時の旅人
朝霧
時の旅人
旅を終えた後、まるで何事もなかったかのように彼女は自分の屋敷に引きこもってしまった。
彼女がそこに留まりたいと言うのであればそれは尊重すべきだろう。
けれど、やはり寂しいし、会いたいと思うので、自分はしょっちゅう彼女の屋敷に足を運んでいた。
度々訪れる自分を彼女は邪険にしつつも無理に追い出そうとはしなかった。
それが、実はとても嬉しい。
だから今日も暗く鬱蒼とした森の中を進む、どちらかというと不気味なこの風景も、ここを進めば彼女に会えるとわかっているから最近ではこの暗い森を目にすると気分が高揚するようになってきた。
意気揚々と暗い森を進んで、やっと屋敷に辿り着いた。
いつも通り毒花の悪魔のメイドに迎え入れられたが、普段とは異なり彼女は少々困ったような表情を見せた。
「実は、お嬢様はお休み中でして……つい先ほどご就寝に……」
先ほど、と言っても今はまだ昼前だ。
首を傾げると、メイドは彼女が数日前からほぼ昼夜逆転した生活を送っていると説明してきた。
どうやら何日か前に徹夜で本を読み込んで、その辺りからそういう日々が続いているらしい。
体調に不調はないのかと問うと、特に問題はないらしかった。
さっき寝たばかりならきっとしばらくは起きないだろう、それなら残念だけど、今日はおとなしく帰ろう。
そもそも元から何の約束もしていないしこちらに赴くという連絡もしていない。
ただ、旅が終わり、その別れ際に好きな時に来ていいと言ってくれたから、そうしているだけなのだ。
会いたかったからきただけなので、特に伝えるべきこともない。
そういうわけで立ち去ろうとしたけど、メイドに引き留められた。
せっかく足を運んだのなら、一目くらいは彼女に会っていかないか、と。
特に用事はないし、わざわざ起こすのも悪いだろうと断ろうとしたが、それならお茶だけでも、とすすめられた。
運ばれてきた紅茶に口をつける。
良い茶葉を使っているだけでなく、淹れ方も上手いのだろう、ここまで美味い茶は自分でもあまり口にしたことがないかもしれない。
「……リュシカは、最近どう?」
「ここ最近昼夜逆転している以外は相変わらずです」
「そう……」
相変わらずということなら、特に心配するようなことはないだろうか?
いや、やっぱり心配だ、徹夜とかしないでほしいし、昼夜逆転した生活とかしないでほしい。
「伝言はない、って言ったけど…………徹夜とかしないで、ちゃんと規則正しい生活してって、身体を大事にしてって、伝えておいて」
「承りました。お伝えしておきましょう」
と、毒花のメイドが言った直後に、大きな雷の音が。
よく耳をすませてみると、雨音も、それもそこそこ激しそうな雨音が聞こえてくる。
森に足を踏み入れる前の空模様を思い出す、薄暗く曇っていたが、ここまで荒れるような天候ではなかった気がする。
この悪天候で外に出るのは危険だから、雨がやむまで屋敷に留まるようメイドに言われた。
そうして、ここなら退屈も紛らわせるだろうと通された図書室で適当に本棚を眺める。
ここには何度か来たことがあった、自分はあまり読書が得意ではないけれど、けれどこの本だらけの静かな部屋の雰囲気は嫌いではない。
それでも今日は少し静かすぎる、彼女がページを捲る音がないからだろうか。
本棚に並んだ本のタイトルを流し読みして、少しだけ眠たくなってきた。
視界が少しぼやけたその時、何か違和感のあるものを見た気がして、視線を戻す。
自分が眺めていたのは古い伝承や英雄譚、神話の類の書物が並んでいる棚だった。
その中に一冊だけ、題のない黒い背表紙の本があった。
題がない以外には特に何の特徴がない本だった。
ただ、その黒い本がとある英雄譚の第二巻と第三巻の間に、強引に捩じ込まれているのが少し気になって、手に取ってみる。
表紙も裏表紙もただ真っ黒なだけで、題も何も書かれていない。
なんとなく表紙をめくってみると、そこには真っ赤なインクでタイトルらしきものが記されていた。
「…………これ、リュシカの字だ」
真っ赤なインクで書かれたその筆跡は、旅の途中で何度かみた彼女のそれと同じだった。
つまり、これは彼女が書いたものなのだろうか。
見ていいものなのか、よくないのかがわからない。
けれど、内容が気になったし、何よりこんなところに適当に捩じ込まれているのだから、別に人に見られても問題のないものなのだろう。
