するのには、二段階あるわけで、それだけ、人によって、その深さや重さの近いは顕著だ」
と言えるのではないだろうか?
それを思うと、
「人間というのが、一人一人違うという、当たり前のことも理解できていないと、この苦悩は、果てしのないものになってしまうだろう。
人と付き合う。その中でも、
「女性と付き合うということは、知り合って付き合うようになるわけで、付き合ってから、その後のことをキチンと考えるということは、付き合うということでは、必然性のあることになってしまうだろう」
と考えるのだ。
ゆかりと付き合っていた時、
「どこか、フワフワした感じがあったな」
ということを感じることがあった。
というのも、
「俺は、ゆかりのあの声が好きだったんだ」
と感じることがあった。
最初にゆかりのことが気になったのが、彼女の発する声だった。
声が聞こえてきてから、何をいうわけではなく、
「ただ、そばにいると思っただけで、これほど嬉しいことはない」
と思っていた。
「声フェチ」
ではないというと、語弊があるが、声を聴いているだけで、
「寝落ちしてしまいそうになる」
という人がいるくらいに、その清涼感に、癒しを感じさせられるのが、ゆかりだったのだ。
ゆかりというと、
「大学時代の親友とライバル関係を制して手に入れた」
ということだったので、正直、最後別れなければいけないということになった時、当然のように、親友のことが頭をよぎった。
もちろんのことなんだけど、
「親友に、顔向けできない」
と思ったり、
「顔向けできない」
などと感じたりもしたものだった。
そう思っていたのだが、どうも、親友は、板裏との勝負に敗れた後、少しおとなしくしていたようだったので、気にはなっていたのだが、その表に出てこなかった時 普通に知り合った女の子と、仲良くなったようだった。
どちらかというと、自分いいいことがあったら、宣伝したいタイプの人だったので、その彼が、
「何も言わないということは、何もないんだな」
ということだったのだ。
だが、実際には、そういうことではなく、
「相手の女の子のために必死になって頑張っていた」
ということであった。
その女の子は、実に、
「よくできた女の子」
ということのようで、いつも二人で気を遣い合っているというような間柄ということであった。
だから、親友も、かなり神経を遣って、付き合っているようである、
気を遣っていると言っても、
「相手が気を遣わないから」
ということではない。
「むしろ、相手は気を遣ってくれているので、こっちも同じように気を遣う」
ということからであった。
これは、親友から聞いた話だったが、
「あの子は、実は今まで、ロクでもない男とばかり付き合っていたらしいんだ。付き合っているというよりも、利用されているといってもいいくらいの想いをしてきたので、この俺が何とかしてやろうと思ったのさ。そりゃあ、女性としての魅力ということでいえば、ゆかりさんの方が、よほど、大人のオンナという感じさ。だけど、それだけに、俺じゃなくてもいいのさ。だから、俺は、ゆかりさんにはできなかった、そして伝わらなかった思いを、今の彼女に精いっぱいの気持ちで答えてあげたいと思うんだ」
というのだ、
それを聴いた時、
「こいつ、こんなにもすごいやつだったんだ」
と感じるのだった。
そんなロクでおない男ばかりを相手にしていたことで、何をしていいのか分からなくなっていた彼女が、板倉と知り合ったのは、大学祭の頃だった。
大学祭で、その模擬店を、サークル別にやっていたのだが、その開催前に、
「大学のどの場所で店を開けるか?」
ということを、大学の自治委員の方で、くじ引きで決められるのだが、その時の代表として出ていったのが、自分のサークルからは、板倉であり、そのそばで控えていたのが、ゆかりだったのだ。
二人は席が隣だったこともあって、抽選前から世間話のようなことをしていたが、実際に抽選ともなると、二人が、その抽選を終えた時に、ビックリしたのが、
「模擬店の会場でも、隣り合わせだ」
ということであった。
それに二人はビックリして、
「ああ、何と、お隣同士じゃないですか?」
と、板倉がいうと、ゆかりの方も、
「まぁ、そうですよね。ビックリしちゃったわ」
というのだ。
お互いにまさか隣同士になるなど、想像もしていなかったことで、板倉の方が、
「なんと奇遇な」
ということで、感動していたのだ。
