【1】

「ここ、からすが居ないわね」

 小さい欠伸が少女の長い髪を揺らす。まだ陽の昇らない時間とはいえ、うっすらと空は白み始めている。

「残飯が無いからだろうな」

 その横をのっそり歩く青年は辺りをぐるりと見渡し、彼女の呟きに返事をした。少女は青年より頭一つ分低く、彼を軽く見上げてうんざりした顔を見せる。

「もしかしなくても?」

「ああ」

 青年は言葉を区切って薄い唇を歪めた。

 にたりと笑う目は細く弧を描き、鼻筋の通った高い鼻や大きな口は華やかの一言につきる。

「ここも『死んでる』」

「だよね。ていうかさ、魂のことを残飯って言うのやめたら?」

 反対に彼女の目は大きく黒曜石のような輝きを放っている。髪も同じく夜のように黒い。

「『烏』が欲しがるもんなんだから、残飯と一緒だろ」

 少女の烏と青年の烏は、同じ単語でもニュアンスが違っている。

 投げるように答えて肩に下げていたカバンを下ろすと、青年はポケットからシガレットケースを取り出した。

「さてと、楽しいお仕事の時間だ。シイも自分の得物準備しとけよ」

「カイこそ手順間違えないでよね」

「この前間違えたのはオマエだろ」

 シイと呼ばれた少女は気怠げな表情で、手に持っていた紅色の番傘を自分の肩へ持たれ掛けさせた。纏めていない髪が風になびく。その艶やかな頭を軽く叩いて、彼はケースから煙草を取り出し火を点けて深く吸うとゆっくり吐き出した。


 次の瞬間。


 紫煙が吐き出された量に見合わない程広がり、彼らの目の前に建つコンビニ横のゴミコンテナを包み込んだ。


「いつもながら、カッコの付け方と対象が見合わないわねぇ」

 ボソッと言った後、シイはコンテナに向かって傘を広げ。

「開けや開け我らが地獄・間も無く失せる地は堕ちる・鹿は金・の名を刻む」

 彼女の声と共に傘から朱色の粘度の高い水が雨粒のように迸った。

「閉まれや閉まれ我らが地獄・詠え踊れ・の名を刻み」

 シイの放った水を追いかけながらキイが言葉を引き継ぎ、そして、手にしていた吸殻をそれに混ぜる。成功した、キイは唇だけ動かして再びニタリと顔全部で笑う。

 水は紫煙と吸殻をまるで意思があるように震えながら飲み込み、朱色から段々と黒へと変化しコンテナやその下の地面をべったりと包んだ。

 そして、それは少しずつ透明になり何も無かったかのような姿へ戻った。先程との違いを上げるならば、コンテナ周りの地面が薄く灰色になった程度。

「はーい、ツーバつーけた」

「コンビニの土地全部じゃないのが終わってるわ」

 子供のように笑うキイと対照的にシイは呆れた顔で傘を畳んでいる。

 もう日が昇り、街が生き返り始める時間だ。往来には出勤するスーツ姿の人間や散歩をする老人が現れている。

 けれど、誰も彼らを不審がったり咎めたりしない。

 何故なら、彼らや彼らのした事全てが見えていないから。見えたとして、せいぜいコンテナが風もないのに揺れている程度だ。

 仕事と呼ぶにも簡素な動きをし、次を探そうかと二人はきびすを返した。

「次は廃屋探しでもしてみるか?」

「廃屋は死んでないこと多いじゃない。それより、一度報告に戻りましょ。長いこと鹿金しかがねに会ってないし」

「お前さぁ、上司を呼び捨てにすんなよ」


 だらだらと喋りながら、自分たちに指示を出す上司の元へ戻るかと決めた。叱られるか褒められるか貶されるか、そんな非日常に戻る。

 そのはずだった。


「あの……お客様、何をされているのでしょうか?」


 店外へ出てきた夜勤バイトらしき人間が、彼らの予定を崩すまでは。

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