そう考えて、ページをさらにめくった。
その黒い本に綴られていたのは、小説のようなものだった。
主人公は彼女本人、本の中の彼女はあの旅の報酬として与えられた宝玉を元に時間遡行を行える魔法道具を作った。
そして彼女はその魔法道具を使って時間旅行をするのだ――自分の両親を救済するために。
実際の現実の彼女には本の中に出てくるような宝玉は与えられていないし、当然時間旅行ができるような魔法道具なんて作っていない。
だからきっとこれはただのお話なのだろう。
お話というか、願望なのかもしれない。
冒頭、彼女が魔法道具を使って過去の世界に飛んだ場面まで読んで、読み進めるかやめておくかを考える。
多分、これは誰かに読まれることを想定されて書かれたものではないだろう。
誰かに読まれる前提で書いているのであれば、彼女はこんな物語を書かない、書くわけがない。
そんな内容のものが何故自分、というかこの屋敷を訪れるものの目につきやすいところに置いてあったのか、その理由はわからない。
ひょっとしたらうっかり人目につく場所に置いてしまっただけなのかもしれない。
彼女は意外と抜けているところがあるので、多分それが正解だ。
だとすれば、多分これは読まないほうがいい、自分がこれを読んだことを彼女が知ったら、多分ものすごく不機嫌になる。
心底機嫌が悪そうな彼女の顔が簡単に思い浮かぶ、そういう顔をされるのは嫌なので本を閉じようとしたけれど、それでもやはり続きが気になった。
さっと読んで、ばれないように元通りに置き直しておけばいい、何が書かれていたとしても、知らんふりをして何も吹聴して回らなければ問題ないだろう。
そう開き直って、続きを読むためにページを捲る。
彼女はまず、自分と彼女が初めて出会った日、彼女が父親に連れられて自分の両親に謁見しにきた日に跳んだ。
そうして彼女は幼い自分と自分の父親の目の前で、自分の罪を、自分の父の罪を王と王妃達に告発した。
その結果として彼女の母親は、王妃達の手によってこの屋敷の牢獄から解き放たれた、全ての罪を暴かれた彼女の父親は王妃達の前で、彼自身ですら理解できていなかった自分の本心を叫び、曝け出した。
その結果として彼女の両親は引き離された、彼女の母はそれ以上痛めつけられることはなくなった。
けれど、結局誰も救われなかった。
彼女の父親は彼女の母親から引き離され、彼女の母親に死を与えられない、救いを与えられなくなった現実に絶望し廃人となり、保護された彼女の母はただ淡々と生を繋ぎ続けた。
それは彼女が目指した救済とはほど遠い結果だった。
だから彼女はもう一度、いや、何度も何度も繰り返した。
しかし、どれも結果は似たようなものだった。
繰り返すたびに綴られた赤い字が荒く、歪んでいく。
百回目の繰り返しが終わった直後のページにはなんの言葉も書かれておらず、ただぐちゃぐちゃの線が書き殴られていた。
そして、次のページには驚くほど整った字で、こう記されていた。
『やはり駄目だった。私が存在している時点で無理なのだ』と。
そうして彼女は再び過去の世界に飛ぶ。
『多くのものに救われた。だからこれは極力避けたかった』
彼女が飛んだのは、彼女自身が生まれるよりもずっと前の過去。
『けれど無理だった、どうしても無理だった』
彼女の両親が出会った少し後の時、そこまで彼女は遡り、謎の優秀な魔術師として世界を救う者達の仲間に加わった。
『きっとあいつらはこの選択を怒るだろう、その顔が容易に想像できる時点で、私は充分救』
その先は不自然に途切れていた、最後の文字は赤い線で上からぐちゃぐちゃに潰されていたがかろうじて読み取れた。
そうして、彼女は成し遂げた。
彼女は彼女の母親が罪を犯さないように暗躍し、結果として彼女の父親が彼女の母親を憎むこともなく。
これで大団円ということなのだろうか、とページを捲ってみたら、そこには自分にとって最悪に近しい結末が記されていた。
◆
よく晴れた昼下がり、調べ物のために図書室で作業をしていた私は妙なものを見つけた。
とある英雄譚の第三巻と第四巻の間に、題のない黒い背表紙の本が挟まっている。
「何故、これがこのようなところに……」
あの旅を終えた後、いくつか思うところがあり、あり得ない妄想を書き連ねたそれ。
こんな目立つところではなく、とある本棚の奥深くに隠しておいたはずなのだが、何故こんな人目につきやすいい所にあるのだろうか?