さすがに最初はその感動がなかったゆかりだったが、次第に板倉の感動する姿を見て、
「この人の言う通りだわ」
と思うようになったのだという。
それを考えると、
「これほどの偶然があるわけはない」
ということになり。その思いを、ゆかりは、付き合い始めてしばらくして、そのことを話してくれた。
「あなたのあの驚き方が、私には新鮮だったのよ。おかげで、普段は信じないようなことでも、何でも信じられるという風に思うようになったの」
というではないか。
それを聴いた板倉も、
「そうだろう? 俺だってあの時に、何と言う偶然なんだって、思ったもの」
というではないか。
それに乗じるかのように、ゆかりも、
「ええ、そうなの、まさしくその通りで、あなたとの運命を感じ始めると、とまらなかった」
というではないか。
話を聴いてみると、最初はどちらかというと、板倉の方が最初に感じた感動が大きかったようだ。
しかし、徐々にゆかりの方が、その気持ちに追いついてきて、
「ええ、確かにその通りだわ。あなたの言う通りだ」
ということを感じてしまうと、そのことがきっかけになって、
「付き合ってみよう」
ということになったというのだ。
その思いを、ゆかりが、感じてくると、それに吸い寄せられるように、板倉も、二人の交際から、その先の結婚という二文字まで考えるようになってきた。
それが、板倉が、まだまだ先を見詰めていたはずなのに、先にそのゴールのようなものが見えてきたのは、ゆかりの方だったのだ。
ゆかりは、その気持ちを板倉にぶつけてみようと思った。
しかし、ぶつけるというところまでは行かなかったのは、
「まずは、自分の中で理解しておかないと、相手から、やり込められた時、自分で言い訳ができない」
という考えから、なるべく、自分が、余計なことを考えていないつもりになって、前に進んでいないふりをすることで、
「自分が先を睨んでいる」
という優位性を保つようにしようと考えるのだった。
それを感じているうちに、ゆかりは、板倉が、
「何かおかしい」
と考える前に、自分の気持ちをハッキリさせようという考えにいたるのであった。
そうなると、もう、板倉には収拾をつけるということができなくなるのであった。
卑怯ではあるが、ゆかりは、というか、女性はと言ってもいいかも知れないが、
「自分が口にする場合は、すでに気持ちは決まっている時だ」
ということであり、別れる時であれば、これが完全な、女性側の、
「優位性」
ということになるのだろうが、付き合い始める時も同じことで、その分、前を見るということになるのだろう。
男にとっては、嬉しいことであるが、それを
「女性の性格だ」
と思っていないと、まるで、自分のハッキリした性格が、うまくいかせているのではないか?
というような、勝手な思い込みに行かせることが、往々にしてあったりするだろう。
そうやって、付き合うようになると、どうしても、最初は、
「優柔不断で決めることも決められない」
というレッテルと相手に貼られてしまう。
しかし、それでも、付き合っている時の女性は、
「ちゃんと相手を立ててくれる」
ということなので、男は、それ以上何も望もうという感じにはならないのだ。
そう思うと、本当は、女性に道を掴まれているということが分からずに、
「うまくいっているのは、自分のおかげだ」
ということで、その先を有頂天になって見つめるということになるのであった。
しかし、有頂天になっているというのは、えてして、あまりいいことではない。
特に男性が有頂天になると、下手をすれば、
「女性に洗脳されている」
と言っても過言ではなかったりする。
それを思うと、
「ちゃんと男を立ててくれているはずの女性が、少しでも、そうでもなくなってくると、優位性は崩れている」
と言ってもいいだろう。
それを思うと、洗脳されている状態を、ひょっとすると、お互いは、分かっていて、スルーしているのかも知れない。
というのも、
「このまま洗脳されている」
ということを感じることが、問題ではないということであれば、それでいいのだが、もし、間違って、簡単な話で済まされないことであれば、洗脳状態をあらわにして、
「あなたは、私のいうことを聴きなさい」
というようにしないと、
「これ以上、最悪なことになったら、どうしようもない」
というのだ。
いうことを聴かせようとするには、相当、相手に
「潜在的なショック」
いわゆる、
「脅迫観念」
というものを植え付ける必要がある。
