第2話

 ホテルについた私は荷物を預けると早速京都を観光することにした。

 まず訪れたのは京都市左京区にある下鴨神社しもがもじんじゃ。境内までの参道である糺のただすのもりは太古の原生林がそのまま残る、癒しのパワースポット。今日は暑かったが高い木々に囲まれたそこはとても涼しく、新緑が美しかった。下鴨神社は縁結びの神社として有名なのでそこら辺のお願いもしっかりしておいた。

 嵐電北野線に乗って次に訪れたのは妙心寺みょうしんじ退蔵院たいぞういん。臨済宗妙心寺派の総本山たる妙心寺には、日本最古の燈籠とうろうや有名な雲龍図がある。写経体験も楽しかった。

 広い寺を散策し終えると、バスに乗って上京区の北野天満宮きたのてんまんぐうに向かった。学問の神様たる菅原道真をまつる北野天満宮は梅や桜の名所でもある。5月だったので桜も梅も咲いてはいなかったものの、緑に囲まれた豊臣秀吉ゆかりの建造物である御土居おどいは絶景だった。折角来たのだからと、学業の成就のお願いをした(大学受験は既に成功を収めているが)。3箇所ともまた紅葉シーズンにこようと思った。さて、日も暮れかけて京都の街並みに見慣れた頃、私はバスに乗って平等院びょうどういんに向かった。平等院は藤原頼通が建てたことで有名なので、私も先祖に思いを、という気があった。藤原氏の全盛期と言われる藤原道長は、晩年死を恐れて仏教にすがったというのは有名な逸話だが、私はそのようなものは信じていない。普通に人生を20年弱生きて、東大生となった訳だが、やはりそのような非科学的なものは信じる気にはなれない。そんな私が祖先が建てたというだけで繋がりを感じ感傷を感じようとしてあるのは、最近人の心とは実にわからないものだと強く感じたからだ。仏教や祖先の繋がりとは不思議なもので、そんなものは嘘であると感じつつ信じて、感傷に浸るものはいるものだ。人の心に疲れた私は、そのようなものを試しに信じてみようかなとも思っていた。

 鳳凰堂ほうおうどう前の阿字池あじいけを取り巻く庭園には春ならではの藤が咲いており、まるでこの世に極楽浄土が現れたかのようで、心が洗われた。ちょうどチェックインが可能な時間になったので、その他の歴史的構造物を見て、今日は帰ることにした。

 ホテルに帰って早々にチェックインを済ませた私は、夕食までの数時間、疲れを癒すためにぼーっとしていた。そこで、ふと何で私は京都旅行に行くことになったのか、という疑問が湧いてきた。早々にその残酷な答えを思い出した私だが、その答えが案外面白いことに気がついて、私は苦笑した。


 

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