犯人に心当たりはない、ここには時折あの旅の仲間達が訪れるが、そいつらに間違っても見つけられないように小難しい政治関連の書物が集められたコーナーの一角に隠しておいたはずなのだが。
誰にも読まれたくはなかったが、処分する気にはなれなかったので隠しておいたはずのものが、何故。
本を取り出す、元の場所に隠し直そうかと思ったが、その前になんとなく本を開いてパラパラとページを捲る。
真っ赤な嘘と洒落を掛けて赤黒いインクで書いた文章を少しだけ懐かしく思った。
終わりに差し掛かった時、妙なものが目に入る。
終わりの頁、その文章が几帳面に真っ直ぐな二重線で消されており、その横に、青い文字で別の文章が書かれていた。
つまり――内容が書き換えられていた。
◆
『喜べ貴様ら!! 貴様らはこの悪意の権化に打ち勝った!!』
『そして、私は
扉を閉ざす旅の終わり、世界の平和が確定した瞬間に、彼女の両親が憎み憎まれる関係にならないと確定した瞬間に、彼女の身体が消え始めた。
彼女は、彼女の父の悪意と絶望がなければ、生まれることはないのだという。
『始めからわかっていた、この時代に転移し
『はじめからわかっていた、この旅が迎える結末を。』
『魔術師の悪意なくして私の存在はありえない。』
『だからこそ、百回目までの時間旅行は私が生まれた後に行った。』
『可能性はほぼ皆無だと理解した上で、それでもほんのわずかな可能性に賭けた。』
『しかし、やはり無駄だった、悪意と絶望の権化である私が存在してしまっている限り、救いはなかった。』
そんな独白のあと、彼女は自分の両親に祝福の言葉を贈って、消滅した。
彼女の両親は救われた、その結果として彼女が生まれる可能性は消えた、だから彼女はいなくなった。
それでおしまい、その先には何も記されていない。
散々なお話だと思った。捻くれ者の彼女らしい結末ではあったが、散々だった。
だってこの話だと彼女がいなくなってしまっている、彼女にとってこの結末は幸福なものなのかもしれないが、自分にとってはとんでもないバッドエンドだ、すごく気に食わない。
もう一度言う、すごくすごく気に食わない。
頭に血が上るというのはこういうことを言うのだろう、だから自分はほとんど衝動的に図書室の作業スペースに置いてあるペンをとった。
◆
青い文字を読んでみる。
内容はシンプルだった、元々は両親が救われた事で生まれない未来が確定した私が消滅する、という内容だったものが、両親が救われてもそれでも私が生まれる未来は変わらず、私と両親は親子三人で仲良く幸せに暮らした、というようなものに書き換えられている。
文章は拙い、とってつけたご都合主義のような安っぽいハッピーエンド。
「…………ふっ……はははははははは!!」
そのあまりの拙さに、あまりにも出来すぎた話に私は思わず笑い声を立てていた。
これを書いたのが誰なのかは一目でわかった、この几帳面な文字は間違いなくあの男の仕業だろう。
「あの
滑稽さに笑いが止まらない、おかしすぎて涙まで出てきた。
綺麗事だ、ありもしない幻想だ、私が書き連ねた妄想よりも酷い。
きっと、私が語った以上の過去を何も知らないからこんな甘ったるいハッピーエンドを書けたのだろう。
大したことも知らないくせに、あの男、私が身を削るような思いでやっとのこと書き切った私なりの救いを書き換えやがった。
腹が立つ、というか勝手に読んだ挙句人のものにこんな落書きをするな。
……ああ、それでも。
「何故だろうなあ……何故お前はこうも容易く、この悪意の権化たる私を救い続けるのか……」
あの日、穢れた手を掴まれた。
……それだけでもう、充分だったというのに。
時の旅人 朝霧 @asagiri
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