それには、一度、相手を絶対に肯定しないという、
「全否定」
というやり方が必要になってきたりする。
しかし、洗脳したり、脅迫観念を与えるには、相手に対して、
「自分を否定されている」
ということの、恐ろしさや、どうしようもないという考え方を植え付ける必要がある。
それが、
「相手への全否定」
であるのだ。
そんな状態において、
「会社の仕事だけではなく、私生活まで全否定されてしまうと、どうすることもできなくなるだろう」
それを考えると、
「俺への脅迫観念を抱かせた、ゆかりという女は、俺にとっては、これ以上恐ろしい女はいない」
ということになるだろう。
それが、別れる時の、その理由を聴けるわけもないと思えるその瞬間に繋がっていくのであった。
それを考えると、
「俺たちがなぜ別れなければいけなかったのか?」
ということが分からない。
ひょっとすると、悪かったのは、板倉の方で、彼女は、わざとそれを言わないでいてくれただけなのかも知れない。
それくらいの気は遣える女性だったので、別れることになったとしても、そうなると、彼女の方に悪きはまったくなかったことだろう。
そうなると、相手に対しての、
「好き嫌い」
というよりも、自分のプライド、あるいは、性格的なことが影響していたのではないかと思うと、板倉の方も、大いに反省しなければいけないところも多いだろう。
しかし、結果としては、自然消滅のような形になってしまった。
何も言えるわけはないが、今のところ、自分でもいえるのは、
「優柔不断なところが災いしたのだろうか?」
ということであった。
彼女と別れてからも、何度か付き合った女性がいたが、自然消滅というのは、何度かあったようだ。
そのたびに、理由が分からないということが結構あったが、その理由が分からず、結果、わけがわからず別れることになったというのもあった。
それを思うと、
「ゆかりとの別れは、しょうがなかったということで本当にいいのだろうか?」
と思ったが、確かめるなど、できるわけもなく、もちろん、自分のプライドも許さなかった。
そんなゆかりの訃報を聞いたのは、別れてから、二年が経った時だった。
その知らせを持ってきたのが、彼女に対してのライバルとなった。元親友だった。
親友はすでに、別の女性と結婚していたのだが、どうやら、ゆかりとは、連絡を取り合っていたようだ。
もちろん、奥さんもゆかりのことを知っていて、夫婦ぐるみでの付き合いだったということだった。
二人が、まったく関係のない仲であれば、板倉も、親友と仲がいいままだったかも知れないが、さすがに、別れた彼女に関してライバルだった相手で、しかも、別れてからも友達関係でいる親友と、仲を続けていくことはできなかった。
しかも、親友はすでに、結婚している。結婚自体が悪いというわけではないが、既婚者とは、親友でなくとも、なかなか付き合うのが難しいと、板倉は感じていたのだった。
ゆかりの死因は、
「交通事故」
だったという。
状況の詳しい話は分からないが、彼女が悪かったというわけではなく、完全に、
「車が飛び出してきた事故だった」
ということであった。
即死だったようで、それを聴いた時、
「苦しまずにいったのは、よかったんだな:
と、悲しむよりも先に、そんなことを考えてしまった自分に、軽い自己嫌悪を感じてしまっていたのだ。
もう一つ腹が立ったのは、
「彼女が死んだ」
という話を聴いたのは、何と、葬儀が終わってからのことだった。
親友に、
「どうして、もっと早く教えてくれなかったのか?」
と聞くと、
「お前がまだ彼女のことをショックに思っていたら申し訳ないからな」
と言っていたが、果たしてそうなのか。
そのことをこれ以上詮索するつもりはなかった。
確かに、少しは、まだ尾を引いているのは無理もないことだと思うが、その気持ちをまわりが勝手に想像し、最終的に教えてくれなかったというのは、自分でも、少し苛立っているのだった。
そして、実際に、彼女の家に、焼香に行ったのは、葬儀の三日後になった。
慌ただしかったという雰囲気はすでに消えていて、仏壇に、お供え物と、彼女の遺影が飾られているのを見ると、悲しいというよりも、
「これで、完全に、この世で出会うことはできなくなったしまったんだな」
という思いがよぎるのだった。
板倉は、仏壇で手を合わせ、楽しかった思い出を思い出そうと試みた。
しかし、思い出すことができなかった。
「なぜなんだ? 頭の中ではまだまだくすぶった思いがあって、思い出そうおいう意思がなくとも、頭の中に自然とよみがえってきたものが、いざ思い出そうとすると、それができないなんて」
と感じるのだった。
「あなたとは、もう終わったの」
と、遺影が言っているように見えた。
遺影に映っている彼女は、決して笑っていない。いつもの、キリッとした表情だ。
「ひょっとすると、本当のゆかりの笑顔を知っているのは、この俺だけだったのではないか?」
という思いがよぎった。
「俺だったら、遺影にこの写真は使わないな」
と思った。
付き合っている時、何度も撮った写メの中のゆかりの表情は、本当に笑いかけていた。
「笑顔以外のゆかりの顔を見たことがない」
というほどに、仲がよかったはずである。
それが、いつの間にか笑わなくなり、目の前の遺影のような表情で、いつも板倉を見ていた。
「もう、そんな顔しないでくれよ」
と言いたかった。
遺影のゆかりを見ていると、責められているような気がする。
何に対して責めているのか、それが分からない。そのことが怖かったのだ。
「きっと、この俺に何かを言いたかったんだろうな」
と思うと、
「もう、彼女が帰ってこない」
という感情とともに、最後まで、別れた理由を聞かなかったこと、いや、聴けなかったことに業を煮やしていたのだった。
線香の匂いが、いかにも、
「人の死」
というものを思い知らせてくれる。
しかも、今まで、
「誰かの死」
というものを感じたことがなかった。
一度、祖父の死に立ち合ったことがあったが、大往生だということで、家族は悲しんではいたが、その時に言っていた言葉が頭に残っていた。
「苦しまずにいけたのは、幸せだったのかも知れない」
とであった。
その頃、高校生だった板倉は、
「人が死んだのに、幸せだったというのは、どういうことなんだ?」
と思ったものだ。
しかも、悲しんでいる様子はあるのに、実際の遺体に対しては、
「苦しまずにいけて、よかったね」
などと声を掛けて、さらに、そこで嗚咽しているのだ。
その光景が、まったく理解できずに、板倉は、
「不思議な光景だ」
ということで、その様子を見ていたのだった。
だから、今回の、ゆかりの死に対しても、あの時の祖父に対して、まわりの人が言っていた言葉を思い出したのだ。
「苦しまずにいけて、よかったね」
声をかけるとすれば、それしかなかったのだ。
かといって、家族の前で、そのことを口にできるはずもない。
家族は、自分が、ゆかりの元カレだということを知っているのかいないのか、たぶん知らないだろう、
何しろ、葬儀から数日経ってやってくるのだから、少なくとも、元カレだとは思えないのではないか。
だが、板倉の方も、親友に対しては、最初、
「どうして、もっと早く教えてくれなかったんだ?」
と聞いたが、本当は、
「今くらいのタイミングが、ちょうどよかったのかも知れない」
と冷静になると考えるのだ。
「葬儀の場にいたとしても、どのような気分で列席しなければいけないのか?」
と思うと、耐えられないかも知れないと思うのだった。
葬儀というと、大体どこも一緒のようなものだと思っているので、祖父の時を思い出していた。
「あの時間、ずっといなければならないのはつらい」
と思った。
確かに。後になって一人で彼女の遺影に手を合わせるもの、辛いものがあった。だが、それでも、さすがに葬儀の場に比べれば、何ぼか気が楽だったに違いない。
ゆかりの母親は、
「今日はありがとうございました」
ということで、礼を言ってくれたが、
「いいえ」
というのがやっとで、何とか後は、お悔やみの言葉しか言えなかった。
ゆかりの家を後にして、少し行ってから、ゆかりの家を見てみるが、何となく小さくなったような気がしていた。
付き合っている時、何度となく、家の前まで送ってきた時、いつも見た光景であったので、今でも、その光景は瞼の裏に残っている気がしたのだ。
その時の感覚に比べて、確かに小さくなっているような気がしているので、それを思うと、
「やっぱり、どうしても、小さく見えてくるんだな」
と思えて仕方がなかった。
そんなことを感じていると、後ろを振り返ることもなく、踵を返すと、いつになく早歩きで、家路を急いだのだ。
少しでも、早く、ゆかりの家から遠ざかりたかった。
「これで、禊は済んだということか?」
と自分に問うてみたが、答えは見つからない。
そもそも、
「禊というのは何なのだろう?」
ということである。
「何か、ゆかりに悪いことをした」
という思いだけが残ってしまった。
「こんなことなら、最初から聞いておけばよかった」
という思いである。
自然消滅なのだから、
「悪いことをした」
というわけでもない。
しかし、板倉に、ゆかりと別れるという感覚があったわけではない。
いきなり別れを言い出したのは、ゆかりだった。
彼女が言い出した時点で、
「自然消滅ではない」
と言えるはずなのだが、今でも、板倉は自然消滅だと思っている、
ゆかりは、最初、本当に自然消滅をもくろんでいたのかも知れない。
しかし、ぎこちなさを指摘されて、ゆかりは、別れを切り出さなければいけなくなってしまったのだろう。
ただ、あの時、板倉は、
「まさか、ゆかりが別れを考えているなど、思ってもみなかった」
と言っても過言ではないだろう。
「別れるなんて、本当は思っていなかったのに」
と今でも、ゆかりが感じていたのではないかと思えてならない。
ちょっとした不満が、くすぶっていて、それを何とか板倉に気付いてもらおうと、考えていた矢先、板倉の方から、
「まさか、別れようなんて思ってるわけじゃないよな?」
とズバリ聞いてきたことで、自分の中でくすぶっていた、板倉への疑念に火がついたのかも知れない。
「どうして、そんなこというの?」
と言いたかったに違いないが、声に出さなかった。
言ってしまえば、きっと、そこで言い争いになったはずだ、
ゆかりはその時、
「言い争いがしたいわけではなく、今は一人で考えたい」
と思ったことから、板倉を煽ってはいけないと思ったのだ、
だから、
「いいえ」
と一言だけ言って、それ以上は何も言わなかった。
板倉としては、
「まさかそんなことあるわけはない、それを自分で納得したくて、念のために聞いてみたのだ」
ということであったはずで、結局、お互いに考えていたのとは違う方向に向いてきた。
二人は確かめ合いたかっただけなのに、歯車が少し狂ってしまったことで、その時に、別れるということが確定してしまったかのようだった。
それを思うと、別れというものが、いかにもろくのしかかってくるのかということを思い知らされたのだった。
その時の二人の恋愛度というのが、どれくらいのものだったのか?
正直、ゆかりは分からなかった。
自分にとって、相手がどれほどの存在か?
ということを、板倉は、付き合っている時も、別れてからも、ずっと考えていた、
しかし、付き合っている時も、別れてからも、そこは変わらなかった。
だとすると、
「この別れは、間違いだったのではないか?」
と思えてきた。
しかし、
「帰らぬ人」
となってしまうと、
「あのまま、付き合っていれば、もっともっと苦しい思いをしたのかも知れない」
と思うと、死んでしまったゆかりには悪いが、
「死んでくれたおかげで、吹っ切れるかも知れない」
と感じたのだった。
これほど、
「失礼で罰当たりなことはない」
と言ってもいいくらいであるが、正直なところ、今の心境は、
「それ以上でもmそれ以下でのない」
と言っても過言ではないだろう。
ただ、一つ言えることは、
「ゆかりに対して、自分の気持ちが一つ吹っ切れた気はしたが。どうしても拭いきれない思いがある」
というのも事実のようで、
それがどういう気持ちから来ているのかということを、正直分かっていないといってもいいだろう。
一つ言えることは、
「ゆかりは二度と帰ってくることはない」
ということであり、それによって、
「言いたかったこと、聴きたかったことが、永遠に封印されてしまったのだ」
ということであった。
それを思うと、
「俺にとって、少なくとも言いたくても言えなくなったことが残ってしまった」
ということは、
「これから、俺が恋愛できるかできないか」
という運命も今の状態では、想像することもできないでいたのだった。
とりあえず、今は、何とか立ち直ろうと思いかけていた矢先の、
「ゆかりの死」
という知らせは、少なからずのショックを植え付け、そのショックが、自分の中で、永遠に消え去るものではないということであった。
そもそも、優柔不断だと思っていた、板倉だったので、帰らぬ人を目の前にして、
「優柔不断」
ということが、
「いかに自分の致命傷になるか?」
ということを思い知らされた気がした。
「ゆかりという女性を忘れることはできなくなった」
というのが、正直な気持ちだったのだ。
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